2000年・年賀状
自分自身をひねくれもんと自己分析したその男は、いつの頃からか年賀状におめでとうの文字を書かなくなりました。
それはその男が東京に出て来た頃からでしょうか、人と同じにしたくないとベニヤ板で送ったり、厚紙を動物に切ったりと、
おもしろがっていましたが、貰った方は理解に苦しんだみたいです。ポストにはがき大の汚いベニヤ板が入っているのですから。
そんな男の年賀状の歴史に、文明の利器なる(あれ?文明のリキって?、力ではなかったのか、利器なのか?理器なのか?)
パソコンなるものが三年前にその男のお手元にやってきて、今までは使うこともなく、手書きが伝わり、
絶対だと思っていたのですが、この2000年を迎えるに当たって、ひねくれもんのその男は、なぜかもの申したいと思い、
文明の利器、理器?力?をその男のアナログにプラスさせて、新たな展開などをと思ったの です。
こんなに小さい字をその男が書けるわけもなく、もし書いたとしても絶対に誰も読めないでありましょうし、
読む気も起こらないでありましょう。だからその男は機械に感謝をすると共に、使いこなし、利用するときは利用して、
楽しむべきだと考えたわけです。しかし機械は手書きアナログ人間には心では勝つことは出来ないんだと
自分に言い聞かせておかないと、知らず知らずに漢字も書けなくなって、支配され、使われる身になってしまいますので、
よくよく注意しなければなりませんぞ、などとその男がもの申したかった事はこんな事なのではなく、しかしです、
もの申すとは言えそれほど大したことでもなく、ひねくれもんのその男の独り言だとでも言いましょうか、
呟きとでも言いましょうか。それはこの世紀末の盛り上がりが疑問で、不思議で、おかしくて、
なにゆえ人々は盛り上がろうとしているのかが知りたくて、ついつい分析、考え、楽しみたくなったのです。
1999年を終え、今年は2000年です。2000と言うキリのいい数字です。人はこのキリのいい数字と言うものに常に注目し、
好む動物なのでしょうか?それも世界共通ですべての人間が持っているものなのでありましょうか?それはなぜなのか?
キリのいい数字で、区切りを付けて、今までを忘れて、チャラにする、したいと言う事なのでしょうか?
これは知らず知らずの本能のなすがままで、細胞にプログラムされていたりするのでしょうか?
それか人間はお祭りが好きで、騒ぐきっかけが欲しいだけで、きっかけがあればなんだっていい、
そのきっかけが常に注目しているキリのいい数字なのでしょうか?しかしお祭りにしても、神に祈るが基本で、
お願いすると言う事で、我を忘れるもあるし、やはりどこかで今を変えたいと言う事に繋がって、
きっかけを何とか見つけては次から次へと新しい事へ変化して生きたいと願う動物なのでありましょうか?
だからそのきっかけが、それも最大に盛り上がれそうなきっかけが目の前にあると人は無理からでも、
また知らず知らずにでも盛り上がっていく動物なのでありましょうか?その動物の一人でもあるその男は、
そのきっかけを常に持って生きていたいと望んでいるがゆえに、この1000年のお祭りなどは単なる通過だと思っていて
素直になれないでいるのではないでしょうか?。又世間はこの1999年から2000年に向う事で、
千年紀(ミレニアム)と言うその男が初めて聞いた言葉で盛り上がっていて、1000年に一度しか使うことのない言葉か、
次は3000年まで登場しないかわいそうな言葉か、999年の時に作られた言葉なのでありしょう。
その今から1000年前なんてものはもっといい加減であったろうし、果たしてこんなに盛り上がったのでしょうか?
日本では西暦なんてものもなく、ただただ、一生懸命生きていた、平安時代のちょうど中期の頃だったのでありますから。
また本来盛り上がるであろう20世紀終了の2000年も同じように盛り上がり、二年連続でのお祭り騒ぎで、
盛り上がれるときに盛り上がれと言うやはり人間の本能なのでしょう。しかしそう考えながらもその男は、
この盛り上がりは誰かの仕掛けによるもので、誰かにあおられている部分が多い様に思われて 仕方がなく、西暦も、
シリウス歴とか、グレゴリ歴なるもので何か昔の調整があって、いい加減で、ゼロ年も曖昧で、
それに紀元前の事はどうするんだ?とそっちの方が長くて、それも足した方がいいのではと、中国4000年はどうするのだ、
メソポタミア文明は、アフリカの大地から二足歩行で始まった人類誕生からでは本来ないのか?
などなど一人興奮気味になっていく男ではありましたが、冷静に自分を落ちつかせて考えてみますと、
それらの方がもっとおおざっぱで曖昧で、きりのいい数字、お祭り数字は、やはり今ある数字で、
大昔のことなどは気づかなかった事にする方がお祭り好きの人間には都合がいいのではと納得させて、
世紀末の自分の胸騒ぎ感を押さえつつ、本当はいったい、いつ?なのかが知りたくて、
この2000年を楽しみながらじっくりと見つめて見ようと、その男は思ったのでした。
そして又今年も阿南健治なる男がお側に来た時などは、どうぞ宜しくお願いします。つづく。
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