楽屋 楽屋保存版(3)
Ana-Ken's relax sub-room No.3
1999.08.03 〜 1999.10.31
あなけん業界用語辞典^^
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1999/10/31 〈[38]独り言編:我がものにした休み〉
1999/10/24 〈[37]独り言編:GTOと言えばG1(ジーワン)?です〉
1999/10/14 〈[36]独り言編:「芸能人!」〉
1999/10/07 〈[35]独り言編:リアクションに命を賭けて〉
1999/09/23 〈[34]独り言編:京都の空に中秋の名月〉
1999/09/23 〈[33]独り言編:次郎長親分の記念パーティー〉
1999/09/17 〈[32]独り言編:携帯電話を買った〉
1999/09/10 〈[31]独り言編:1999年9月9日〉
1999/09/03 〈[30]裏話編:9月です〉
1999/08/27 〈[29]裏話編:ついに馬です〉
1999/08/21 〈[28]独り言編:「Eメールに関して」の取材〉
1999/08/14 〈[27]独り言編:その有ることとは?〉
1999/08/05 〈[26]独り言編:我は聴く、命激しき蝉の声。〉
1999/08/03 〈[25]独り言編:半月も自分のHP見てない〉

1999/10/31 〈[38]独り言編:我がものにした休み〉 戻る
 先日の大雨と雷は凄くて、そして次の日、暖かい南風が勢いよく入り込んできた。それに戸惑いを見せていた、 人と秋。皆さん、お元気ですか?もう11月です。とても早いです。一週間の休みを我がものにしたものの、 映画を3本見て、図書館に行き、テレビゲームをやって、新しいオリジナルなドラマを考えようとしたりしていましたが、 まだ京都の撮影が残っているせいでしょうか、なかなか集中出来なく、落ちつきませんでした。
 そんな我がものにした休みの初日、 季節も良くなったのでと、春先以来で久しぶりに走ったのですが、なかなかどうして、キツくてキツくて、 我が37の胸毛の生えた肉体が爆、爆と、(おっとここはMBではなかった)バグバグと苦しさを訴えてきて、 春先は平気で走っていた距離を、自分に「本日は許してくれ」と懇願しながら、随分と手前にゴール地点を設け、 終了してホッとしたのでした。しかしそのバグバグもいきなりで、それまでは頑張れていたのです。 それは私の後で走る全く知らない、見ず知らずの人のおかげで、随分と手前で一度抜いた人がいつの間にか私の後ろに来ていて、 私を抜くこともなく、少し後ろで一緒に走っている感じで、全くの見ず知らずの人が後ろで出す音、 恐らく衣類の金具の音でしょうか、一定のリズムを切っていて、一度「抜かないの?」と言った感じでチラっと振り返っただけで、 ずっとその人の出すリズムで共に走る事は出来ていたのですが、私が曲がり、その人が直進して、 そのリズムが消えた途端に、いきなり私の肉体は「やめてー!!」の声を上げたのでした。とさ。そしてその時私は、 いつも孤独に走っていたので、たまには人のリズムで走ってみるのもいいかなと、頑張れることもあるのかなと、 ちょっと不思議さを感じながら思いました。とさ。
 朝起きて、メールチェックをし、自分のHPだと言う事をなぜか忘れてしまい、一ファンの様にHPを覗いて、 楽しんで一日を始めていた日々をひとまず終えて、京都へ行って来ます。次回の独り言は、 長かった京都での日々のまとめなどを書いてみようかなと考えております。それでは、皆さん、お元気で。

のんびりと 時を過ごせと 命じても 脳は刺激を 常に求めて。

1999/10/24 〈[37]独り言編:GTOと言えばG1(ジーワン)?です〉 戻る
 先日映画「GTO」のアフレコの為に一日だけ東京に戻ったのですが、15:30より始まって15分程で、 懐かしさに浸る間もなく終わってしまったのでした。アフレコの箇所は台本にない、 勝手な私のアドリブの所で、アドリブゆえ所々あやふやで早口でごまかしていて、 それをはっきりとしたものにする為のアフレコだったんです。私は映ってなくて声だけで、 10秒程少年に怒鳴っているカットで、一回テストをやって、本番、はいOK、 「お疲れ様、又宜しくお願いします」と私は挨拶をし、あっさり15分程で終了。 そして東京の日活撮影所を後にした私でしたが、いつもの事ながら、あれでいいのかと反省しきりで、 もっと面白く出来た、閃き瞬発力に欠けていたなと、悔しい思いの中、 駅までの道のり一人ぶつぶつ呟きながら、 あの10秒程のアドリブを完璧な私だけの台本の台詞として一人完成させていき、 そのまま京都へと向かって行ったのでした。その一コマが何処なのか、 正月映画「GTO」でも見て確かめて見て下さい。あっと言う間かもしれませんが。
 しかしいつまで経っても悔しさが残ってしまい、それはなぜなのかと考え始めて、 以前にも何度か同じ考えになった事はあったのですが、「どうしてああしなかったのか、 ああしたのか」と、その何気ない行動、無意識さが、 自分の人生を決めていっているのではないかと言う怖さまで考えが発展していき、 いつまでも頭から離れなくなっている様に思うのです。だから気合いを入れて^^生きていかなければ、 決まっている様な運命のままに流れていくぞと、力を込めていたりして、いろいろ考え、 いろいろと感じて、何だかややこしい私でありました。また京都でも一週間の間のあく区切りの日、 最後の最後で気持ちよく又来週と言いたかったのですが、折角のタイトルバックの ワンショットの表情が中途半端で監督の意図を理解する間もなく、惑いながら演っている内に、 「はいOK!」それもまあええわ的OKで、悔しさのままの帰京でした。 あのタイトルバックのカットは使わないで、ちゃんと生き生きと芝居をしているカットを 使ってくれーと願うばかりです。ハー、頑張らねば。悔しさをこの場で吐いて、 少し紛らせている気がします。有り難うございます。 さてさてガラッと話を変えまして、 GTOと言えばG1(ジーワン)?です。秋のG1が始まります。競馬です。 秋華賞(4才牝馬)から毎週、12/26の有馬記念まで強い馬たちが一等賞を目指して 一生懸命走る季節です。いつの日にか「ワラウアナケン」「アナケンザゴー」 「アナケントミンナ」等などのアナケンの付く馬たちがターフを走る事を夢に見て、 この話については又別の機会と言うことで、本日は又長々とでしたがこの辺で。 それでは私は一人予想に入りたいと思います。皆さんお元気で、では又。

秋桜が 道草のよう 田舎道 なごむ私に 花は微笑み

1999/10/14 〈[36]独り言編:「芸能人!」〉 戻る
 京都にほんと、長いこといるぞと感じ始めている私であります。そしてその京都と言えばやはり 修学旅行です。先日、インターネットカフェからの帰り、嵐山行きのバスを待っていると、 修学旅行中の女子学生のグループがそのバス停にやって来ました。 そしてその中の一人の学生と私は目が合ったのです。いつも殆ど気づかれることなどない 黒縁の眼鏡をかけている私は、その女子学生の目と視線を合わせたまま止まってしまいました。 3秒弱はあったでしょう。その後です。私の背後が騒がしくなり始め、 次から次へと女子中学生たちが通りを確かめる振りをしながら、 私の横にやって来ては私を見て後ろに報告に行く。それも別に興奮するわけでもなく、 単なる顔を確認するだけで、次から次へと確認される私は、気にすることもないのだが、 どんな顔をしたらいいのか判らなくなり、なかなか来ないバスに時計を見ながら、 声を掛けてくれればまだ楽なのにと思いながら、顔には落ちつきがなくなり自然さ、 普通さを失っていた様に思います。
 そしてやっとバスが来て、ほっとしてたら、後からそのグループも乗って来るではありませんか。 降りるまでの30分ちょっとの時間、時折来る視線に対して、心の声はひたすら喋っていました。 「私、あなんと言います。よろしく!」「◯◯に出てました」「これHPのアドレス。見て」等など、 いつもより先で降りるバス停、車折神社前まで、あれやこれやと考えながら、 自然体を心がけ続けていました。そしてやっとたどり着き、バスを降りようとしたとき、 私を見つめていた女子中学生の一人が、「芸能人!」と小さく声を掛けてきたのです、 不覚にも解放された喜びからか思わず笑ってしまった私でありました。 まだまだ中途半端な芸能人だなあ、という思いのまま、車折神社の鳥居をくぐって行きました。 車折神社には、芸能神社があり、京都に来たらいつもお参りしていて、この日始めて今回のお参りをしたのでした。 しかし今回も、怪我のないようにとお参りしただけで、早く立派な芸能人になれますように、 なんてお願いはしませんでした。そしてあの彼女たちの中の誰かが、いつかまたテレビとかを見て、 「あっこの人」と驚き喜んでくれるたら嬉しいなと思うばかりです。私を街で見たら、 声をかけて見て下さい。ちゃんと返事しますから。体験談まで。
 そして突然ではないけれど、突然の様な一時帰還。けどまだまだ続く事からか、 リラックスは出来ず、嬉しくも喜べなく、帰りたくても帰れない、共に苦労している子分衆の中で、 一人だけ一抜けた様な感じで、申し訳なく、すぐにまた戻るのだが、何だか複雑の思いの中、 今までの反省をしながら、一生懸命?休んでいる今の私であります。ではでは、次がいつかは、 又判りませんが、皆さんお元気で、暑いけど秋を楽しんで下さい。

風の道、金木犀の香る道。甘く毎年、忘れず香る。

1999/10/07 〈[35]独り言編:リアクションに命を賭けて〉 戻る
 一夜の雨で、すっかり夏が流されてしまった感じの京都です。ドンと冷え込みが腰を降ろした様な感じではあります。 しかし時折昼間は、名残惜しそうな夏の欠片が残っている京都でもあります。陽射しも激しくも柔らかく、 日々落ち着いていく感じの10月初旬の京都です。そんな10月と言えば、運動会です。先日神戸市北区に住む、 甥と姪が通う幼稚園の運動会を、運良く観ること出来、社会の中で皆とちゃんとやっている甥姪を見ると、 今までとはまた違う運動会に見えてしまいました。しかし、いろいろなお遊戯とかのパフォーマンスに完璧さを 幼稚園児にまで求める私は、これはもう職業病だと思いました。そして凄いカメラの数、場所取り、熱気が、 何だか記者会見の様でした。
 さてさて10月に入り、次郎長親分が撮影に参加、24日までしか時間が無い親分。 私は子分の一人として「親分!」「なに?」「おー」「へい」と言った台詞を吐くだけで、 一日一個の楽しみな台詞もカットになったりしながら、主にリアクションに命を賭けている毎日であります。 次から次へと撮影が進む勢いの中、一瞬で判断して、何か演らねばならなく、別に何も演らなくて、 いるだけでもいいのですが、私が演ると五月蝿い背景にもなるのですが、それは注意しながらも、 もう病気なんですね私にとってはこれは。だから何も出来なかったら、終わった後悔しくて悔しくて、 反省の日々なのです。そんないろいろなことには決してめげずに、考え、勉強になると、 日々楽しむ事を体に染み込ませながら、まだまだ続く京都での日々を過ごしている、今日この頃かな?
 それではまた、お元気で。次は10月中旬にでも、内容は同じ感じかもしれませんが、変化あることを期待して、 私の他愛もない独り言でも又聞いて下さいな。

樹の蔭で 秋風聞けば 眠くなる 休み豊かに ひとときなれど

1999/09/30 〈[34]独り言編:京都の空に中秋の名月〉 戻る
 京都の朝夕が、涼しさを増し始めました。皆様の所はいかがでしょうか?そして夜空には中秋の名月です。 この中秋の名月の中秋が、中(なか)に秋だと判ったのが、私は最近かもしれません。旧秋の名月、 有終の名月とかで、思い込んでいたんです。夜を迎えたばかりのまだ青さが残っている空に、 ぽっかりと満月の光が白く、まっすぐに輝いていて、竹取物語が生まれたのがわかる様な気がします。 京都で一人、また実家の田舎町で見る月は、また違って感じに見えていました。そしてこの美しさを写真にと、 持っていた使い捨てカメラを構え、覗きましたが、圧倒されていた美しい月が、小さく遠くにポツん、 になってしまって、シャッターは押さずに、望遠レンズ付き使い捨てカメラを望みながら、いつまでも月を見ていました。

大池に 揺れる満月 静の京 見つめる後ろ チャンバラを撮る。

そして、月と言えば、酒です。先日昔の仲間と酒を飲みました。東京サンシャインボーイズの相島一之氏と小林隆氏とです。 同じ宿に泊まる三人で、懐かしく、京都の撮影所は初めての二人と三回目の私で。 二人は東映の方で、私は松竹。いろいろと話をしながらも、要はお互いに頑張ろうと言う思いの中、 私は一時迄、二人は三時まで飲んでいたのでした。偶然にも飲んでいる時に劇団の人間が二人もTVドラマに登場して皆、 頑張ってるなあと盛り上がっていきました。
同じ劇団だったメンバーの頑張りに、気にはしていなくても、気にはなっているのか、 飛び抜けて売れているN氏を筆頭に、劇団のメンバーと、あれやこれやと比較されている様だと思い込んでいたりして、 それがまた刺激となっていたりして、久しぶりに再会して、飲んで、喋って、部屋に戻って、 改めて頑張ろうと、思いながら眠りについた夜でした。
そして起きた朝が、

   朝夕の ヒンとした声 心細 激しき夏が 少し懐かし

 それでは、皆さん十月もお元気で。そして十月から主役次郎長親分の合流です。 参加できる24日まで朝から晩までの怒濤の撮影になっていくのでしょう。大いに楽しみましょう、人生を。 ではまた。

1999/09/23 〈[33]独り言編:次郎長親分の記念パーティー〉 戻る
 もうワイドショー、スポーツ誌等で御存じかもしれませんが、先日、次郎長親分の芸能活動35周年、 福祉活動40周年の記念パーティーがあり、行って来ました。ファンを含めて、 900人近い人たちが90余りのテーブルをそれぞれで囲み、盛大に行われました。 私は子分衆のテーブルの中で、始まる迄興味深くきょろきょろしながら座っていました。 やがて会は、主役の登場から始まり、一番最初の挨拶が、なんと前首相の橋本龍太郎氏でありました。 落ち着いた慣れた語り口で、見事に客を引き付けていました。そして立続けに政治家さんたち5人の、 舞台慣れした見事な挨拶。その政治家さんたちが動く度に、舞台下の両脇いるSPの目が、 鋭い目になり、きょろきょろと動きだし、緊張が伝わって来くる程でした。ここで、変な動きをしたら、 一斉にこっちへ動き出すだろうなと、思いながら、冗談で何かしたくなる自分を必死で押さえていました。
 そして、会は一時間近い挨拶の後、鏡割りの儀式に入り、何と子分衆の名前が呼ばれ始めて、 その中に私の名前もあるではないですか、驚きの中、皆の後ろに付いて行き、舞台に上がり、 次郎長のはっぴを着て、親分を囲み、紅白のリボンの付いた木づちを持ち、「せーの」の声を上げて、 樽(鏡)を割りました。そして乾杯!「おめでとうございます」
あれよあれよと言う間の初体験の儀式でした。舞台上に自分がいることが、不思議で信じられなくも、 笑顔な自分があそこにはいました。
 乾杯の後、会食。バイキング形式で900人?の行列、私は並ぶのを止めて、 空いたところを見つけては、ちょっこっと取って食べるぐらいで、折角の料理だったのですが、 余り食べれませんでした。そして、親分の歌が〆であり、三本締で子分衆が又、舞台に上がり、 三時間の会は無事終了しました。朝から、いやその前からずっとわさわさとしていた。 私にとっても、一つの大イベントが無事終わったのでした。そんなにあるものでもなく、 貴重な経験をしたと今は思っています。
 ところで、私は今、何周年なんでしょうか?初舞台が19歳だから、18年?
しかし、私にはデビューなどはなくて、いつの間にかこの世界に潜り込んで、 いつまでもいたいと思って、勝手に楽しんでいる、一役者ってとこですかね。 「頑張ろう!!(^^)」ってまた思っている、私でした。それではお元気で、さようなら。

時重ね 身に付く人の 面白さ 京の都で 歴史と思う

1999/09/17 〈[32]独り言編:携帯電話を買った〉 戻る
  先日ついに、この私は携帯電話を買う事になりました。今時、何をと思われるでしょうが、 私にとっては、なぜか一大事の出来事だったんです。必要ない、持ちたくないと頑固に、意志を持っていたのですが、 さすがに京都とかへ長期に行く際には必要になってきて、買う決意をしたのです。 それも、半端な決意ではないのです。パンフレットを有るだけ貰ってきて、多すぎる機種、 電話会社の中から、悩みに悩んで、最後は、全然決まらないので、もういいと言った感じである携帯電話に決めました。
 その日はもう買う気満々で、目を付けていた、近所のある店に行きましたが、 その店には、在庫がなく、やはり大手の店がいいのかなと、一つ目の躓き。 自分が決めた奴で本当にいいのかと言う思いも、余計に募りながら、 いつまでも悩んでいたって始まらないのだと、大手の店へ、そして店員を見つけ、 遠慮がちに「あれを」と決めていた奴を小さく指さして、ほっとしていたら、 私の決意を揺るがす一言、「こちらはどうですか?」と別の携帯を薦めてきた。 私はやや動揺。「えっ?こっちの方がいいのか?」と一瞬思ったのですが、 すぐに震える笑顔で「いいです」と答えて、事なきを得ました。 そしてついに購入、契約です。書類が出てきて、「運転免許証を」と言われて、 当然とばかりに余裕の笑顔で、いつも入れている財布を取りだし、免許証をと、 しかし「あれっ?」免許証がありません。「嘘だろ?」、 鞄にも、ポケットにも、どこにもありません。 笑顔で「いいですよ」と焦っている私を、見守る店員の横、 「うそだろ、待ってね、あのね、確かに・・・」と声に出しながら必死で探すも、 どこにもなく、やがて 「午前中に郵便局で通帳を作ったんです・・・申し訳ない!明日また来ます」 と告げてその場を去りました。買う気満々だった勢いが挫かれたのと、初めに 「免許証、持ってます」と言った恥ずかしさで、かっこわるく、二つ目の躓き。
 帰る途中、留守番電話を聞くと、郵便局から伝言が入っていて、ほっとしました。 渡し忘れていたとかで、石鹸を貰って帰ってきました。
 そして次の日、またその店に行き、昨日と同じ店員さんを見つけて 「昨日はどうも、免許証有りました」と挨拶して、 「ついに購入です」と一人扇子で汗を飛ばしながら待っていると、 向こうの方でその店員が、何やら焦り顔で、棚を他の店員と必死に探しています。 やがて私の所へやってきて、「すいません、売り切れました」と、 三つ目の躓きとなる私。けどもう一軒支店があったので、 「そちらにはありますか?」と聞き、有る事を知り、事なきを得ました。 そしてすぐにその支店に行ったのですが、同じ店なのに値段が違う、聞くと、 相場が日によって変わると知り、「昨日ならば」と四つ目は軽いショック。 けれども、買う決意に迷いが入る余地は疲れていた私にはありませんでした。 それにその店の初めに来た担当者さんが、 先の店のおとなしめの店員さんとはガラッと違っていて、大きくて、事務的で、 攻撃的な口調で思わず、弱っていた私は「ごめんなさい、買います」 と謝ってしましそうな、勢いの凄い、忙しい女性だったんです。 そして、そんなこんなでやっと、私は携帯電話を買うことが出来たのですが、今後、第五、第六の躓きで、 何か人に迷惑かけそうでこわい、私の他愛もない携帯電話購入話でした。「はあーしんどっ(関西弁)」(^^)。
 さてさて先日は敬老の日。私にはおじいちゃん、おばあちゃんはもういないのですが、 このHPを、どちらかのおじいちゃん、おばあちゃんも覗いてくれてれば、嬉しいなと思った。1999年の敬老の日でした。
それでは、次はおそらく京都より、いつになるかは判りませんが、お元気で。

秋は言う 残暑ざんしょと 楽しげに 今年もまたちゃう 夏から秋よ

1999/09/10 〈[31]独り言編:1999年9月9日〉 戻る
 本日(9/9)、1999年9月9日は、9が並んで、密かに盛り上がりを見せている様な、 1000年前は、すっきりと9が並んでいたので、もっと盛り上がったに違い有りません。 8000年後はもっと、もっと盛り上がるのではないでしょうか。 しかし、いったいどんな世の中なのでしょうか。8000年後って。
 そして本日(9/9)、2000年NHKの大河ドラマ「葵 徳川三代」の撮影の為、小淵沢へ行って来ました。 前日の夜に、小淵沢の駅に着き、ホテルまで、地図を見ると近そうなので、歩くことにしたのですが、 駅出て曲がると上り坂。どこまでも続く上り坂。それも街灯薄く、足下見えず、久しぶりの田舎の夜道。 残暑に蒸された雑草の匂いが、つんと懐かしく、切なさを誘い込む。そして不安と寂しさに中、 道を間違い、危うくとんでもない所へ行きそうになり、地図を広げて引き返し、道を見つけて歩いたら、 今度はもっと暗い道、山へ山へと入って行くが、我を信じてなお上る。私は、ひたすら一人で喋ってる。 怖さを紛らす独り言。やがて遠くに明かりが見えて、ほっと息吐き、急ぎ足。一人寂しくチェックイン。 誰かに「怖かったよ、大変だったよ」と話したくて話したくて、フロントの人に話そうかと思いました。 汗だくの泣きそうな疲れた顔で、「ねえねえ、聞いてよ」って。
 さてさて、撮影はと言いますと。鎧を付けて馬に乗り、落ちることなく無事終了「ホっ」でした。 しかしぶっつけ本番、勝手に走る様に調教されている馬を、止めるのには苦労しました。 初め、城の門を駆け足で入ってから手綱を引いたのです、勢いがついて、止まらなく、 カメラに突っ込みそうになり、NGを。そして次はスピードをコントロールしながら、 お尻だけでなんとかバランスをとり、門に来たらすぐに手綱を引いて、目印の所に何とか誘導し、OKを。 なんと二度だけの乗馬であっけなく終わってしまいました。 私のあの勇姿?がハイビジョンにどの様に映っているのかが、楽しみであります。 一瞬の馬の上の攻防ですので、来年の大河、第9話、瞬きせずに、お楽しみに。ではまた、お元気で。  泊まった「リゾナーレ小淵沢」は素敵なホテルでした。けど駅からは歩かない方が・・。

1000年の 時を待つ人 何を待つ 時の変化か めでたき事か

1999/09/03 〈[30]独り言編:9月です〉 戻る
 9月です。9月になりました。もう9月です。何だか早い気がします。それは私が今、 時を無理から早く過ごそうとしている感じだからでしょうか。次の日、次の日へと、新しき事、 楽しき何かを求めすぎていて、時間を焦らせ、気を焦らせているからでしょうか。 見えていそうで見えてない明日に、期待ばかりをしているなと、そんな思いに、ふとなった、9月初めのアナンでした。
 ヤングシナリオ大賞’99「離婚疎開」の撮影も無事終了し、あっと言う間の撮影でした。 初めは2時間ドラマだと勝手に思い込んでいたのですが、10/23(土)15:00からの1時間ドラマだと知り、 それもそうだなと、台本の厚さに納得しましたが、1時間ドラマとなると、 今回はそれ程なかった私の細かい余計な芝居が、カットになったり、ゆったりとした世界がどうなるのか、 編集、完成、放送が今から楽しみであります。監督はフジテレビの方で、今回初監督で、 フジテレビの今ある演出家の皆さんが通る道らしく、初々しくて、物作りの楽しさが伝わって来たようで、 私の脳の中で蠢く創作意欲が、刺激されて、また時を早めてしまいそうな、そんな9月初めの阿南でした。 それでは皆さん、お元気で。

柔らかな 空の情景 秋を見た 夏を思いて 明日を思いて

1999/08/27 〈[29]裏話編:ついに馬です〉 戻る
 2000年大河ドラマ「葵 徳川三代」にワンシンーンながら出る事になり、昨日スタジオ収録をなんとか終えました。 後は馬で尾張清洲城へ使者として到着するシーンを撮るだけです。役は、家康の家臣の子、村越直吉という、 知る人ぞ知る人物らしく、人名辞典を読むと、秀吉が知勇を認め、とか書いていたので、 私は勘違いをしてしまい、(よく勘違いするのですが)リハーサルで、お歴々の武将(中堅ベテラン俳優)の前に座り、 偉そうに振る舞ってしまって、ディレクターに軽く注意を受けました。私の役は下っ端も下っ端らしく、 関ヶ原を戦おうとしている有名武将らの前では、緊張で震えるほどらしく、私は見事に勘違いしていたのです。 それを知った私は、直ぐにガラッと切り替えて、おどおどする男をそのまま地の様に演じ、 なんとかリハーサルを終えました。そして次の日、初めての大河。鎧を付け、髭を付け、難しい武将用語も、 何とか緊張感の中で言い放ち、収録を終えました。まだまだ放送は先の先ですが、ワンシーンながら、 楽しみであります。次はレギュラーであの独特の世界「大河」に浸りたいと思います。NHKの方よろしくお願いします。(^^).
 そして馬です。ついに馬です。城へ馬に乗って到着するシーンの為に、先日乗馬訓練に行って来ました。 20才の頃カウボーイに憧れても、馬がいなくて、馬には乗れず、 一度北海道でほんの20分程の体験乗馬をしただけのこの私が、本格的に馬に乗れたのです。 嬉しかったです。楽しかったです。全身運動で体中の筋肉が痛になり、ガチガチに固まり、 翌日は立ち上がれませんでした。一回45分の乗馬を三回乗りまして、一回目の馬「シルフ」は大人しくて、 何とか駆け足までやることが出来、初めてにしては良いらしく、気をよくした私は、休憩後の二回目、 馬は「テキサス」という馬に変わり、しかしこの馬が気難しく、我が道を行くと言う感じの馬で、 二回程落ちそうになりました。乗馬はお尻の骨二本だけでバランスを取るといった感じで、慣れるまで難しく、 ついつい持っている手綱に力が入ってしまい、駆け足で走っているテキサスを戸惑わせてしまって、 何度も首を振り「鬱陶しいな」って感じで、馬鹿にしていた様で、 しかし上では、バランスを取っている必死な人間がいましたとさ。そして三回目は外乗りで、 信玄公の道から、けもの道まで、のんびりと電車の時間ギリギリまで楽しみました。 9/9の収録、鎧を付けて乗るのではありますが、大いに楽しみであります。またご報告を。 寝てもまだ、バランスを取っていた私でした。ではまた、お元気で。

馬に乗り 馬鹿にされても 空は晴れ 楽しさいつか 人馬一体

1999/08/21 〈[28]独り言編:「Eメールに関して」の取材〉 戻る
 このHPの存在から、「Eメールに関して」の取材がありました。しかし気の利いた事は喋れず、 「気軽さ、気楽さがいいですね」とか「楽しいですからやって見てください」とか「HPを通して、 皆さんからのメールとかで、人との広がりが楽しいですね」と喋ったぐらいで、 さてさてどのようにまとまって雑誌に載るのか、またまたドキドキであります。 発売は首都圏だけですが、良かったら見て見てください。
 そして「笑ウせえるすまん」の撮影がありました。役柄は、なぜか私がよく演るマネジャーの役で、 また世界一腰の低い、笑顔を絶やさない男を演ってしまって、 「また、お決まりか」と自分に突っ込んでいました。どうぞ皆さんも見て、突っ込んでください。
 そしてまだリハーサルを演っただけですが、ヤングシナリオ大賞’99の「離婚疎開」というドラマで、 このドラマは、いとこの少年が、東京から田舎に住む事になっての物語で、私は会津若松の農家の長男役で、 妻には集団見合いで貰った、フィリピンの女性。福島弁を喋りながら、地道に真面目に生きている男でして、 どう演ろうかと今から撮影を楽しみにしております。追って報告を。今回は最新情報の補足って感じでした。ご機嫌様。

夕立ちが 降るたび残暑 残り夏 数える程に 秋になりけり ってね。

1999/08/14 〈[27]独り言編:その有ることとは?〉 戻る
 12時間ドラマの第一次撮影が終了し、暑さ全然柔がぬ京都より戻って来ました。 皆さんはいかかがお過ごしでしょうか?
 さて、ここで問題です。京都で撮影中の12時間ドラマ「次郎長三国志」、 いろいろと有ることで大いに盛り上がっています。頑張ろうと思っております。
 さて、その有ることとは一体何でしょうか?答えはCMの後、(^^) そっと皆様の心の中での想像だけとさせていただきます。けど独り言とかで、 ポロッと出てくるやもしれませんが、あしからず。
 そして今回の役、法印大五郎は関西弁を喋るのですが、 私の関西弁はもう関西弁ではなかった事指摘されて驚きました。18年関西で過ごし、 37歳になり、東京暮しの方が勝ってしまった今、関西弁を大切に思い、 頑固に喋っていたと思っていた私は、標準語ナイズされた関西弁で、変な関西弁で、 こてこての関西弁はもう喋れなくなっていたことに、ほんのちょっとショックでした。 ついには方言指導を付けて頂き、自分が違うことにまた気付き、勉強せねばと思いました。 そんなこんなの12時間ドラマは、まだまだ続きます。12時間ドラマは、見るのも大変だと思います。 ビデオに録ったとしても。一部二時間の、六部構成になっていて、 私はちょくちょく出ている感じなのですが、撮影がすべて終了しましたら、私の出どころなんかを、 お知らせしてみようかなと思っております。
 次回京都発は、9月後半の予定ですが、それまでは、有難いことにこっちである、 別のドラマを楽しもうと思っています。その報告は追って致します。 それでは皆さんお元気で、お盆をどうぞのんびりとお過ごし下さい。

ひまわりは みな激陽に 顔を向け 黄色絵になる ひまわりの群れ

1999/08/05 〈[26]独り言編:我は聴く、命激しき蝉の声。〉 戻る
 戻って来ました。一時帰国です。一時帰還です。こんなに嬉しいとは。気分転換は必要ですね。 覚悟もないまま京都に入って、初め一週間ぐらいのつもりが、20日間も滞在しまして、 慣れるまではわさわさしていて落ち着かないし、好きなはずのチャンバラ、 立ち廻りも歳だからなのか、弱い役でがむしゃらに演るからなのか、ゼーゼー、ハーハーで、 怪我だらけで、又いろいろとあり、人間、弱り始まるところでした。 しかし帰りの京都駅のお漬物売り場で「ライバルの人?面白かったです、頑張って下さい」と声をかけられて、 疲れ、無の状態になっていた私は、驚き、我に還って「ありがとうございます、頑張ります」と はっきりと笑顔で応えていました。そして本当に「頑張ろう!!」と気持ちを新たにし帰って来ました。 どうぞ街で会った際には皆さん、気楽に声をかけてください。
 第一次撮影も私は、後一週間。6日にまた京都に戻りまして、気持ちを新たに頑張って楽しみたいと思います。 Inet cafeもまだ一度しか利用していませんが、休みがあれば、ご挨拶などを送りに行きたいと思います。
 それでは皆様、本気で暑い日が続きますが、どうぞお元気で。私もお元気で(^^)。

我は聴く 命激しき 蝉の声 ・・・京都の朝はその声で始まる。

1999/08/03 〈[25]独り言編:半月も自分のHP見てない〉 戻る
 30日はオフにならず残念で、次の休みもいつなのか? 気になりながら生きてます。
 『暑い!!』の声も溶ける程、京都の夏は夏盛り。この独り言はEメールではなく。 手紙でウェブマスター FujiManさんへ送り、代筆をお願いしてみました。
 半月以上、自分のHPを見る事が出来ていませんが、みなさん、どうぞよろしくお願いします(^^)。
 それでは、次を、私も楽しみにしております。みなさんお元気で。

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