タイムスクエア前にて「お恥ずかしい」 |
牧場研修一年の約束が、十カ月で力尽き、
牧場で貯めた500ドルと、運だけを持って、
当てもなく、憧れの目的の地、
ショービジネスの街、
ニューヨークに降り立ったのでした。
英語の話せない私は、
日本レストランを電話帳で片っ端から調べたが、
なかなか見つからず、 貯金の500ドルも尽きかけた頃、
運良く雇って貰える所が見つかり、
ニューヨークでの生活が始まったのでありました。
ニュー東京レストランにて |
とても自由であった。
芝居を観まくった。
ジャズ、モダン、バレエを、すべて基礎(BASIC)科で踊った。
胴長短足の男には、
体にびっちりとへばりつく黒のレオタードは酷であった。
ダンスは、特にジャズダンスは、
黒人白人欧米人のものだと打ちのめされた。
芝居がしたいエネルギーは、絵を描く事で発散していた。
自画像 |
しかし、一度芝居に取り憑かれた男は、
我慢も限界になり、
無謀にも小さな劇団のオーディションを受けたりした。
詩を朗読した後、
「英語を勉強してきなさい」と言われただけだった。当然である。
今思えば、もっと頭を使って生きてれば良かったと思うばかりである。
そして十ヶ月が過ぎた頃、スクールメイツの学校の時の先輩より、
一緒に劇団を盛り上げてくれないかとの誘いの手紙が届いた。
「直ぐに舞台に立てるぞ!」の言葉に、その劇団の事など何も判らないでいた男は、
胸の高鳴りを押さえきれずに、今すぐにでも芝居がしたいという思いだけで、
計画していた自転車でのアメリカ大陸横断計画も諦めて、直ぐに帰国した。
住んでいたアパート |
それが次の時代の大衆演劇である。
大衆演劇とは、
どんなものなのかも全く知らないまま、
渡米した時よりも、
お金を2000ドルばかし増やしての帰国。
結局、出稼ぎの旅であった。
しかし、今だに記憶が鮮明で、
男を支配している感じで、
今に繋がる貴重な二つの時代であった。
牧場の時代とN.Yの時代は^^
|
|