Dream&Smile
プロフィール

蜷川幸雄ST時代
25〜26歳

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 私は、演劇界では有名だった、蜷川幸雄氏を全く知らなかった。
オーディション雑誌に載っていた、「タンゴ冬の終わりに」の再演の群衆に応募して、それに受かったことから、この時代は始まった。

その公演の後、ちょうど蜷川スタジオの劇団員募集があり、受けることにして、何故か受かってしまった。
その頃の私は現代演劇、その他、何も知らなかったし、何も考えてもいなかったからか、全く訳が判らなくても、なんとかこの中で、自分をアピールしようと、蜷川氏の前で見せるエチュードなる稽古を必死にやっていた。

そして遂にある芝居のオーディションの際、上手くアピール出来たと言うか、勢いと言う感じなのか、良い役を貰えて、頑張ろうとしていたのに、不運にもバイク事故で、私は、折角のチャンスをふいにしてしまった。

その芝居を私は、余り理解しないまま演っていて、蜷川氏にも怒鳴られて、缶コーヒを投げられたりしていた。
だから余計に頑張らねばと、考え、悩みながらバイクに乗っていて、稽古場へ行くと途中に、車とぶつかってしまったのであった。

缶コーヒー投げは、後々聞くと、それが蜷川氏最後の怒りの投げ付けであったらしい。(蜷川氏は演出中、識を高める為か、灰皿を投げるのが有名であった)それ以降はどんどん温厚になっていったらしい。

しかしある雑誌で、若手女優が灰皿投げつけ最後の女優と書かれていたのを見つけた時は、少し複雑な気持ちになった^^。

それからは又、徐々に集団生活、団体行動への拒否反応が出始めて、群衆、コロスばかりを演っているのでは面白くないとも思いだし、蜷川スタジオを二年余りで、静かにフェードアウトしていった。
常に二年周期の飽き性な男であった。

それにしても、あの芝居で見事に演じきっていたならば、どうなっていたのか、それでも、二年周期はやって来ていた様には思うけど。
この次の次の時代のため^^

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