帰国してすぐに一週間程で、
山梨県は下部温泉の舞台に立っていた。
カツラをかぶり着物を着て、仁義を切ってのチャンバラ芝居。
ジャズダンスのせいなのか腰をやたらと動しながら、
演歌に合わせて日本舞踊を踊っていた。
その日から一ヶ月ごとの引っ越し生活で、
どさ廻りが始まっていったのでした。
初めのうちは覚えることが多くて、必死に夢中でやっていましたが、
やがて「こんなんじゃない、芝居作りとはこんなもんじゃない」と
思うようになり、確かに、ここにいれば生きてはいけるし、
衣食住には困らない。温泉にも浸かれるし、死ぬまで芝居も出来る。
しかしやがて、納得も満足も出来なくなっていって、
今後も出てくる私の性格から、
集団生活、団体行動に、拒否を示し始め、
自由な個人になりたいと思うようになり、
東京での休暇の際に、この世界で言う通称ドロン、
劇団から姿を消すことにした。
しかししかし、直ぐに全くの一文無しになり、
友人宅も追い出され、公園で寝るが、寒くて眠れず、
友人に後一日だけと頼み込んで、寝かせて貰ったりした。
朝早くから並ぶ日払いのバイトをし、親に敷金礼金だけを借りて、
なんとか四畳半、一万二千円の部屋から再出発をした。
無一文は恐怖だと、この時、強く感じた。
それから少し経って、居場所が座長に見つかったが、
キャバレーで踊ったりしながら、
徐々に大衆演劇の世界からは、離れていった。
そして次の時代への出会いを模索し始めた。
しかしこの時代に、体にこってりと染み着いた大衆演劇の癖は、
なかなか取れるものじゃなく、財産にもなり、笑われ話にもなっている^^。
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この時代の詳細がマップ付きで見られます
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