楽屋 楽屋保存版(2)
Ana-Ken's relax sub-room No.2
1999.05.04 〜 1999.07.22
あなけん業界用語辞典^^
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1999/07/22 〈[24]独り言編:あなん、帰れません in 京都〉
1999/07/15 〈[23]裏話編:映画版「GTO」編・北海道撮影記〉
1999/07/07 〈[22]独り言編:北海道へ行ってきます〉
1999/06/26 〈[21]独り言編:『東京原子核クラブ』千秋楽〉
1999/06/19 〈[20]独り言編:大阪公演は異常な盛り上がり〉
1999/06/11 〈[19]独り言編:東京原子核クラブ:東京パルコ公演〉
1999/06/05 〈[18]独り言編:もっと多くの方に観て貰いたい〉
1999/05/31 〈[17]独り言編:『東京原子核クラブ』公演初日〉
1999/05/20 〈[16]独り言編:いよいよあと10日〉
1999/05/11 〈[15]独り言編:母校が無くなる〉
1999/05/04 〈[14]独り言編:昔とったきねづか〉

1999/07/22 〈[24]独り言編:あなん、帰れません in 京都〉 戻る
 私は今、京都河原町のインターネットカフェから、この「楽屋」へのメールを急遽、 オフの日に送っています。3日間休みが続かないと、東京には帰ることは出来ないみたいで、 8月中旬までは帰れそうにないのです。それを京都に入った日に聞かされて、慌てて、 京都の街では数少なくなったらしい、この手の cafe を偶然にも探し当てて、 今日送ることが出来たことにホッとはしているのですが、PCの環境が違ってよく解らなく、 店員の人に、何度も聞きながら何とか送っております。
 さて12時間ドラマの撮影も、夕立ちに遭いながらも、何とか4日間終えて、 そしてまだまだ続く訳でして、途中一月程休みがあっての、噂では11月一杯までの撮影になるらしく、 これはもう覚悟を決めて、多いに楽しむしかないと思っております。 そして何よりも先ず嬉しかった事が、撮影がフイルムだった事なのです。 今のテレビ時代劇は皆、ビデオになってしまっていて、辛かったのですが、 カメラにケーブルが出ていないのを、撮影初日に見つけて、共演者の船越栄一郎さんと微笑み合いました。 先ずはこれは本当に嬉しい事なのです。そして35年間時代劇を演ってこられた、次郎長役の杉良太郎さんに、 学び、もまれまがら、多いに楽しもうと船越さんと決意を固めた今日この頃なんです。(^^)。 頑張らねば、これからですから。
 それから、私へのメッセージのお礼のメールは、いつもすぐに送るようにしているのですが、 今は見れず、送れずの状態ですが、8月中旬帰り次第、すぐに送りますので、 どんどん送っておいて下さい。よろしくお願いします。
 それではみなさんお元気で、次回は30日のオフの日にでもまたここに来て、 一言でも送りたいと思います。本格化してきた、京都の夏の暑い事といったら、ほんまに暑いですね。
 暑中しょっちゅう汗の中、いつもの夏の決まり事、多いに笑い、汗の夏よね。

1999/07/15 〈[23]裏話編:映画版「GTO」編・北海道撮影記〉 戻る
 7月の北海道はとても爽やかでした。木陰に入ると、楚々吹く風に、出番を待っている間なのに、 ついつい居眠りをしてしまいそうな心地よさでした。長閑な街の見知らぬ真直ぐな道を一人歩いていると、 その夏を独りだけで受け止めて、独り占めしている様な感じにもなり、なぜか寂しくて、切なくなりました。
 さてさて映画版「GTO」の撮影なんですが、今の気持ちは折角撮った私の所が、 カットにならない事を心より祈るだけといった感じです。内容は観てのお楽しみという事にしておきますが、 私の役は地元の土木作業員でして、作業着姿がやけに似合ってました。初めの台本では、 有るきっかけを作るぐらいの感じだったのですが、監督の鈴木さんが私の芝居を増やしてくれて、 鈴木さんとは以前フジテレビの「こんな私に誰がした」の時にお世話になった監督さんでして、 久しぶりのご一緒だったんです。撮影は、ラストの方のシーンで、出演者総出演で、 賑やかに盛り上がっていきました。私の出番は初日から三日間は、ほとんど無く、 あっても広い絵の中で点の様な感じで、それでも出ている限りは何とか存在を主張しようと楽しんでいました。 そしてオールスターが皆撮り終えて、帰って行って、寂しくなった四日目、本来は予備日の日に、私だけの、 アナンデー、役名で西山デーとようやくなった日だったんですが、朝から雨で、三日間は晴れだったのにと、 現場にたどり着いてもまだ止む事はなかったのですが、愕然となる間もなく、覚悟を決める間もなく、 やがて嘘の様に青空になり、なんとかどうにか、面白可笑しく、だけど呆気なく13時前には、 私の日は終了してしまい、「ええのかいな、ほんまに」と思いつつも、カットになる事も覚悟しながら、 東京に帰る事もなく、することの無い芦別のホテルで、 夜のバーベキューパーティーをひたすらに待つだけであったのです。 役者はメインキャスト二人と学生役の子供達しかいなくて、「なぜ私がいるのか」と、 人見知りの極端な私は、居場所を探しながら、ジンギスカンを腹一杯食べて、気持ち悪くなったという、 映画版「GTO」出演記の巻でした。放映される正月がとても楽しみです。出ているのはほんの少しではあるのですが。
 そして次は、明日15日からの京都です。正月12時間ドラマ「次郎長三国志」の撮影の為、 松竹京都に行って来ます。一回目の帰りは、恐らく23日だと思います。 今の所ノートパソコンを持っていない私にとっては、またそのときにでも、夏から秋にかけて、 11月初めまで、目一杯京都だと思います。それでは皆さんお元気で、また。
 ささやかな夏の思い出は、いつの日かささやかにお話しいたします。

1999/07/07 〈[22]独り言編:北海道に行ってきます〉 戻る
 皆さんお元気ですか?雨が降れば大雨、晴れれば蒸された暑さ、体調とかいろいろと大丈夫でしょうか? 私は来年の正月映画、映画版「GTO」に最後の方にちょこっとだけ、土木作業員で出る事になり、 7/8〜7/13まで北海道の芦別市に行ってきます。出番はほんの少しですが、楽しんできます。 帰ってきましたら、又楽屋にでも。
 そしてNHK水曜ドラマ「素敵にライバル」いかがでしょうか?7/7の第2話にはなぜか登場しません。 打ち上げの時にディレクターの方に、「2話出てなくて、ちょっと寂しかったなあ」と告げると、 「そうなんだよね、出てないんだよね」と言ってくれて、「私なりにどうにか出れないものかと考えたのですが、 どれも無理やりで」と笑いながらも、告げるだけは告げたんですが、やはり無理やりでも全話、 出たかったと思ってました。「役者は出てなんぼ」という私の考えもありますしね。 私は2話は出ませんが、5話最終話まで「素敵にライバル」よろしくお願いします。そしてまた、感想などを教えてください。
 それでは、北海道に行ってきます。皆さんお元気で、又です。

 七夕を唄いて願い懐かしく、天空晴れて我の願いよ。

1999/06/26 〈[21]独り言編:『東京原子核クラブ』千秋楽〉 戻る
 舞台「東京原子核クラブ」がついに千秋楽を迎え、福岡から、打ち上げで盛り上がりすぎて、 朝の6時までカラオケではしゃぎ、声を枯らし、疲れ果てた体で帰って来ました。 東京亀有には、パルコに行けなかった方が「この機を」という感じで来てくれたみたいでした。 そして一日おいての広島での二回公演。原爆を扱った今回の芝居の内容から、 特別な思いが演じる役者達には有ったのですが、反応は他の所と余り変わらなく、 特別なものではなかった様に思えました。拍手も同じように暖かいものでした。 しかし受け止め方、内容に対しての距離感の違いは何となく感じました。
私は広島最終日、劇場に入る前に、大雨の中、がれきが語る原爆ドームを見に行きました。 あの上空580mで裂烈した原子爆弾のパワー、たった1キロのウランからどうしてあれほどのエネルギーが出るのかが知りたくて、 資料館とかに入り、そしたらその資料の数々に54年前の事実が重くのしかかってきたりして、 また増えていく時間によって事実が薄められていくのだろうとも感じ、又広島の方はやはり身近であるだろうし、 科学者に対する思いとかの感想を是非聞いてみたかったと思いました。また今後事実は薄まることなく、 生生しく主張し続けなければいけないとも思いました。それから私たちは終演後計画通り、 お好み焼きを食べ満腹になったのです。そして次の日、福岡でのラストワン。 福岡のお客さんのノリは大阪のお客さんと似ていたように感じました。そしてラストとは言え、相変わらずのドキドキで、 舌のもつれもありながら、「演り残すことのないように」という思いは力にこもっていたように思います。 そして最後の最後まで、安定はせず、いいかげんな武山はいいかげんのままで、まだ終わった気がしなくて、 また一日二日おいて、演らなければいけない様な気持ちで、今はいます。まだまだ解放には時間がかかるようで、 次の新たな役が来るまで、ゆっくりと武山から離れていこうかなと思っています。 今回の舞台もいろいろと勉強になりました。次の舞台はいつになるのかは判りませんが、演るときは、 今回とは全く違う役を次は演ってみたい気がします。そのときも又皆さんいらしてください。
 そして最後に、今回の舞台を観に来て頂いて本当に有難うございました。 それではお元気で、夏のささやかな思い出の独り言は、次回ささやかに語りたいと思います。 空が見え、暑く輝く夏の陽よ、まだまだこれから夏はまだまだ。

1999/06/19 〈[20]独り言編:大阪公演は異常な盛り上がり〉 戻る
 大阪、名古屋公演、無事終了し、戻って参りました。大阪では初日から異常な盛り上がりで、 全ての事に笑うという、「笑いに来たぞ」と、正にスイッチが入るような感じで、 東京パルコ公演とは少し違い、戸惑いながらも「その笑いは違うのでは?(^^)」と思いつつも、 盛り上がりの中、幕は降りていきました。 そして初めてのダブルのカーテンコールで慌てて舞台に飛び出していく役者たち。 素で出ていくカーテンコールが苦手な私は、嬉しく有るものの、恥ずかしくて戸惑うばかりでした。 大阪公演4回全てにダブルのカーテンコールが有り、盛り上がりの中、無事終了しました。
 そして凄まじく暑い次の日、尾張名古屋へ移動。その次の日は風が強くて、 梅雨が梅雨らしくなろうとしている日で、一回きりの名古屋公演。わさわさの中、準備に入り、 800名近く入る新しく立派な劇場に果たして、何人来て頂けるのかと、不安の中、幕は開き、 それなりの反応、楽しんで頂けているような感じながら、私し事では、相変わらずの舌のもつれ、 細かい失敗も初日ならではで、やがて何とか幕は降りていきました。 スタッフは一回きりなので、一場一場終わるごとに片付けに入っていってました。当然の事です。 そして名古屋でもダブルのカーテンコールがあり、出ていき、初めてお客さんの少なさに驚きました。 800近くも椅子があるので、余計に少なく感じたのか、座ってない椅子の数の方がはるかに多くて、 青色の椅子が目立ってました。お客さんもこじんまりと中央辺りに固まっている感じで、 なんとも有難く思うばかりでした。
 又名古屋公演の前日の夕刊に「東京原子核クラブ」にとってはタイムリーな記事が一面に載り、 偶然で、凄い事だなと思った記事の内容が、「理研、仁科博士原爆の原理を誤解」というもので、 微笑ましくも、いろいろと私は複雑な思いの中、名古屋公演を向かえたのでありました。 慌ただしくもいろいろとあった様な感じの大阪、名古屋でした。
 さてさて残り東京亀有、広島、福岡と4回公演になってしまいましたが、大切に、 来て頂いたお客さんと共に楽しみたいと思います。
 次回は舞台も終え、ほんの一息のんびりと、7月入る夏の思い出なんかを独り言で。

 雨が来てあじさい密かに喜びて、これから夏の思い出よ。

1999/06/11 〈[19]独り言編:東京原子核クラブ:東京パルコ公演〉 戻る
 東京パルコ公演無事終了しました。終わって見れば15ステージはあっという間でした。 一つ一つにいろいろと思いを積み重ねていきながら、はしゃいで、 汗が噴き出している間に終わっていっている感じです。 皆さんの私への感想も、つかみどころがないのか、それとも単純過ぎるのか、 「元気」、「パワフル」、「バイタリティーがある」、「動きがいいね」、「味がある」、 果ては「口が大きいね」、まで様々な感想を貰い、役者である知人からは、 「うるさい」(たしかに)、 「もっと息を吸った方がいいよ、いっぱい酸素はあるんだから」(オレもそう思う)、 「もう一幕でお腹いっぱい、二幕も出てきて終わったときにはゲップが出るほどだった」 (いい意味にとろう)などなどの意見を貰い、嬉しく、それらを励みに、 大阪、名古屋、東京亀有、広島、福岡での残り9ステージではもっと楽しく、 はしゃぎたいと思っております。まだご覧になってない方は、 先の意見等に納得されるかもしれませんが、気にせずにご覧下さいませ。 心を大きく、白紙にして観て下さい。
 次は大阪、名古屋公演を終えての、旅でのお話しでも出来ればと思っております。
 それではお元気で。梅雨時ですが、体調を崩さぬように。

1999/06/04 〈[18]独り言編:もっと多くの方に観て貰いたい〉 戻る
 「東京原子核クラブ」東京公演も半分を終えようとしています。 来て頂いた方の評判は皆さん一様に「感動した」の気持ちを伝えてくれます。 改めていい芝居なんだなと思ってしまいます。 しかし、先日の平日マチネのお客さんの数の少ないことに驚きました。 お客さんが少なくても多くても演ることは同じで、同じだけの熱は発するのですが、 折角の評判のいい芝居がもったいないようで、もっと多くの方に見て貰いたく、 急遽独り言を発したくなった次第です。きっと残りは口コミで増えていくだろうと期待はしているのですが、 皆さん何かの機会にはよろしくお願いします。
 追って又、残り半分終えた時点での報告はします。それではお元気で。

1999/05/31 〈[17]独り言編:『東京原子核クラブ』公演初日〉 戻る
パンフレット  「東京原子核クラブ」の初日を無事向かえ、そしてドキドキのうちに何とか終えました。 お客さんが入り、反応があり、一つの舞台が成立し始めたと言った感じでした。 これからの残り23ステージをお客さんと共に、舞台がもっと高められていくことを、 ひたすらに楽しみにしながら、頑張らねばと、楽しまなくてはと、気持ちを新たにした、 次第です。しかしいつになく、とてもドキドキでした。久ぶりだったからなのか、 なんだったのか、ドキドキでした。前日のゲネプロ(本番舞台稽古)で、 芝居を5分以上縮めたテンポの速さに、ぎこちなくなり、自分としては失敗に近い形だったので、 余計に意識をしたせいでの、ドキドキだったのでしょうか。とにかく開演までドキドキでした。 開演中もドキドキでした。そして初日をなんとか終え、明日へとステップアップ出来そうな、 そして落ち着いていけそうな感じになったような気がします。 初日を見ていただいたファンの方からの早速のメール「良かったです」の感想を励みに、 頑張っていこうと思います。
 そしてこれからご覧になる方、どうぞ感想などを教えてください。
 初日を終えた役者の独り言でした。次は東京公演終了6/10辺りにでも。
 それではみなさんお元気で。

1999/05/20 〈[16]独り言編:いよいよあと10日〉 戻る
 皆さんお元気でしょうか?私は今は舞台の稽古の真っ最中です。今までは1場1場づつの抜き稽古だったのが、 ついに通し稽古に入りました。つなげて演って見ると全体が見えてくると言うか、自分の役というもの、 立場が見えて来始めたような、稽古もいよいよ本番に向けての本格化であります。 1幕と2幕、休憩を挟んで、3時間弱の芝居になりそうでして、確かに長いと皆さんも思われることでしょうが、 気楽な感じで見て貰える芝居だとは思いますし、なんとか2時間45分までにはしたいと、 皆一丸となって頑張っております。しかしまだまだ固まっていない私は、余計な事ばかりして、 縮めたい時間を延ばしています。軽いハプニングにまで反応して、余計なことをしてしまうのは、 どこかでこびりついた性分なんでしょうか?何とかすっきり、軽やかに演りたいと、 演出家が思っているのと同時に私も必死に思っております。5/30の初日まで後10日です。 この10日間の盛り上がり次第です。通し稽古を見て、初演の評判の良さが判るような気もしました。 戦前戦後の青春群像劇として、何かが浮かび上がって来て、確かに伝わればいいなと思いました。 しかしそれは見て下さるお客様が感じることで、演っている本人からは、なにか何も言えないような。 「とにかく楽しんでます」としか言えないような気もします。
 どうぞ楽しみにしてください。いつも言ってますが、私も何より楽しみなんです。
 それでは今1度いや2度3度、台本に目を通して、明日を向かえようと思います。
 次は初日報告を。果たしていかなるものが。
 「舞台はお客さんと作るもの、作られるもの」と思ったりもしていて、早く舞台で、 お客さんの前で演ってみたいと、脳の隅っこ辺りがうずうずしている事も、追伸として。

1999/05/11 〈[15]独り言編:母校が無くなる〉 戻る
 私があの3年間を過ごした高校が、まだ20年程しか経っていないのに、廃校になるという噂を耳にして、 初めは驚き、次に「そんな事は有りえないよ」と全く信じていなかったのですが、 それが事実に近いという情報を得て、なぜか心がドンと重くなってしまいました。正直去年までは、 愛校心とか、母校とかいう言葉は私の中にはそれほどなかったのですが、 去年の「笑っていいとも」で花束紹介の時、兵庫県立武庫荘高校の名前を口にし、 それを口に出来たことにまず嬉しさを感じ、そして私の母校なんだと、 自分にとっては一つしかない母校なんだと、いつまでもあの街に、 武庫川という川の側にあるんだという安心感からか意識もしていなかった母校を、 改めてその時から意識し始めて、今後何かで盛り上がっていけばいいなと密かに思っていたのに、 その高校がなくなってしまうというのです。決して私の中ではあの3年間の記憶は、 消えることはないのですが、その記憶に対の様に、常にさりげなく寄り添っている物がなくなってしまうと、 何か不安定さを感じ、落ち着きをなくしてしまう様で。やはり母校とは意識されずとも、 いつまでもあの場所に有って貰いたいものなのでしょう。そして又先輩、 後輩が9000人ちょっとで止まってしまうということにも、思いが複雑になっていくようなのです。
 そしてこれからは「今はなき・・・」を初めに付けなくてはいけなくなるのでしょう。 この様な事はどうしようもないことなんですが、どうにかしたいと思ってしまいます。 そして身近に起こると、いろいろと考えてしまいます。今回は本当の独り言でした。
 次の独り言はそろそろ舞台の稽古も終盤に来ていて、通し稽古に入っている頃で、 その様子をお伝え出来る何かが有ると思います。それでは又、お元気で。

1999/05/04 〈[14]独り言編:昔とったきねづか〉 戻る
 NHKのドラマも無事終わり、放送中の昼ドラも気になりながら、いざ舞台への突入モードに入ったものの、 久しぶりの舞台の立ち稽古で、勝手がどうも違っていて、なんだかどうも落ち着ちつかず、 初回はちぐはぐだったんですが、なんとか早めに「昔とった、きねづか(^^)」にまでもっていって、 それから楽しみたいと思っています。どんな芝居になるのか、私は楽しみです。 ちなみに大声だけは「昔とったきねづか」でした。それでは又。

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