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写真 阿南健治プロフィール
東京サンシャインボーイズ時代
(27〜33歳)
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No.028
ショーマストゴーオンより
長い序章が終わった^^。
この時代の第一章、活動開始編は、
友人の友人であった三谷氏へとの出会いから始まった。

私はその時、まだお客の動員数が500人足らずの、
小さな劇団「東京サンシャインボーイズ」に、
偉そうにも先ずは台本を読ませてほしいと、
あの三谷幸喜氏に言っていた。

その誘われた時の芝居は、
先の時代の林海象氏の映画に出る出ないで、
やきもきしていた時だったので、
台本は今までになく分かり易くて、面白かったのだが、断ってしまった。

No.062
友人が編集していた小冊子用の
元気なサラリーマン
いまだに三谷氏は、
「あの時の私は天狗だった」と笑い話として言っている。

そして有り難い事に次の芝居にも私を誘ってくれた。
それから五年間、
14本の東京サンシャインボーイズの芝居に出ることが出来た。

この時代からである。ちゃんとまともに役を貰い、
芝居というものを真剣に考え始め、実感し充実し、活き始めたのは。
やはり役者は、芝居とまともな役さえあれば生きていける。
それも面白い才能に触れていれば、
より一層刺激され、楽しさ倍増であった。
私の二年周期も夢中の中、忘れられていくだけであった。

バイトをしながらも、コンスタントに年二回から三回の公演をし、
三谷氏から与えられる役を、何とか三谷のイメージを超えようと、負けまいと^^、
月日を重ねていった、そんな楽しき時代であった。

No.032
勝手に応募したゲーテ「プロメテウス」の
朗読コンテスト
声がデカかった
審査員特別賞を貰う
やがて5年後に三谷氏が解散(休団)と言った時、
役者は個人である。集団ではないと言う自分の考えから、
反対することもなく、喜んで賛成していた。
常に新しいことを求める私にとっては、
二年周期が倍以上の五年にもなれば動き出し始めていたのか、
ちょうどいい時期だったとも思った。
前向きな次へのステップの為に、
現代へと私は又、動き始めたのでありました。

No.060
ブロードウェイの生活より
この時代で楽しんだ、14本の芝居が、
今は、全て反省反省でしょうがなく、
今やればもう少し肩の力も抜けて、
三谷氏のイメージも、
超える事が出来そうな、気もしないでもないのであります^^。
又別な感じで三谷氏の世界の住人になれそうな感じがするのであります。

そして又いつの日か、三谷氏の世界の住人になる事がある時のために、
次の時代、現代を多いに楽しみたいと思っている私なのでありました。


しかし三谷氏に出会っていなかったら、その次の現代はどうなっていたのでしょうか、
感謝、感謝でございます^^。


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