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写真 阿南健治プロフィール
蜷川幸雄スタジオ時代
(25〜26歳)
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No.051
「貧民クラブ」 こじき役
 私は、演劇界では有名だった、蜷川幸雄氏を全く知らなかった。
オーディション雑誌に載っていた、
「タンゴ冬の終わりに」の再演の群衆に応募して、
それに受かったことから、この時代は始まった。

その公演の後、
ちょうど蜷川スタジオの劇団員募集があり、受けることにして、
何故か受かってしまった。
その頃の私は現代演劇、その他、何も知らなかったし、
何も考えてもいなかったからか、全く訳が判らなくても、
なんとかこの中で、自分をアピールしようと、
蜷川氏の前で見せるエチュードなる稽古を必死にやっていた。

そして遂にある芝居のオーディションの際、
上手くアピール出来たと言うか、勢いと言う感じなのか、
良い役を貰えて、頑張ろうとしていたのに、
不運にもバイク事故で、
私は、折角のチャンスをふいにしてしまった。

その芝居を私は、余り理解しないまま演っていて、
蜷川氏にも怒鳴られて、缶コーヒを投げられたりしていた。
だから余計に頑張らねばと、考え、悩みながらバイクに乗っていて、
稽古場へ行くと途中に、車とぶつかってしまったのであった。

缶コーヒー投げは、後々聞くと、それが蜷川氏最後の怒りの投げ付けであったらしい。
(蜷川氏は演出中、識を高める為か、灰皿を投げるのが有名であった)
それ以降はどんどん温厚になっていったらしい。

しかしある雑誌で、若手女優が灰皿投げつけ最後の女優と書かれていたのを
見つけた時は、少し複雑な気持ちになった^^。

No.052
「貧民クラブ」
それからは又、徐々に集団生活、
団体行動への拒否反応が出始めて、
群衆、コロスばかりを演っているのでは
面白くないとも思いだし、
蜷川スタジオを二年余りで、
静かにフェードアウトしていった。
常に二年周期の飽き性な男であった。


それにしても、
あの芝居で見事に演じきっていたならば、どうなっていたのか、
それでも、二年周期はやって来ていた様には思うけど。
この次の次の時代のため^^

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