楽屋 楽屋保存版(14)
Ana-Ken's relax sub-room No.14
2006.01.27 〜 2006.12.27
あなけん業界用語辞典^^
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2006/01/27 〈[135]独り言編:「今年は?...そして誕生日を歌いたい^^」〉
2006/02/27 〈[136]裏話編:「NHKFMラジオドラマ垂直の記憶を終えて^^」〉
2006/03/26 〈[137]独り言編:「一級小型船舶操縦士免許を取得しました^^」〉
2006/04/29 〈[138]独り言編:「ハナ肇さんへの変身を陽気に終えて^^」〉
2006/05/30 〈[139]裏話編:「舞台 第32進海丸の稽古が始まって・・・^^」〉
2006/06/30 〈[140]独り言編:「舞台 第32進海丸が始まって、もうすぐ中日^^」〉
2006/07/29 〈[141]独り言編:「第32進海丸が終わって、ラジオドラマが又あって・・・(^^)」〉
2006/08/29 〈[142]独り言編:「静かなるではない脳より、残暑お見舞い^^」〉
2006/09/29 〈[143]裏話編:「久しぶりに東映京都撮影所へ行き、楽しみました^^」〉
2006/10/29 〈[144]裏話編:「今月は四つの変身を楽しんで・・・^^」〉
2006/11/25 〈[145]独り言編:「坊主頭のドラマ硫黄島話と頑張れ不思議な私の体調話^^」〉
2006/12/27 〈[146]独り言編:「色々とあった2006年を振り返りまして・・・^^」〉

2006/01/27
〈[135]独り言編:「今年は?...そして誕生日を歌いたい^^」〉
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 新しい年の2006年も始まり、寒い寒い毎日の中、一月が終ろうとしております。今年はどんな年になりますかなと思い描きながらも一月はあれよあれよと終わろうとしております。このままではイカンアカンと思いながらも月日はドンドンと過ぎて行っているのでありました^^。そんな日々の始めの今年の正月には、何ともささやかな、ホンの小さなラッキー事があったりしたのでした。私は夕方、年賀状を出しにポストまで寒さに震えながら歩いていますと、急に赤い車が横に止まりドアが開き、「今日の最終便だから」と私の年賀状を収集してくれたのでした。見ると郵便局の集配の車で、私はラッキーと思うもその事に驚き、辺りももう薄暗かったのに、どうして私が年賀状を出す人間だと判ったのか、普通に歩いていた私から変なオーラが出ていたのか、知らず知らずに大手を振って主張していたのか、などなど不思議だなと思いながら、このささやかなラッキー事に、有り難く思い、そのポストマンの凄さを思ったりもしたのでした。又、もう一つささやかなラッキー事もあり、それはコンビニのコロッケを一個おまけして貰った事でした^^。いつもそのコンビニのコロッケを昼時には買っている私は、その日もコロッケを求めて行きましたが、コロッケは、いつも何個かはある保温機の中にはなくてがっかりし、しかし店員を見ると手には冷凍コロッケの袋を持っており「今、揚げますよ」と言ってくれたのでした。私がコンビニに入って来ると「あっコロッケの人だ」と思ったような素早さでした^^。そしてコロッケが出来揚がり、お会計をすると、「一個おまけしておきましたから」との声にうれしくなった、そんな正月早々のどうでもいいようなささやかなラッキー事の(たった二つですが^^)数々でした。こんな事が続くと、もう今年の運はすっかり使ってしまって、後はもう何もないのかなと思う様な年の初めで、新たな変身も決まりそうでことごとく没になったりしているみたいで、私の運がしばしよそ見をしている様な感じではありますが、そんなことにはめげずに日々ゲームなどして楽しんでいるのではありました^^。「脳を鍛えるトレーニング」なるゲームでの日々で、足し算、引き算、朗読などなど、脳をひたすら日課の様に鍛えている日々で、私の脳年齢は20代前半にはなんとかなっていますが、確かさは全然感じておりません^^。続けることが大切と言うことだけを信じて、いつの日にか鋭く何かを閃く事だけを楽しみに待ちたいと思います^^。そんな暇暇のんびりの日々はいつものことではありますが、今年は何だか違う感じで、どんな一年になりますかなと、より想像も膨らみ萎み^^膨らんで、それもまあ人生で、それも楽しむしかないのが私の稼業・人生なのだと思いながら、あとは神のにぞ知る、神頼みの日々なのであります^^。そんな気持ちが右往左往の日々の中、来月は私の誕生月だと思い^^、私も44歳になるんだと思い始めると、ふと誕生日の歌を作りたくなり、暇に任せて作ってみたのでした^^。三編もです^^。

 誕生日に歌いたい/有り難うと歌いたい/産まれて生きて歌いたい/産まれて笑って歌いたい/産まれた事を歌いたい/誕生日を歌いたい/誕生日と出会いたち/数えて一年、過ごして一年、そして又一年/有り難うと歌いたい/明日のために歌いたい。

 この世に産まれた日が誕生日/その日が誕生日なんだよね/だけど僕は知らない誕生日/あるけど知らない誕生日/あるけど言えない誕生日/何月何日なのかは知らないけれど、オギャーと産まれたその日が誕生日/その日が僕の誕生日/絶対にある、一年のその日が僕の誕生日/何だか毎日が誕生日/みんなと同じ誕生日/この日かな、あの日かなと、みんなと一緒の誕生日/僕も一緒に誕生日/それが僕の誕生日/誰かが祝うその日が僕の誕生日だと思ったら/僕の誕生日はきっと誰かと一緒の誕生日/いっぱい毎日誕生日/僕は誕生日を知らないけれど、感じたその日が誕生日/笑顔になれる誕生日/笑顔になって又歩き出す誕生日/それが僕の産まれた証の誕生日/楽しき感謝の誕生日。

 一年365日、四年に一度は一日増える/地球が周り、地球が廻ってやって来る/そんな一年の一日その日が誕生日/毎日誰かの誕生日、毎日誰かが誕生日/世界のみんなが誕生日/色んな形で誕生日/世界中で何人の人が同じ誕生日なんだろう、数えてみよう/世界中の色んな場所でどんな誕生日があるんだろう、見てみよう/歳なんて忘れたと呟く老人も/戦場で銃を持ちそれどころじゃない兵士も/サプライズされて戸惑っている男も/同じ誕生日にしたい出産中の母親も/プレゼントだけじゃないと涙ぐむ女も/いつも一人だけで祝う青年も/誕生日なんて嫌いだと叫ぶ少女も/ロウソクを元気いっぱいに吹き消す少年も/みんな又一年、生きたんだよと喜ぶ誕生日/それがみんなの誕生日/色んな場所で、色んな思いで、世界中での誕生日/世界の人が誕生日/そんなみんなの誕生日を感じながら、見つめながら、楽しみながら/それぞれ自分の誕生日をさりげなく大切に過ごしているのを見てみよう。

ってな感じの三編の誕生日の詞を作ってみました。誕生日誕生日とどれも同じ感じで、読んでいるうちにドンドン変わっていく感じですが^^、いつの日か歌ってみたい思いもしています^^(ほんまかいな^^)。そんなこんなの一月の日々も終え、色んな事を考え、感じ又一つ年を重ねて生きていき、来月のこの場では何を呟いているのでしょうか^^、そんなことを楽しみにしながら、まだまだ寒い寒い冬の二月も多いに楽しんで活きたいと思います。それでは皆さん風邪など引きません様にお過ごし下さいませ。お元気に^^。


新年に 思い描くは 物語 強く思えば ドラマを超える
しじゅうしを 迎えて過ぎて さりげなく 過ごす一年 笑顔で埋める^^
冬空の 飛行機雲に 迷いなし 我も描きたし 美しき線

2006/02/27
〈[136]裏話編:「NHKFMラジオドラマ垂直の記憶を終えて^^」〉
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 44歳になった2006年2月24日は、春一番の様な激しさもなく^^極々普通にさりげなく過ぎていき、世間ではトリノオリンピックでの女子フィギュアで日本人が金メダル獲得し、おめでとう、おめでとうの一日でした。44歳と言うゾロ目の歳は、百歳まで活きても九度しかなく、そう思えばゾロ目の44歳の歳も貴重な歳に思えて、この一年も又楽しく過ごして活きたいと思うばかりでございます^^。そしてそんな誕生日の日は、多いに一人で盛り上がっていた感のあるラジオドラマ「垂直の記憶」の最終回が放送され、ドキドキ楽しかった五日間が終わったのでした。
そのラジオドラマは、世界的なソロクライマー山野井泰史氏と高校生の物語であり、全五話を聞き終わり、自分の声、芝居には細かく反省もいっぱい噴出ではありましたが^^、色々と思いだされて、裏話的な、ラジオドラマのあれこれをこれより書いてみたいと思います。
私のラジオドラマの経験は、記憶が薄い中で遠い昔に一回だけ演ったぐらいだったので、今回は初めての気持ちで臨み、それも主役の山野井泰史役であり、もう気合い充分でフル回転でありました^^。今回の話を頂いてから、原作の「垂直の記憶」を読み、初めて知った、知る人ぞ知るソロクライマー山野井泰史と言う人間。そして美しい山々の写真を見、厳しい登山の内容を読みながら、余り知られていないだろう山の世界と山野井さんってどんな人なのかなとを思い描き、考えながら、台本を今か今かと待つ日々でありました。
そして本番一週間前に頂いた一話15分で全五話の台本を何度も何度も読みながら、何度もヒマラヤの山々に登っている気分にもなり、形からではないのですが登山道具の店に行ったり、山野井さんのインタビューのビデオを見たりして、先ずはリハーサルの日を、これ又今か今かと待っておりました^^。 手の力だけで登って行くフリークライミングには興味があった私でしたが、登山の世界は全くの未知の世界であり、どんな世界かを想像するしかなく、どこまで想像ができて、皆さんにどこまで伝えることが出来るのかななどを、考えながらの日々でした。
そしてリハーサルの日がやって来て、優しい声の高校生役の方と、奥さん役の方の三人だけのリハーサルでしたが、私は久しぶりの声出しに、滑舌が今一で、舌がもつれまくりながらの、探り探りのリハーサル、本読みでございました。
そして翌日は、お昼からの本番であり、ラジオドラマの収録は決まってお昼からだそうで、朝からだとまだ声が起きていないと言うことで、やはりラジオドラマは声のみで勝負する世界なんだなと改めて感じながら、私もこの日まで、声をベストの状態で臨みたいと思うばかりで、風邪だけは引かないようにと気を使っておりました。テレビドラマとかでも声は大切なのに、ここまで気にしていないのは、表情と動きで強引に何とかなると思っているからなのか、撮影も日の出からの時もあり、何だか違うなと思い、ストレッチを一人で軽くして、いよいよ山登りが始まるのでありました。^^
又ラジオドラマのスタッフの少なさにもびっくりで、テレビドラマとは又全然違ったこじんまりとした楽しさがありました。そのスタッフ、演出部の方々は「新選組!」で一緒だった方々で、音五郎が勇に虎徹を渡して笑顔で手を振り見送る姿に、あの音五郎の無邪気さ?^^に、今回キャスティングしてくれたみたいで有り難く、多いに気合いを入れる私なのでありました^^。1話15分で、計1時間15分の収録は、果たしてどれくらいかかるのかなと思いきやなんと10時間もかかり、普通なのかどうなのかは解りませんが、その10時間でチョオユー、マナスル、K2、ギャチュンカン、ポタラの山々を登ったのでした。8000m級の山は、空気が三分の一なので、それを表すのは、息づかいでしかなく、呼吸をし過ぎて、めまいが起こったりして、山登りの苛酷さをホンの少しだけ体験した様になっておりました。お腹の空きも気にならなくて、ドンドン時間が重なっていった10時間でした^^。そんな登山の苛酷さがどこまで伝わるのか、聞いている方も登った気になってくれていたら成功に近いのかななどを思いながら楽しんでおりました。マイクに真っ直ぐ向かわなくてはいけないのに、動きすぎてついついマイクから離れる感のあった私は、ついつい早口になってしまったり、アクセントが時折変になったりして、ラジオドラマの難しさを感じながらも、反省の間もなくドンドン進んでいきました。特に難しかったのが、ナレーション部分と台詞の部分でマイクが違っていた事で、正面のマイクが台詞の部分で、真横にあるマイクがナレーションの部分であり、山を登っているときは、台詞とナレーションが交互に来ていたので、その度に切り替えて演っていたのですが、時折マイクの場所を間違えたりしながら、台詞のテンションにつられたり、冷静に説明しないといけないのに、興奮のままナレーションに突入して、段々落ち着いていったり、又逆もあったりしたのでした。NGと思ったら自分で少し前から言い直せば良くて、声だけの気軽な感じではあり、難しさもあり、そんなラジオドラマの面白さを徐々に蓄積していった、アッと言う間の10時間でした^^。終わりが近づくともっと楽しみたいと思い、気持ちのいい疲れ方をした私でありました。
 私は芝居をすることが好きで好きで、演じていればそれだけで満足と言うことを又実感し、山野井泰史さんは、山が好きで好きでたまらない人なんだろうなと実感した10時間でした^^。そんな山野井さんのドラマをどれだけの方が聞いてくれたのか、本人の山野井さんはどう思っているのか、登山家の方々も注目の番組だそうで、どんな感想を持っているのか、今回程、反応、感想が気になるドラマもない感じでありました。そんなこんなの今回のラジオドラマでありましたが、皆さん五日間毎日15分のラジオドラマに耳を貸して頂き有り難うございました^^。又の機会を楽しみに、これを機に又何かの出会いがあることを願うばかりではありますが、そう甘くないのも人生でもあります^^。44歳になった私は日々まだまだ勉強であり、楽しんで行くしかないと、今はなかなか運が私に向いてはくれませんが^^、次の新たな変身を楽しみに、あれやこれやと活きて活きたいと思う私なのでありました^^。
 さてさてそんなラジオドラマが始まった週に、私は小型船舶一級の免許取得の学科講習を受けたのでありました。私は一ヶ月前にふと、何だか次の変身もなさそうで、時間があるなと感じて、一ヶ月程迷い考えた末に、講習日三日前に未知の世界を気軽に勉強してみようかなと決断をし、先ずは学科四日間24時間の講習を受けたのでした。その講習を先日終え、辛うじて学科のテストにも合格し、後は来月早々の実技6時間を受けるのみとなりました。これらの詳しい報告は又来月のこの場でお伝えするとしまして、もうすぐ春です。暖かくなるのと同時に日々も多いに楽しんで参りましょう。それでは又です。皆さんお元気に^^


弥生にて 梅桃桜 順に咲き 春を誘いて 春に宴を
春の芽よ 陽を少しずつ 抱いて活き やがて咲く花 夢見て活きて
ゾロ目歳 違った干支で 巡る様 その干支たちと この歳も笑う^^

2006/03/26
〈[137]独り言編:「一級小型船舶操縦士免許を取得しました^^」〉
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 寒かった今回の冬もゆっくりと陽に暖められて、南風を誘い、桜も欠伸の如く蕾を膨らませて、咲き始めた三月の下旬、花粉も多く飛び遊んでおりますが、皆さん如何お過ごしでしょうか?
そんなまだまだ寒かった三月の始めに、私は一級小型船舶操縦士免許を取得したのでした^^。小型船舶とは20トン未満の船舶で、その一級は海岸より180キロまでは航行できて、六級の機関士が乗っていて、航行範囲が遠洋クラスの小型船舶なら世界中何処でも行ける免許なのであり、私は一般的に言われる船長さんになれたのではありました^^。別に一級でなく2級でも良かったのですが、二級は沿岸9キロまでで、同じ取得するなら、世界へ行けるモノがいいという、欲張りな私は、気持ちを世界の大海原へと向けて、今回の免許取得へと挑んだのでありました^^。
昔から小型船舶の免許には興味はあったのですが、きっかけがなく、その頃も取得するなら、最上の一級だと考えたりしてなかなかGO出来なかったのでしたが、今回は、ふと思いついた感じで、変身もなかなかなく、時間があるのかなと思い、何げなくネットで免許のことを調べると、最近免許制度が改正になり、1級と2級にだけになり、国家試験免除のスクールもあり、6日間で、費用も15万程で取得出来ると知り、少しずつ盛り上がり始めたのでした。しかし果たしてボートの免許は必要なのかなと、釣りにもダイビングにもそれほど夢中でもなく、泳ぎが苦手で、海を見るのは好きではあるが、怖い部類に入るのに、取得しても必要ないのかなとも思ったりして、「なぜゆえに取得するのか」と自問自答の日々ではありましたが、学科講習開始三日前ギリギリまで悩み、船長の役、漁師の役、海賊^^の役が、いつの日にか来るのかなのと言う期待とよこしまな考えと、勉強を久しぶりにしてみるかなと、自動車免許、オートバイ免許以来の勉強で、全くの未知の世界の事を学んでみようかなと思い、遂に決断したのでした。
 そして始まった未知の世界、海と船の世界。先ずは四日間の学科講習から始まったのでした。初日はドキドキって感じで、何人ぐらいの人が来ているのか、どんな感じでやるのかななどと、久しぶりの学習にドキドキワクワクでしたが、東京は千代田区麹町のあるビルの地下の一室が講習会場で、初日、2日目はなんと四人だけでの学科講習でありました。内一人は2級免許取得で2日間だけの講習で、和気藹々と言う感じでもなく、静かに始まり静かに終わった、先ずは最初の2日間でありました。その2日間で、シーマンシップから、遵守すべき決まり、海上衝突予防法、海上交通安全法などなどのルールを学び、警笛、信号、旗などなどを覚えたり、船、エンジンの事を覚えたりして、海上には道がないんだとか、常に360℃の見張りが重要だとか、知らないことが多く、正に未知の世界の2日間でありました。その2日間で一冊の教科書を終えるのには、やや無理がありつつも、久しぶりの朝9時から17時の学科講習を楽しみ、そして2日目の午後3時から二級の学科試験をし、何とかその2級の学科は合格したのでした。そして次の日からは一級への学科でありました。翌日同じ時間に行くと、2級から1級への進級組の方々が10名もいて、昨日までよりは賑やかにはなっていましたが、海の男達は無口な方々で^^、みな個人個人で来ていて、誰とも話す事もなく、又静かな2日間が始まったのでした。一級への講習は、海図、コンパス、三角定規、を使ってのモノモノであり、自分の位置を知る航位から、航行距離を計算したり、潮流の影響から、どの方角の進路を取るべきかなど、なかなか面白い世界でありましたが、正確に海図に書き込まないと、微妙に違ってくると言う、難しい世界でもありました。その他、天気図の見方、雲の種類等々、海の上では、風、波の存在を知る事が大切であり、又エンジンが壊れたら漂流するしかなく、エンジンの知識もそこそこ知っておかなくてはいけない感じであり、二級よりは確かにより詳しく海のこと、船の事を学んだ2日間でした。何よりも海図を使用してのモノモノが楽しくて、それまでは色々と四日間学んでいた私でしたが、果たしてこの先船には乗らないだろうなとか、これだけ必死に覚えても意味がないのかな、などと冷静に醒めた感じでもいた私でしたが、海図に航路などを書き込んでいると、実際に航路を決めて、港から港へと船の旅をしたくもなってきていました^^。そして最終日には試験であり、何とか辛うじて合格したかなという感じでありました。二級の時もそうでしたが、試験が終わると教官に提出して、教官がざっと見て、何も言わず、手でOKのマークを出して合格になり、私は「えっ?!」って感じで終了したのでした。1級の時はその教官の顔が一瞬渋い顔になり、そして静かに0Kのサイン、これは辛うじて合格したなと感じました。私はその辛うじてが何とも悔しくて、ひっかけの問題は、良く読めば簡単に解けたし、四択ゆえ、満点も取れたなと、変に完璧主義の私は問題集を出して確認したりして悔しい思いのまま帰って来たのでした^^。
 そしてそして残るは船舶操縦の実技であります。進級の人は実技がなく、学科だけで終了で、今回は実技を受ける人が少なかったので、マンツーマンでの講習になり、本来は2日間なのに、一日で終わるというラッキーな感じでありました。朝の9時から始まった、全くの初体験のボートの操縦、全長5m程の小型ボートでの講習で、東京湾に出るのかなと思いきや、運河ををゆっくりと走り、広い広い港内での教習でありました。時折作業船とかが行き交う中、午前中は、ゆっくり前進から始まり、変針(方向転回)をやり、昼食を豪華クルーザーが多く停泊している夢の島マリーナと言う場所でとったのですが、船遊びの世界は、お金持ちの世界だなと、いつの日にか余裕で遊べる時が来るのか来ないのか、貧乏性の私はそんな生活を拒否してしまうのか^^、などなどを思い巡らしながら昼食を終えたのでした。午後の講習は、離岸・着岸、落水者(浮き)救助、蛇行(転蛇!と叫ぶ)をやり、いちいち「前方よし、後方よし」と安全確認を叫びながらが行うのが、ボートは速く動いているしややこしくて、面倒な感じではありましたが、スピードが出るとやや興奮で楽しく、道のない海上の自由さを感じてもおりました^^。しかし微速の時の舵取りの難しさが最後まで私を悩ましました。とにかく波と風、潮の流れで、船は勝手に動くし、舵が車の様なハンドルだから、ついつい車のように操作すると、とんでもなく、舵が切れてしまって、行ったり来たりで、ちょっと舵を切って、しばし待つと言う事が重要であり、しかしイラチ(せっかち)な私は、その待つことが出来ず、ついつい動かしてしまい、その度に教官に「切りすぎ」と言われていて、身体で覚えるしかなく、慣れでしかなく、数多くの練習しかないのだと思うばかりで、「基本だけ教えてくれ」「後はいっぱい練習させてくれ」「見本はもういい、あなたは教官で上手いのは判ったから」と叫びそうになっておりました^^。何も知らない世界だから、素直に全てを「はい、はい」と聞こうと思うも、夕方には試験もあるし、一日で、ある程度までマスターしたいしと、もう必死でありました。やがて舵の微妙さを身体が覚える事が出来ないまま夕方になり、試験が始まったのでした。苦手だった着岸が思うようにいかず、途中ででっかい作業船も入ってきたりして慌てる教官もありで、なんだかボロボロって感じの実技試験ではありました^^。そして出発地点に戻ってきて、下船し、言われた言葉が「帰っていいですよ」だったので、又「あれっ?」ってなり、船の係留に忙しい教官の「大丈夫です」の言葉で合格を知り、全てが終了し、一級小型船舶操縦士免許を私は取得したみたいでありました^^。
小型船舶免許証
1級小型船舶操縦士免許
しかし全くの感動もなく「ほんまかいな」と言う感じで、同じ日に講習を受けたもう一人の方と苦笑いしながら全てが終わったのでした。東京タワーの横に沈むおおきな夕日を見ながら、これで本当にいいのかなと思い、これが最初で最後にならないように、船に乗っていつの日にか遊んでみたいなとも思いながら帰って来たのでした。しかし現実は船で遊ぶのは準備等々が大変そうで、どうなりますか、と言う感じでございます。「遂に一人で船に乗りました」と又ここで報告できる日を楽しみにでございます^^かな。
 さてさて先月の終わりから今月の始めにかけて、2時間ドラマでの教頭先生役があり、一人叫んでいたり、おろおろしていたりで多いに楽しんでおりました。そして「ドラム叩ける?」とマネジャーさんに聞かれて、「叩けないことはないけど、叩けないかな^^、しかしそれっぽくは見えるかな^^」と告げたら、後日そのドラマーの役を頂き、その役はスペシャルドラマ「ザ・ヒットパレード〜渡辺晋物語(仮題)」でのハナ肇とクレージーキャッツのハナ肇さん役であり、びっくりで嬉しかったのでありました。しかしそれ以降は、はったりのドラマーがどうなるのかがドキドキの始まりで、そのものものは又来月のこの場でご報告と言うことで^^。それでは皆さん今年の春も多いに楽しんで参りましょう^^お元気に^^


ゆっくりと 春へと変わる 様を見て 和む心を いついつまでも
桜たち 静かに春を 受け止めて 新たな人へ 今年も魅せて^^
春に咲く 花々見つめ 我も咲け 心に初志の 笑顔の花を

2006/04/29
〈[138]独り言編:「ハナ肇さんへの変身を陽気に終えて^^」〉
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 日々晴れと雨が交互に来ている感じの今年の四月も終わろうとして、今年のゴールデンウィークが長い人は九連休で始まりました^^。そんな四月の一ヶ月は、フジテレビ二夜連続スペシャルドラマ「ザ・ヒットパレード〜渡辺晋物語〜」なるドラマで楽しみ、色々と学んで過ごした一ヶ月でありました。
このドラマは、当時殆どのタレントが所属していた感じの巨大プロダクション「渡辺プロダクション」を作った渡辺晋さんの物語であり、何もなかった所から新たなテレビ番組を創り出していき、熱く熱く、楽しかっただろう時代で、エンターテイメントを愛する人間達の物語であります^^。
50周年を迎えたそんな渡辺プロと私の関わりは、HPのプロフィールにも書いてますが、20数年前スクールメイツの学校「渡辺音楽学院」から始まり^^、その学校では、先日亡くなった宮川泰さんに一日だけ歌の授業を受けた思い出もあり、舞台もそこで初めて演ったのでした。そして大衆演劇の後に何処か行くところはないかなと受けたのが、ナベプロのお笑いのオーディションでありました。二次試験まで行きましたが、笑えない一人芝居をオーディションでしていたなと、恥ずかしい思い出を思い出したりしながら、今回の作品に有り難い思いも込めて臨んだのでした^^。
今回のそんな物語での私の役は、知る人ぞ知るクレージーキャッツのリーダー「ハナ肇さん」であります。米軍キャンプでドラムを叩いていて、ミュージシャンなのに人を楽しませることが好きで、そんな人が渡辺プロに入り、クレージーキャッツと共に、テレビの創世記に多いに楽しんだ、エネルギーいっぱいの若かりし頃のハナ肇さんを、あれやこれやと、色んな場面で楽しんだのでした。登場の米軍キャンプから、出来たばかりの渡辺プロの小さな事務所へ、そしてクレージーキャッツ結成でのナイトクラブでのシーン、数々あったこたつ会議なる渡辺邸での長いこたつに皆で集まってのシーン、ニュースとコントの番組「おとなの漫画」ではコントを少々して、コントは難しいけど、もっと演りたいと思いを膨らませ、音楽番組「ザ・ヒットパレード」に出ることになったと緊張のシーンから、ハナ肇さんの芸で、スティックでいろんな所を叩くシーンをし、これが失敗多々で悔しさを残しながら、「スーダラ節」が出来上がって楽しみ、57歳になって(服が変わったぐらいで大して変化なし)のラストのパーティーのシーンまで、前編後編の中で、ちょこちょこちょこっと登場する今回のハナ肇さんでありました。最後の方の撮影では毎日のようにスタジオに通い楽しんだのでした。
「ドラム叩ける?」で始まった今回の変身は、ハナ肇さんだと役を知って、名のある役でびっくりで嬉しく、喜んだのでしたが、ドラム叩けるというはったりで始まった今回は、ドラムのシーンがどうなるのかなが心配で気になりいっぱいで終始し、音に合わせて叩いている様に見えるようにと言うことで、何とか笑顔いっぱい^^で誤魔化したのでしたが、あるシーンの手元だけは、30年やっている本物のドラマーの人が代わりでやったりして、私が出来るわけもなく当然なんですが、それが悔しかったりもした私なのでありました^^。そんなドラムのシーンは、強引な感じでなんとか楽しんだかなと言う感じでありました。
今回、役者もいっぱいいますが、音楽家、ミュージシャンの方々もいっぱいいるなと、改めて知り、音楽をやっている人はやはり、音に厳しく、少しのピッチのズレ、リズムのズレ、テンポのズレなどが、気になるのだろうなと感じ、私は言われる程のことはしていなかったので言われなかったのですが、黙ってはいられない世界の人たちなのかなと思ったりしたのでした。音楽は、同じ決まりの中でのモノ作りで、勝手なことは許されない世界、役者の世界も勝手なことは許させなく、決まったピッチ・リズム・テンポはあるとは思うのですが、それらが曖昧で正解がない感じで、何処か自由な世界ゆえ、自由人の私にとっては役者の世界の方が楽しめる世界ではあるのかなと思いました^^。しかし又違った音楽の世界の人たちと今回触れながら学ぶことも多く、そんな音楽の世界でも又楽しみたいなとも思ったのでもありました。しかし今でも耳にする全ての音楽からドラムの音を必死で聞こうとする私がいて、ドラムをもっと叩きたいと時折^^思っております。
そしてドラム以外での「ハナ肇さん」へのアプローチは、資料とか話とか聞いて、偉そうだったけど憎めなかった、とにかく明るかった、面倒見が良かった、仕切たがりだったとか、貫禄があって、リーダーと呼べと言う人で、豪快であり、親分肌で、おしゃれさんだったとか、色々と情報は入ってきましたが、人を楽しませたい、明るかったと言うことのみを頼みの綱にして、本当は五分刈りが良かったのでしたが、刈り上げまでに止めて、似てないなと感じながらも、少しでも見えるようにと、ひたすらに楽しんだハナ肇さんへの変身でありました。
今回は制作発表にも参加して、スポーツ紙にも多く写真が載っかり、ポスターにも私の写真を載せて貰って有り難く、どんな感じに出来上がるのか、編集されてつながったモノを早くみたい思いながら、業界視聴率が高いだろうなと言われていて、ドキドキ感もより一層であります。撮影が終わって、もっとこうすればよかったとひたすら振り返り反省の日々ではありますが、心地よいぽっかり感もあって、寂しさもあって、楽しかったひとときではありました。それらが、あのよき時代が、楽しかったエネルギーなどなどが、見ている方々に伝われば何よりかなと思うのでした。
それでは又次回、五月初旬から舞台の稽古も始まり、「ギャルサー」なるドラマでの数々の変身などなどを楽しみに、又何かご報告できたらいいかなと思っております。GWをはじめ、五月も皆さん多いにお楽しみ下さいませ。ではではお元気に^^


菜の花が 風に揺られて 香り出す 白と黄色で いつもの香り
五月晴れ 鯉の昇りを 鮮やかに 子供の心 より健やかに
色々と 春の予感は 気のせいか 何が始まる 何を始める^^

2006/05/30
〈[139]裏話編:「舞台 第32進海丸の稽古が始まって・・・^^」〉
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 雨の多い今年の五月が終わろうとしている中、舞台「第32進海丸」の稽古も中盤に来て、六月になったら、ざっと通しが出来ればいいかなと言う感じであり、日々人物を探りながら、土佐弁で「そうぜよ、そうぜよ」と喋りながら楽しんでおります^^。今回の舞台は先ずは土佐弁からの始まりであり、土佐弁は関西弁に少しだけ近い感じなので、何とか雰囲気は判る感じでしたが、やはり初めての土佐弁は難しく、どこまでいけているのかは気になるところではあります。しかし方言重視よりは、先ずはその人物の人となりを深くして行くべきだと気持ちをすぐに切り替えての日々であり、稽古を楽しんでいるのでありました^^。今回の舞台は、9人の海の男達と一人の青年の群像劇であり、今回の私の役は漁師であり、一本釣りカツオ漁船の漁労長であり、漁労長とは船頭であり、船頭とはその船の全てを取り仕切るリーダーであり、リーダーは器が大きく、人望があり、皆の憧れの存在であるのだとの説明が、資料等々には書かれてありましたが、私が演じるリーダーは果たしてどんな感じなのか、先の事も踏まえて、多いにどっしりと、器を大きく楽しんでいる日々なのであります^^。いつもの私は、元気いっぱいで、賑やかな役が多い感じではありますが、今回は又違った感じの役回りで、大人な^^感じで多いに楽しんでおります。日々の稽古は、先ずは脳を活性化させる、発想の受け渡しなる遊びから毎回始まり、自分の発想力、連想力の乏しさに悔しくなったりしながら、少しずつ前頭前野が鍛えられて行く感じではあります^^。又絵スチャーなる2人1チームになって絵を描いて、お題を当てる勝負では、ゲームゆえ、負けることは悔しくて、必死に絵を描いて伝え、絵を見て必死に考えると言う、そんな遊びから稽古は毎回始まるのでした。今回の舞台の物語等の詳しい内容は見てのお楽しみと言う事で、余り言えませんが、今回の共演者の9人とは、主演の三宅健君とは初めてで、三作品目の舞台を悩みながらも楽しく挑んでる感じであります。この世界は永く慣れた感じの山崎裕太君とは「ダブルスコア」なるドラマと今年始めにやった二時間ドラマで一緒で、久しぶりとの挨拶から始まり、船頭の私に憧れる青年であります。照れます^^。伊崎充則君とは「テキ屋のしんちゃん」で一緒でしたが、場面は違ったので初めてみたいなモノで、今回は三宅君のお兄ちゃんで頑張っております。大石継太さんとは蜷川スタジオの先輩で、舞台「原子核クラブ」ぶりのお久しぶりであり、舞台上では年下ぺーぺーなので呼び捨てで接しております^^。大鷹明良さんとは、二回ほどドラマでちょこっと共演したぐらいで、これまた初めてに近い感じで、唯一千葉の人間で標準語で喋っております。菅野菜保之さんとは、蜷川さんの舞台で一回ぐらいご一緒したかなと言う感じですが、私はコロスの一人で、これまた初めてに近く、今回は船主、船のオーナー役で酔っぱらっております^^。西條義将君と小椋毅君の二人は脚本家の今若手注目株の蓬莱竜太君と同じモダンスイマーズなる劇団のメンバーで、三人とも初めての方々であり、二人は九州の船員役で、元気にボケボケで体を張っております。天宮良さんとも全くの初めてであり、同じ歳でライバル関係を楽しんでおります。演出家の自転車キンクリートの鈴木裕美さんとは、舞台「蠅取り紙」以来の11年ぶりで懐かしく、どれだけ私は成長しているのかななどが気になりながら^^、そんな面々とで、あれやこれやと今はそれぞれが、それぞれの役の気持ちを探りながら楽しんでいる日々であります。そして初日の幕が開くのを楽しみにしているのであります。制作発表でも言いましたが、見終わってから「なんか土佐の男達っていいね」と思って頂ければいいかなと思っております。次回のこの場では、中日を迎えた頃かなで、お客さんと共に育って来ている頃かなで、又何か報告が出来ればと思っております。皆さんと劇場でお会いできるのを楽しみにしております。
さてさてそんな稽古の合間を縫って時折、先月から楽しんでいるギャルサーなるドラマでの色々な役への変身も楽しんでいて、今は九話まで台本があり、残り二話の登場がどんな役になりますかなと、楽しみに待っている日々でもあります。今回のドラマは、実に色んな役で登場できて、登場は瞬き程ですが、今までにない感じで楽しんでおります。それぞれの役の感想は、又次回のこの場でまとめて報告したいと思います。 それでは皆さん本格化する雨の季節が到来しますが、お元気に過ごして参りましょう^^。


早き梅雨 雨は気にせず 降り続き 人は広がる 青空望む^^
同じなし 日々新しく 変化して それを活きると 気づくが人よ^^
雨の花 傘の花々 咲く季節 雨に濡れるも ひとつ思い出^^

2006/06/30
〈[140]独り言編:「舞台 第32進海丸が始まって、もうすぐ中日^^」〉
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 梅雨の季節の蒸し蒸しさが、夏の前のざわつきの様に、日々人間にまとわりついている感じであり、暑い暑い毎日です^^。そんな中、皆さんは如何お過ごしでしょうか?私は土佐弁に舌を時折もつれさせながらも、舞台「第32進海丸」を多いに楽しんでおります。明日から七月にもなろうとして、その舞台も中日を迎えようとしております。連日の大入り満員のお客さんの中、カーテンコールの時に客電がつき、客席を見ますと、殆ど女性のお客さんに毎回びっくりしながら、多いに土佐の男を、船頭坂本を、あれやこれやと楽しんでおります。今のところは、大したハプニングもなく、テーブルが壊れたぐらいで、グラスがテーブルから落ちて慌てて拾ったぐらいのハプニングがあったぐらいで、このまま千秋楽まで何事もなく楽しんで活けるようにと願うばかりでございます^^。今回は、いつもはメイクなどしない私ですが、漁師は陽に焼けた顔ゆえに、今までになく、ドウランを濃いめに塗って、手と首にも塗って、漁師に何とか見えるようにと正に変身してから始まる私なのでありました^^。又私の役、坂本は、皆の名前を呼んでいるので、それを先ずは間違わない事を念頭にし、ドキドキしながら確認、集中しながら舞台は進んで行っております。しかし集中はしていても、予期しない時にポロッと、違う名前を言うことが有るので、それも真面目で笑えない所では、絶対に間違ってはいけないので、それが何とも怖くて、ドキドキもより一層で、そんな事に気を使いながらの今回の舞台でもあります^^。舞台は、いつも思うことではありますが、生もので日々違うモノではありますが、全く同じ事が出来るのがプロフェッショナルな役者であると、テレビで脳科学の先生が言っていたので、それを目指し、常にベストをと思うも、なかなかって感じではあり、相変わらず日々勉強ではあります^^。今回の役は、登場は、まあまあ陽気ではありますが、すぐに無口に近い男になり、そこからの男の思い、考えが、どこまでお客さんに伝わるのかが気になる私ではありますが、何を伝えたいのかを、ここで述べるのは、恥ずかしく野暮で、無意味でありますので言いませんが、皆さんの感想等々により、何とか伝わったかなと一人ガッツポーズを小さくあげるかもであります^^。しかししかしどうしてどうして、なかなかそう簡単には、伝わらないだろうなとも思い、見ている方々の自由な発想に訴えかけながら、お客さんと共に、ラストまで多いに楽しんでいこうと思っております。一回一回全力で楽しみ、毎回カーテンコールで、ホッとはするのですが、それもその時ぐらいで、次が有ると思うと、大阪公演の7/16の夜の公演まで、気を抜くことは出来ずに、ひたすらに船頭坂本への変身を思い描き続けたいと思います。10人の男達と和気藹々と触れ合い、じゃれあい、語り合いで、残りの舞台も楽しみたいと思います。残りの舞台も皆さん宜しくお願いします。
 さてさてそして先日は、色んな役で楽しんだ「ギャルサー」も終了し、なかなか面白きドラマで、私は滅多にない感じの役回りで楽しんだのでありました^^。本当の役は、アリゾナの医者ジョージ・アナンっていう役ではありましたが、その三つ編みインディアンで勝手なインディアン語喋っていた男も楽しかったのですが、なによりもジェロニモの想像の人間が、次は何?次は何?と台本が来る度に楽しみでありました。始めは、撮影時だけ夕立の嵐で効果抜群だった「着流しやくざ」から始まり、今でも恥ずかしい萌え萌えじゃんけんをした「おたく男」。後楽園ホールのリングに立てて嬉しかった「ボクサー」。想像上の人物ではない十八番的な「客引き」「苦学生の隣人」。おとぎ話シリーズをしたくなった「浦島太郎」。もっと楽しみたかった「お殿様」。何だか嬉しかった着ぐるみゴキブリの「虫男」。明らかに私だとすぐ判る「お下げ少女イモコ」。ポスターでの登場で、そのポスターを貰って嬉しかった「ジャッキーチェン&ブルースリー」。モモが二人だあ〜と盛り上がっていた「木彫り少女モモ」。一度はカットになったが復活して嬉しかったが、似せすぎて私だと判らない「バカボンのパパ」。古田氏とコンビでこれももっと楽しみたかった「東南アジアのマフィア」と、まだまだもっともっと楽しみたかった今回のドラマでの役の数々でありました。今回のドラマを機に何かがムーブすることはないでしょうが^^、ドラマには殆ど関係のない楽しかった変身でした^^。しかし最終回でジョージが心配だと、三人がヘリコプターで帰国するのが一人嬉しかった私でありました^^。さてさて次回は舞台も終わって、何をしていますか、ノンビリの中での舞台を振り返ってでしょうか、そして次はどんなドラマでの、どんな役が来るのか、楽しみにしながら、梅雨の季節の中、先ずはとにかく土佐の男を楽しみたいと思います。雨の季節、暑い夏の季節、皆さんお元気にお過ごし下さいませ^^


七夕の 星を見たくて 天の川 探すも都会 願うは未来
蒸す陽気 無視は出来ずに 蒸されつつ 結ぶ陽気に 無垢の心を^^
いごっそう 土佐の漁師で 梅雨過ごし 夏の出会いは はしゃぐか否か

2006/07/29
〈[141]独り言編:「第32進海丸が終って、ラジオドラマが又あって・・・^^」〉
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 すっきりしない梅雨空の七月の中旬に、舞台「第32進海丸」は終わった。土佐の漁師に変身した男たちは、それぞれに何かを感じながら、それぞれの港^^へと帰って行った(今回は、なぜかNHKのプロジェクトX調で所々語ってみました^^)。全てを終えた大阪での打ち上げでは、朝まで29回の航海の思い出を語りながら、なかなかいい感じの楽しき座組、10人の男達の物語だったと、別れを惜しみながらの打ち上げであった。時折あなんの失敗の話にもなり、その度に目を覚ました感じで参加し、一人反省するあなんでもあった^^。初日から心配していた呼び名の間違いがなかったことが、先ずはよかったと思うも、今回は「細かくよく台詞を噛んでいたなあ」と反省するあなんでもあった。全編土佐弁なのでお客さんには、そんなには判らなかったみたいだが、共演者には、すぐに気づかれて、その微妙な噛み方が、なんとも今回は可笑しくて、「こいつは」を「こいちゅは」と言ってしまったり、「名前なにゆうがよ」にがよを多くつけて「名前何ゆうがよがよ」になってしまったりして、明らかにお客さんにも判る間違いもあったが、微妙に悔しい台詞の噛み噛みがとにかく多かった今回の舞台ではあった。そしてあなんは今回の共演者に対しての思いを呟いた。舞台が三作品目であった三宅氏の戸惑いの初々しさから始まり、何かを感じ変化して成長していく様に、数多く舞台をやっているあなんは、初心の心になり、芝居とは何かを考える事もあったなあと思った。10人の中で一番若い山崎氏は、俺の細かい失敗を毎回報告に来ては(毎回に近い程あったのが悔しい^^)、「阿南さん、お願いしますよ^^」とよく言われた感じで、よく喋る、若くエネルギー満タンの男であった。今回の舞台での一番の笑い話は、舞台中に山崎の靴が脱げてしまって、舞台に出ている役者が皆、笑ってしまって、私も笑ってしまって、なかなか台詞が言えなかった事であった。伊崎氏は、痛い身体にムチ打ってお兄ちゃんを頑張っていた。大石さんとは、久しぶりの共演で楽しかったと思い、又何かですぐにでもご一緒したいと思い、大鷹さんはクールな役柄で、一番目線を坂本と合わせた役だったかなと思い、学ぶ事もあったなと思い、西條氏と小椋氏は、自分の劇団では、バカ担当ではないと言うことでもあったが、ストレートな馬鹿さ加減のバカ役が、楽しげで羨ましかったりもしたし、管野さんは、日々微妙に違っていて、楽しそうに芝居をしていて、あなんも菅野さんの歳まで後20年以上は芝居をまだまだ楽しめるぞと思ったのであった。天宮氏とは、役的にはライバル関係であったが、ライバルと言う感じではなく、ほんとに一緒に小さいときから土佐で育ち、進海丸にも乗り、保育所からずっと一緒と思わせる存在であり、そんなことがなんとも自然であったので、河内と坂本の関係がやりやすかったのであった。そんな九人と楽しんだ二ヶ月間であり、骨太の脚本家蓬莱氏と演出家の鈴木さんとは、次、ご一緒するのは、いつになりますかなと楽しみにしながら、又キャスティングの際、脚本を書く際は、あなんの名前を思いだして貰いたいモノだと思うあなんでもあった。
又、今回の舞台では、稽古中も、公演中も色々とあった舞台であった。先ずはギャルサーとか、慶次郎縁側日記とかのドラマの撮影等々があり、有り難く忙しくさせて貰い、私は芝居をしていれば嬉しく、休みはいらないと思う人間で、この忙しさは全く苦でもなく、色々と芝居が出来る嬉しき日々でもあったのであった。又、6/30日の金曜日の昼公演のみの終演後、あの「太鼓たたいて笛ふいて」で行商隊を共に歌った役者の松本きょうじさんが亡くなったと聞かされて、驚き、信じられないまま、最後のお別れをしに、小田原までお通夜に行ったりもしたのであった。眠っているようなきょうじさんを見て、未だに信じられなくて、一昨年の舞台での日々を思い出し、又再々演がいつの日にかあるのかなとも思っていたので、寂しくなったりもしたのでした。そんなこんなで色々とあった今回の舞台「第32進海丸」ではありましたが、多くの方から、嬉しい感想も頂き、色々と学ぶこともあり、いい感じの二ヶ月間であったのでした。
 そして又、舞台の終盤頃に、ある舞台のオーディションの話を頂き、暇ある毎にちょっぴり長めの台詞を必死に覚えていたのであった。しかし一人言の長台詞をどこに向かって喋るのかが、よく解らず、大阪公演後すぐに行われたオーディションでは、大したことも出来ず、演出家のイメージとは違うと言うことで、新たな世界で楽しむ事はなくなったのでしたが、英国演出家の前で、ある劇のある役の芝居をして、初めての経験でなんだか楽しかったのでした。しかし少しも満足いかず悔しい思いの中、終了し、あそこまで出来なくなるものかと、笑える程でした。もっと色々とワークショップとかして私を見せたかったと、役へのアプローチをさせて欲しかったと思うも、貴重な経験をし、英語を喋りたくもなっていたあなんであった。勝ち負けではないのだが^^、負けず嫌いのあなんは悔しさで、心が落ち着くのに相当時間がかかる感じであり、落ち着かせるには、芝居しかないと、より役を欲するあなんでもあった。
 そしてそんな思いの中、今年の二月ぶりのラジオドラマが有り難くもあり、又多いに楽しんだのでした。今回は前回の「垂直の記憶」とは又違って、モノローグ、ナレーション的なモノは全くなく、相手役へ向けての芝居のみでありました。今回は広島を舞台にした、原爆に関しての話で、土佐弁の次は広島弁であり、やや広島弁にも苦労しながらも、反省する間もなくドンドンとすすんでいき、会話はやはり、台詞の文字を見ていては出来ないと途中で気がつき、その場で必死に台詞を覚えては、台本を見ずに臨んだのでしたが、恋する男の、恋する人への思い等々が、声だけでどこまで伝わるんじゃろうかと、放送がドキドキワクワク楽しみになってきておりました。今回も、いろんな役者さんが又いらして、色んな声の音色があって、自分はどんな音を持っているのか、もっとこの声のみのドラマで、又楽しみたいと思うあなんでもあった(もうプロジェクトx調の語りは忘れておりました^^)。8/5の放送後は反省も多々多々になることは想像できますが、多くの皆さんに聞いて貰いたいと思い、やはりこう言う話は永遠に、色んな形で伝えていかなくてはいけない物語であり、反応、感想が気になりますので、皆さん宜しくお願いします^^。
 それでは、今年の梅雨も西から明けて来て、私の次の変身は、どんなドラマのどんな役になりますかと、気長にのんびりと、今年の夏を楽しみながら待ちたいと思います。皆さんも夏バテなどはしませんように、お元気に夏をお楽しみ下さいませ。それでは又です、お元気に^^


太陽と 夏のざわめき 聴きながら 暑き音色を 探して遊ぶ^^
夏雲が 作りし空の 眩しさに 目を細めても 夏を楽しむ^^
八月は 夏が変化の 物語 感じたままに 活きて変化を^^

2006/08/29
〈[142]独り言編:「静かなるではない脳より、残暑お見舞い^^」〉
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 2006年の夏は残暑になって、これでもかと言う「ちょっと出遅れたけど今年の夏も忘れるなよ」と言っているかのような連日の暑さでありましたが、そんな暑さも何だか短くて、八月も終わろうともしております。そんな中、私は暑い暑いと呟きながら、何もしていない日々を過ごしていたのでありました。お盆明けに一つの変身の予定があり、いい感じで休みもそんなになく、楽しめるかなと台詞を覚えたりしておりましたが、その変身がなんと9月の始めになったとのことで、ごっそりとのんびりな日々が続いたのでありました^^。その間に他の変身があれば嬉しいのですが、そんなに甘くもないのが人生で^^。のんびりさがより一層ののんびりさになり、のんびりさにのんびりさを足すと、のんびりさはノンびりさではなくなり、何になるのかなとのんびりの語源を勝手に考えたりして^^、語源を考えるのが好きな私は、「のんびり」はのうのうとしているふりからかなと思ったりしましたが、調べると「のんびり」は、のんきから来ているみたいでありした^^。しかし私的には、のんきはNON気=気のないと言う事になり、のんびりものうびりと文字も変化して、それは脳びりさであり、脳がびりびりと動き出したくなる感じで、落ち着きを見せなくなってしまう事だと考えるのでありました^^。全く私の脳だけではありましょうが^^、しかし脳がびりびりと痺れるわけではありません^^。
以前「静かなる脳^^」と楽屋に独り言を書き、あの文章が去年の9/28で一年も経っているというのがびっくりでしたが、読み返してみてあの時と同じ様でもあり、今回は又違った感じでもあり^^、何かしたいと楽しく空回りはするばかりなのではありました^^。何かしたいと言うよりは、芝居がしたいだけであり、変身がしたいだけなのであり、この先何もないわけではなく、9月に入れば予定のアッと言う間に終わるだろうけどの変身もあり、来年には、舞台の予定もあり、暑い中のんびりと構えていればいいものを、なぜが脳がびりびりとするのでありました^^。変身を考えるとやはり物語であり、待っているよりは自分で物語を考えることが一番で、そんなことは、年がら年中考えてる事ではありますが、こうのんびりさが続きますとより一層のひとときではありました^^。暇に任せてと脳びりさが^^、そう考えさせるのでありました。
ラジオドラマのサイトで脚本の募集懸賞を見つけると、これはいいなとドラマを考え始めて、声と音だけのドラマで、面白いモノは何かと考え、変身がしたいと言うことから、変身がしたくてたまらないヒーロー戦隊の物語、すぐに変身をしたがるヒーローの物語などを考えたりして、やはり映像に出来ない世界がいいのかなとも思い、想像の宇宙の世界とかを考えたりして、冥王星も除外されて、惑星が8個になってしまった事ですしと、そんなドラマをひたすらに、何か面白い物語はないものかと考える日々なのでありました。しかし課題がなく、自由というのは、絞りきれなくて、ひたすらに考えは広がるばかりでありました^^。ひたすら、ひたすらでありました^^。
又ラジオドラマから離れて別に、熱帯夜で眠れなくて思いついたことは、以前にも走り書きしていた、人一人産まれるのには何人の人間が必要なのかなと言うことで、これを絵本にするのならいけそうかなと思いつき、一人盛り上がり書き始めたのでした。
 「ある少年はふと考えた、僕が産まれる事が出来たのは、お父さんとお母さんの2人がいたからで、そのお父さんにもお母さんとお父さんがいて、僕のお爺ちゃんとお婆ちゃんであり、その人達は4人いる。そして曾爺ちゃんと曾婆ちゃんは8人いて、曾曾爺ちゃんと曾曾婆ちゃんは16人いた。曾曾曾の人たちは32人いて、曾曾曾曾の人たちは64人いた、曾曾曾曾曾は128人いて、曾曾曾曾曾曾は256人もいた。僕は計算機が必要になり、計算に夢中になったのでした。しかし...」
と文章を書いていて、計算し続けて、少年と私は^^まとまらなくなったのでした。一代を20年としても、23代前は1595年で、1600年の関ヶ原の戦いの五年前で^^、8,388,608人の人間が必ず僕一人産まれる為にいて、その20年後にはいきなり16,777,216人になり、江戸時代の日本の人口は1500万人しかいなかったのに、もう全く解らなくなる少年と私でした^^。ネットで「曾祖父、曾祖母」とか「親の親の親は」なんてキーワードで検索したら、やはり同じ様なことを考えている人はいるモノで、今まで産まれた人間が100億人ぐらいだと言う事であり、天文学的な数字で増えるばかりのこの不思議さの解答は全く理解不能状態に陥りましたが、きっとどこかの数学者?、遺伝学者?、統計学者?、人類学者?、の方々にとっては結論は出ている問題なのかも知れなく、誰か教えても貰いたいのですが、私は私なりに面白い物語を考えてみたくて、系統樹を紐解き、猿から猿人、原人、旧人、現代人(新人)の人類誕生からと現在からの遡りとで、どこかで合致する事はあるのかなどを考えて、不思議さがいっぱいの中、別の物語作りもまだまだ色々と続きながら、残暑を過ごしているの私なのでありました^^。のんびりさは相変わらずののんびりさで、脳びりさのままで、何が言いたかったのか解らない今回の楽屋の独り言が脈略もなく締めに入り^^、九月を迎えようとしているのでありました^^。9月はどんな月になりますか、楽しみにしながら、今年の初秋も楽しみたいと思います。それでは皆さん又です。お元気に^^


残暑越え 初秋の声に 耳澄まし 蝉に終わりを 風に始まりを
夜長月 惑わす星の 冥の果て 無限の星の 無限の思い
さり気なく 夏から秋へ 移る季に 気がつく事も 時に大事に

2006/09/29
〈[143]裏話編:「久しぶりに東映京都撮影所へ行き、楽しみました^^」〉
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 9月がこんなに秋雨長雨の時期だったかなと思うほど、雨が続き、冷え込みもいきなりでありましたが、秋真っ盛りへとゆっくりと変化しつつ10月を迎えようとしております。そんな9月の始めは、まだ残暑盛んな時で、そんな気候の中、京都の撮影所へと久しぶりに行ったのでした。
2001年の9月〜11月「五弁の椿」と「壬生義士伝」以来の五年ぶりでありました。随分とご無沙汰したモノで、しかしそれらは松竹の方で、東映撮影所の方へは、2000年の4月〜7月「京都潜入捜査官」で六年ぶりでありました。又東映での時代劇は1997年の9月〜10月の三時間ドラマでの「次郎長三国志」で9年ぶりであり、久しぶり過ぎて、初めて的な心持ちの今回の京都でありました。
その他の京都での作品を振り返ってみますと、97年の2月「水戸黄門、富山編」が初めての京都撮影所であり、東映太秦映画村でのロケ撮影が思い出されます。その他は、松竹撮影所での1999年の7月〜11月「12時間ドラマ次郎長三国志」と、2000年3月に「盤嶽の一生」、2001年1月「剣客商売」であり、それぞれに思い出もあり、その頃は割と続いていた京都での日々でありましたが、今回までは本当に久しぶりで、東映の俳優会館(楽屋等々のある場所)も綺麗になり、何とも色々と懐かしい感じであり、町の様子も変わっていたりして、久しぶりの時間の長さをも感じました^^。
 さてさて、その久しぶりの京都での時代劇ですが、朝の八時に撮影所へ行き、綺麗な楽屋に入り、浴衣に着替えて、先ずは自分での顔にメイク、ドウランを塗り、そしてカツラを着け貰い、そして衣装の着付けで、今回はキンキラのお殿様衣装に身を包み、折り畳みの椅子を借りて手に持ち、スタジオへと向かうのでした。スタジオに入り挨拶もそこそこで、記録の方から台詞の変更ありと聞かされ、それも割と多くの追加、変更であったので、出番までひさすらに大きな声で台詞を繰り返すばかりでありました。そしていよいよ出番になり、私は、自分の江戸屋敷でリラックスしていて、軽めかなとあぐらなどしてスタンバイしてますと、いきなり監督からあぐらを否定されて、「さっきから練習してたけどあれじゃ素浪人だよ、70万石の殿様だよ(本当は尾張藩は61万石で全国四位ぐらいでありました)。帝王学を学んでいるんだよ。感情、抑揚もなく、大きな声もださない」とガツーンと言われたのでした。とてつもなき大きな藩の藩主であって、そんじょそこらの殿様ではないのでありました。殿様と言えば、バカ殿が先ずは浮かびますが、それは違うとしても、いろんなキャラクターはいるだろうし、殿様の貫禄は考えいて、普通にリアルに落ち着いて喋るのかなとは思ってた私でしたが、それでは、他の侍たちと差がつかないからなのか、全く考えていた感じと違ったキャラを要求されたのでした。監督に要求された演技プランは、私は考えもしてなかったので、やや戸惑いましたが、キャラが指定されれば、了解とばかりに、その要求に応えるべく、ひたすらに楽しみは始まったのでした。しかしすぐに声が大きくなったり、早口になったりして、ダメだしをされながら、今までにないゆっくりとした抑揚、感情のない小さく静かな喋り方をひたすらに楽しんだのでした。そして別のシーンでは、お茶の作法をしながらの台詞があり、茶道など初体験であり、台詞も初体験に加え^^動作も初体験で、NGを多々出しながら、ボロボロのワンシーンでありました。茶道は無駄な動きがなく、流れる様に自然にではありましたが、ついつい流れるようにを考えると日舞になってしまい、変に体が動いてしまい、どっしりとした貫禄がなくなってしまう私なのでありました^^。そんな反省、悔しさを多々残しながらも楽しく、出番の三シーンの撮影を終えたのでした。撮影は一日で、それも昼過ぎには終わり、アッと言う間の久しぶりの京都でのひとときでありました。どんな感じになっているのか、12/1の放送が凄く待ち遠しくて楽しみであります。今回で、役処のキャラがはっきりし、それもなかなか楽しく出来そうなので、もう一回ぐらい出番があれば、又より一層楽しめるのかなと思いましたが、どうなりますか^^。尾張徳川家は御三家の一人だから再登場するだろうと、床山さん曰くで、再登場は全くの未定なのに、前日のカツラ合わせの時には、新たに私の頭に合わせたカツラまで作りましたが、登場は果たしてあるのかどうなのか微妙であり、どうなりますか^^全く判りません。今回のドラマ「逃亡者おりん」はツークールあるので再登場の可能性も高いのかなではありますが、一ヵ月たった今、登場の予定もなく、とにかく再登場があることを気楽に気長に待ちたいと思います^^。どうなりますか^^。
 そして又先日は、来月から撮影が始まる、ある映画でのリハーサルもありました。その映画の物語は昭和初期の、空手道の物語であり、私の役は、高利貸しやくざの親分であり、衣装合わせで決まったハットを被りステッキを持っての悪役を先ずはリハーサルで楽しんだのでした。私が空手で闘う場面など皆無の役処ではありますが、悪役を多いに楽しみたいと思います。映画自体も、珍しい正統派の空手映画と言う感じになりそうで、どんな映画になりますか、今は、あれやこれやと考えての日々であります。他にも「仮面ライダーカブト」に悪役・怪人でもなく、ライダーでもなく、あるオペラサークルの演出家の役での変身(変身はしない普通の人間であります^^)もあり、又違うドラマでは、小学校の担任への変身もあり、色々と10月は楽しみたいと思います。
一雨毎に秋へと深まって行く感じの日々ですが、風邪など引きませぬ様に、今年の秋も多いに楽しんで参りましょう。それでは皆さん又次回まで、お元気に^^


秋雨は 夏を沈めに 長雨に 切なき風と 澄む空見せる
赤トンボ 秋の陽射しに 戯れて 差し出す指に 止まる暇なし^^
秋風が 金木犀に 寄り添いて 運ぶは甘き 不思議な思い^^

2006/10/29 〈[144]裏話編:「今月は四つの変身を楽しんで・・・^^」〉 戻る
 陽気も日に日に秋の穏やかさになっていく感じの今年の10月、そんな10月は四つも変身があり、有り難い事で、多いに楽しみました。変身がない時は、全くなくて、ある時は重なるモノであり(有り難く^^)、これは私の運命のリズム、浮き沈み^^に関係しているのでしょうか、不思議なモノです^^。しかし今回はスケジュール等々が重なることなく、色々と変身が出来たことは良かったです。折角キャスティングしてくれても、スケジュールが合わなくて、泣く泣くと言う事もありますので、これも私の人生の巡りあわせでしょうか。人生色々です^^。
 さてさて先ず一つ目は「仮面ライダーカブト」での変身でありました。
私はある小さなオペラサークルの演出家の役であり、登場はそのサークルでの場面のみで、仮面ライダーのドラマを撮っている感じではなく、監督曰くの、お昼のドラマを撮っているみたいでありました^^。指揮棒を手に持ち、ピアノを鳴らして、発声を促して始まり、ピアノなどは遊びで無茶苦茶なら弾けますが、ちゃんとは出来ない私なのに、いかにも出来る見たいにピアノの前に座っていますと、手元のショットもありで、ちょと慌てた私は、手が堅くて苦労をしましたが、演出家への変身を色々と楽しんだのでした。マエストロがやりたくなり、ピアノも弾きたくなりましたが、果たして音楽家に見えるのか、どうなのか、気になるところであります^^。放送を見て、やはりどうかな?でありました。又相手役の名前「麗奈」を「れいな」とずっと言っていて、本当は「れな」であると最後の最後で音声さんに指摘されて、びっくりでした。39話では微妙に「れーな」と言っていて、一人だけ変でありました。
 そして次に映画の「黒帯」でありますが、これはまだ公に出来ないみたいで、ここで色々と書いていてはいけないかも知れませんが、こっそり書きたいと思います^^。私の役柄は、悪徳高利貸し土岡組の親分であり、昭和初期、ハットを被り、杖を持ち、押さえ気味の芝居で多いに楽しんだのでした。
撮影はオールロケであり、私の初日は、標高1100mの奥秩父の神社側にある藁葺き屋根の民家から始まり、船橋、栃木、木更津と続きました。
奥秩父ロケでは、一日目の登場はワンシーンだけで午前中には楽しく終了し、その後何をして過ごすのか、神社散策もすぐ終わり、滝でも見ようと下り始めた3.7キロの道無き道。熊注意の看板が気になる昔の表参道の道。「熊よ出てくるなよ」と一人言たっぷりで山道・獣道をひた歩き、一人誰もいない山の中へとドンドン入っていく感じで、心細くもなり、残り半分ぐらいの1.9キロの場所で、やっと男女の二人が前から登ってきて、ホント「おおっ!」と声を出し、嬉しかったですが、すれ違いで「後どれくらいですか?」と聞いただけで、すぐに又一人になったのでした。「落ちたら死ぬぞ」「道間違ったら遭難するぞ」「何?今の音は?」と何かの気配も感じながら、修行の行者道の様な道を、午前中の変身を振り返りながら、「熊か?!」と振り返りながら^^、1100mの三峯神社から410mの大輪と言う所まで、一時間がかりで下ってしまったのでした。無事たどり着いてホッとはしましたが、帰りのバスも残り一本で、来た道を倍の二時間掛けて登り帰ることは絶対に無理で、バス道路を帰るのも、ぐるりひと山回り歩かなくてはいけなくて、下手するととんでもないことになっていた、暇つぶしの軽い気持ちで始めた、何とも重い感じの強烈な体験の午後のひとときでした。
それから一時間バスを待ちながら、怖かったなとか、面白かったなとか、無事ゆえに思える事で、又何かで詳しく思いを書きたい様な撮影初日、撮影裏話等ではまったくない奥秩父下山体験の話でありました^^。
そして奥秩父の二日目もワンシーンのみであり、嫌みいっぱいで変身を又楽しんだのでした。そしてその次の日は、千葉県は船橋にある古い日本家屋の割烹旅館であり、映画は待つのが仕事で、ひたすら待って、それでも撮り切れなくて残りは次の日へと持ち越したりしたのでした。その持ち越しのシーンは、私が嫌味を言って相手を殴るシーンで、普通は当然殴る事はないのですが、相手役の方は、俳優でなく初めて芝居をする空手家の方で、リアクションが苦手みたいで、「どうぞ殴って下さい」と言われたので仕方なく、かする程度で殴ったのですが、骨と骨のいい音がしたりして、彼の頭が痛かったろうねと思うも、私の手も痛く(帰ってから少々腫れて^^)、本番を四回ほど演り殴って、それらがどこまで撮れていて、伝わるのか、彼の殴られ損にならないようにと、まずは始めの四日間が終了したのでした。
そして一週間程のちに、栃木県は鹿沼市にある、築100年の民家にて、近所の人々がわんさか見物に集まる中、変身を楽しみ、次の日は鹿沼市の地域資料館のお堂内を座敷牢にして、売られて来た女の子たちの前で少々の悪役を又楽しんだのでした^^。
そしてラストのロケ地は木更津の広々とした丘・原っぱであり、主役二人が対決するラストシーンでの二言の台詞とリアクションで私の出番は全て終了したのでした。黒帯の公開は来年の春過ぎに外国で先ず公開されて、そのあと秋に日本で公開されるみたいで、ワイヤーアクションもCGも一切使わない生身の肉体だけで勝負している本格空手道ムービー、とにかく私の芝居も気になりいっぱいですが、早く全編を見てみたい来年の秋の楽しみになりました。
 そしてそんな「黒帯」の合間には二つのドラマがあり、その一つは、NHKでの「ふとっちょダイスケの悩み」なるドラマで先生役を楽しんだのでした。
このドラマは、アジア子どもドラマシリーズと言う15分のドラマで、アジア地域で、子ども向けの番組を制作するという試みで、今回で3シリーズ目であり、今回の参加予定機関は、ブータン・中国・香港・モンゴル・マレーシア・韓国・スリランカ・ブルネイ・モーリシャス・パキスタン・日本の11放送局が参加し、来年春にそれぞれの国でも放送される、なんとも楽しみな企画でありました。今回のドラマは、子供のためのドラマなので、子供が主役であり、先生役である私は、ワンシーンにワンカットの一瞬の登場で、果たしてどこまで映っているのでしょうかと気にはなりますが、子供たちは監督とか大人に言われるがままに動いていて、大人の私が余計な事してNGを出さない様にしないといけないと、やや違う緊張があった中、24名の小学生達と、席替えのシーン、授業のシーン、掃除の時間に注意するシーンと楽しんだのでした。リハーサルで子ども達の騒ぐエネルギーの凄さを知り、こりゃ本当の先生は大変だろうなと思いながら、撮影当日は私も大きな声を出して多いに楽しんだのでした。子供たちは気分屋ゆえ、機嫌をとりながら撮影を進めて行くスタッフの苦労を感じながら、私はアッと言う間に終了し、どんな出来上がりになりますか、来年春の放送が楽しみであります。参加のそれぞれの国で全てが放送されると言う事なので、何とも楽しみで、他の国のドラマも見てみたい気がします。
 そしてそしてもう一つは「硫黄島〜戦場の郵便配達〜」と言う二時間ドラマであります。
先日の撮影では、「黒帯」の撮影がまだ終わっていなかったので、帽子を被っての撮影でありましたが、来月からは「ムルデカ」以来の久しぶりの本格的坊主頭での撮影であり、どんな感じになりますか、野戦郵便兵を多いに又楽しみたいと思います。詳しくは又来月のこの場でご報告出来ればと思っております。それでは深まるばかりの秋の11月も皆さん多いに楽しんで参りましょう。お元気に^^


空高く 青さ眩しき 秋の下 心穏やか 切なさ少し^^
虫の声 秋の夜長に いつまでも スズにコオロギ 恋歌いっぱい^^
人一人 道なき山に 畏れ入り 森の何かが いたようでゾゾッ^^

2006/11/25
〈[145]独り言編:「坊主頭のドラマ硫黄島話と頑張れ不思議な私の体調話^^」〉
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坊主頭
44歳8ヶ月ちょっと長めの坊主頭

坊主頭2
富士山と坊主頭と戦闘機(作り物)
 秋はゆっくりと寒さを重ねながら、徐々に冬へと移行している感じであります。
そんな深まり行く秋の中、映画「黒帯」の撮影が終わった翌日の11/1に、私は6年ぶりの坊主頭になりました^^。今回の坊主頭は、長さが微妙で、バリカンなら最長は13mmですが、それよりもやや長めの2cmぐらいが監督の希望であり、しかし私としては今後のためにも少しでもより長めを密かに希望していて、そんな微妙な長さの注文を持つ私は、果たして理容師にそれらが上手く伝わるのかと心配になりながら、いざ散髪屋へと定規持参でレッツゴーでありました^^。
そして散髪屋へ行きますと、私の髪の毛を切る理容師さんは、まだ新人さんって感じで、何だか客の扱いも慣れてなくて元気もなく、定規を渡して何とか希望を伝えましたが、果たして思い通りになるのか不安のまま切り進められて行き、微妙な長さの坊主頭が出来上がったのでした^^。あとは監督のOKが出るのかどうなのかと気になりながら撮影日を待ったのでした。
数日後監督のOKも出て始まった今回の郵便兵への本格変身、「戦場の郵便配達(仮)」とサブタイトルからすると郵便兵が主役なのかなと思われがちですが、私は主役ではなく、郵便を配達する元気な一般兵でありました。けれども配達等々島での色々なシーンの撮影があり、主役のつもりでそれらを多いに、ドウランで汚されメイクを足とか手とか顔とかにされながら多いに楽しんだのでした^^。
そんな撮影は、まだ坊主頭ではなく帽子を被ったまま、ひたすらに埃まみれになりながらスタジオに作られた地下塹壕セット内を走り回って楽しんだ二日目間から始まって、坊主頭になっても帽子を取ることなく、午前中にあっと言う間に終了した茨城県の民家での一日。郵便兵のメインとされるシーンを数々撮った朝霧高原でのロケでは、連日秋晴れ快晴で見事な富士山ばかりを見ては楽しみ、標高700mのせいでしょうか、下記に書かれた体調のせいでしょうか、倒れて力の抜けた相棒を背負う場面では、自分の息切れの激しさにびっくりし、こんなに体力がなかったのかと思い知らされ、一面溶岩石だらけで、知らない間に擦り傷だらけにもなりながら、名誉の負傷と笑い楽しんだ四日間でありました。そしてやたらと寒かった裾野十里木でのロケは、ラストの硫黄島末期のシーンの撮影を楽しんだ二日目間であり、そのロケで郵便兵のすべてが終わったのでした。
私の役の中村郵便兵は、明るく元気に配る郵便兵で、会話らしい会話もなく、台詞もその場で考えて言う事が多く、自由勝手に考えては、本番に臨んでました。しかし同じ事ばかりは言いたくなかったりして、どの言葉を選択するのかが難しく、脚本家の方に何か言われそうな感じでもありますが、そんな事も色々楽しんだ今回の変身でした。しかし放送を見ると、ほとんどカットされていたり、声なしの画だけで、雰囲気だけの事も多々ありまして、それもそれで楽しみでもあります。又今回の私の相棒のもう一人の郵便兵役の森廉君は、「夜回り先生」で、私の暴力を受ける息子役の方でびっくりであり、何かの縁でしょうか、今回は仲良く親子の様に楽しんだのでした。
そんなこんなで楽しんだ今回の硫黄島のドラマがどんな感じで完成されるのかが気になり、早く見たい気持ちで盛り上がっております^^。そして放送日が、クリントイーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」の公開日12/9と同じ日であり、Mr.C.E.W.は、気にもしていないとは思いますが、また別の硫黄島での物語をより多くの方々にも見て貰いたく、放送日がワクワクドキドキ多いに楽しみであります^^。皆さんどうぞ宜しくお願いします。

 さてさて、話はガラッと変わりまして、私の最近の体調の話なんですが、そんな話を書きますと、又皆さんがご心配されるかなとは思いましたが、肉体の不思議さ、面白さ、生きる上での何かの参考になればと、「へぇ〜」って思っていただければと思い、そんな不思議体験話を黙っておけなくて、伝えたいと思う男は、書きたいと思ったのでした^^。今は割と元気だと言う事を始めに書きまして、私は、先月の終わりにいきなり不安な精神状態に陥り、手足が軽く痺れ、肉体のコントロールがままならぬ感じになってしまったのでした。これは何なんだとやや混乱の中、今や情報はネットのサイトから調べる便利な世の中になったので、早速症状等々から調べますと、私の症状が、自律神経失調症(丁度NHKの番組でも自律神経の言葉が出ていてピンと来て調べてみた)と同じ感じだなと思いました。しかし果たしてそうなのかどうなのか判らないまま、首と肩の重さから、もしかして霊でも憑いたのか、先月奥秩父の山から何か連れて来たのかなとも思ったりもして、別のサイト、セルフ除霊なるサイトも探しだしたりもしたのでした^^。これがまた私の症状と合致したので、本当は何だ?私の肉体はどうなったのだと、三日間苦しんだ後、今回の原因が背中のズレにありと判明したのでした。丁度その背中のズレた部分が自律神経を圧迫していると判明し、すべての謎が解けた感じだったのでした。背中のずれを元に戻して貰うと、ゆっくりと嘘の様に回復していったのでしたが、のちに又変化を見せ始め、次は頸椎もズレていた事が判ったのでした。そしてネットで頸椎のズレを調べると、骨盤のズレから背中のズレを伴い、頸椎のズレへと進んでいくと言うことが判り、その頸椎のズレが大切な脳幹を刺激したのだと自己診断をしたのでしたが、先日スポーツマッサージによる筋肉のチェックをして貰ったら、私の筋肉の強弱のバランスが悪すぎて歪んでいると言うことが判明し、筋肉強化とストレッチの日々で様子を見る事になったのでした。しかしこれらの背中、頸椎のズレは痛みがないのが厄介であり、今回の悩ましく苦しい所でもありました^^。今回の苦しみの三日間は、元気は元気だったのでしたが、落ち着かなく、じっとしていられない状態と言うのか、歩き回る感じで、眠いのだが寝ていられない、全く言葉で説明し辛い状況でありました。少々の痛みとかならまだ何とか頑張れるし、対処もありますが、今回は初めての経験で、意識が一点に集中してしまい鳥肌が立ち自分が何処かに行って戻って来れなくなる感じで、そんな肉体と自分の意識をコントロール出来なくなる辛さ怖さであり、死への不安もちらついた程でありました。それが背中・頸椎の自律神経への刺激、圧迫によるモノだと言う、脳幹への悪さだという、何とも肉体のメカニズムの複雑さ、不思議さでありましょうか、後頭部のもやもや感の気持ち悪さであり、又同時に胃にも来ていて、胃レントゲンを撮りますとなんと十二指腸潰瘍にもなっていて、ダブルパンチ、トリプルパンチのボロボロな感じの先月末から今月始めの私でありました。今はなんとか自分の意識が肉体から離れる事なく、ちゃんとくっついていますので、肩とか首とか胃とか舌とか腰とかモノモノはまだまだありますが^^、それらは自分で何とか対処出来る状態かなであり^^、元気と言える私ではあります^^。本当かと自分に問いかけながらも、もう笑うしかなく、姿勢を良くし、ストレッチもしバランスの良い筋肉を目指しながら、後は気持ちで^^、強い気の高まりを維持して、気長に自己治癒力を盛り上げて行くしかない感じであります^^。私と同年代の方々、年上の方々、私よりお若い方々、肉体は生きてます。日々刻々と変化しながら、生きております。予想もしない事がいきなり色々と来る場合もあります。人間と言うモノは、ホンの些細な感触感覚違いでも不安になるモノでございますね^^。どうぞ皆さんもお体をご慈愛下さいませ。

 それでは又です。元気に締めの言葉へと参ります^^。坊主頭では当分次の変身はなさそうで、やくざか、刑務所内か、お坊さんか、時代劇か、と色々とありそうですが、役が決まって来てしまい、下手すると、今回の郵便兵で仕事納めになりそうかなと思ってましたら、日テレの「たったひとつの恋」なるドラマでの主役の方の母の彼氏役を頂き、第7話だけの登場で、先日ワンシーンを横浜のスナックで楽しみ、アッと言う間に終了したのでした^^。これで仕事納めになるのでしょうか、どうなのでしょうか、髪の毛の伸びは、一ヵ月約1cmなので、今が3cmちょっとで、セット出来るまでには二ヵ月はかかるのか、人よりは早そうなの私なので、どうなりますか、今年も残り一ヵ月になり、体調も含めどんな人生が待っているのか、まだまだ楽しみにしたいと思います。ではでは皆さん、お忙しい師走年末も、どうぞお元気に^^。


富士山が 秋晴れ背負い 凜と立つ 内に秘めたる 力見せずに^^
木々の葉が 色づき落ちる さらりにさ 冬も間近と さらりと思う^^
人間の 強さと脆さ 紙一重 それに気づきて 気持ち高めて^^

2006/12/27
〈[146]独り言編:「色々とあった2006年を振り返りまして・・・^^」〉
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 今年の冬が少しづつ本気さを増やしつつあるも、暖冬傾向で暖かかったりもしていて、どんな冬になるのかなと気になり始めている年の瀬です^^。
そして色々となさそうで色々とあった2006年も、もうすぐ静かに終わろうとしています。年の始めは、変身の予定もなく、何か違う感覚に包まれながら、どんな一年になるんだろうと、試行錯誤の繰り返しでしたが、今終わろうしてみて、なかなか今までにない、変身にしろ体調にしろの、一年であったかなと思います。
まずは今年一年の私の変身を振り返ってみますと、月毎に振り返られる感じであり、1月は、去年からの続きの二時間ドラマ「炎の警備隊長4」での刑事役で、二日間だけのこの変身が1月の変身でした。この刑事役は、6月17日の放送を見て、どうもぎこちない感じに見えて反省反省でありました^^。
そして2月は、初のラジオドラマで山野井さんと言う登山家を楽しみました。誕生日に最終回の放送と言う、なんとも思いも倍増と言う感じでありました。又、始めの頃の出来事は忘れがちであり、1級小型船舶操縦士の免許を取得したのも今年のこの頃であり、今思うと「そんなんだ」と言う感じあります^^。
そして3月は、水商売専門の高校の教頭先生役で楽しみ、校長役の竹中直人さんとのアドリブが楽しく、放送ではカットにはなりましたが、又何かで共演したいと言う思いであります。
そして4月は、「ドラム叩ける?」で始まったハナ肇さんへの変身でありました。制作発表にも出たりして、これはなかなか楽しきドラマでありました。この4月からは色々と変身がも重なり合いながらで、多いに楽しんだのでした。
4月〜6月は、ギャルサーなるドラマで、14の役に変身し、これまた違った遊び的要素で多いに楽しきワンクールでした。
6月7月には、慶次郎縁側日記3での、いつものお蕎麦屋の菊松であり、今回は、二話だけの登場でしたが、お蕎麦屋の養子の話も又チラリとあり、楽しめてよかったです。今回のパート3で一先ずは終了かなと言う感じであり、又いつの日にかを楽しみにしたいと思います。
そして今年は舞台は、ないのかなと思いきや、有り難くもキャスティングしてもらい、5月稽古で、6月7月本番の舞台を土佐の漁師役で、またなかなか格好いい役を頂き楽しんだのでした。そして舞台の余韻醒めやらぬまま、実家より東京に戻って、ある舞台のオーディションを英国演出家の前で演って、全く演りきれなくて悔しい思いで、結果も不合格であり、いい経験のひとときでした。それらが不合格になった事で、来年春の舞台を楽しむ事になり、この結果はどう出るのかは来年の楽しみであり、私の人生の面白さがちょっと見える感じであります。
そして7月には、ラジオドラマでの広島原爆の話で、恋する青年を楽しみましたが、漫画が原作で、原作のファンの感想書き込みを読んだら、イメージが違うと書かれていて、ガクンとややなるも^^、もっと楽しみたかったラジオドラマでありました。先日、何かの賞も獲得したらしく、「垂直の記憶」にも誰か何かをと思ったりした私なのでありました^^。
そして8月は、なにもなくて、いつもの試行錯誤も再びって感じでありました。今年の夏は暑かったのか、どうだったのかさえも忘れています^^。ちょっと暑かったかな?^^
そして9月には、尾張藩主宗勝を監督の言われるままに私の感覚とは全く違う感じで無表情的に演じたのでしたが、放送を観て愕然とし、ありゃアカンと参りました^^。
10月は、仮面ライダー演出家をタクト振り振り楽しんで、NHKでの子供のためのドラマで小学校の先生を楽しみ、早く他の国の作品がみて見たいと思いました。そして空手道映画「黒帯」では、高利貸しやくざを静かに楽しみ、来年春の海外上映、来年秋の日本上映での反応が今から楽しみであります。
そして10月〜11月は、久しぶりに坊主頭になっての野戦郵便兵を楽しんだのでした。しかし放送を観ますと、カットシーンが今までになく多くて、ややあれっと思い、ドキュメンタリードラマゆえ仕方なき事かなと思いましたが、折角ですのでこの場を借りて、カットになったシーンを気持ちだけですが復活させたいと思います。DVDになって復活する事もないと思いますので^^。
まずは、中村郵便兵初めての登場からで、郵便袋を受け取り郵便所へ辿り着くまではカットなくありましたが、その後仕分して郵便所を飛び出して行く二人の姿(さあ配るぞの中村郵便兵の顔)がカットで、テント設営している兵士へ陽気に届けるシーンもカットで、少年兵に手紙を渡している後ろ姿はありましたが、その前にやって来て少年兵と道で会い、「ちょうどよかった、今から行く所でした。手紙を渡します!」がカットになって、全てを配り終えて、斎藤郵便兵と道で会い、じゃれ合いながら郵便所へ帰るシーンが丸々カットになりました。まだまだ続きます^^。スコールが降って来て裸になり斎藤の石鹸を使い「けち臭い事言うな、お前もトットと服を脱げ」と言いながら、頭、身体を洗いお猛びを上げるシーンがまた丸々カットになり、ややがっかりでありました。手紙を出す為に並んでいる兵士たちに「慌てないで並んで下さい」「そこ割り込まないで」まではありましたが、その後「一人、二通までです」と一人一人手紙を検査する芝居がカットになり、郵便所で斎藤と手紙を書いているシーンで、何か斎藤と喋りたいと思って考えていって台詞「ご馳走って漢字どう書くんだっけ?」「ひらがなでいいじゃないですか」が採用になって、会話をした後、家族を思う表情が楽しみだったのですが、これが丸々カットになり、ちょっと寂しかったカットのひとつでした。又、一式陸攻戦闘機が到着したと塹壕から出てくるシーン(岩の上から一式陸攻戦闘機を嬉しそうに見る中村郵便兵)がカットであり、斎藤が撃たれて亡くなるシーンは、カットが殆どなくよかったのですが、観ていてドキドキものでした。そしてしばらくして、援軍が来るぞと言う言葉を聞き郵便袋を手に持ち喜ぶ中村と、援軍が引き返したと肩を落とす中村のそれぞれのリアクション(表情が見たかったなあ)が丸々カットでありました。最後塹壕内で市丸閣下の登場を待っている時に、米軍からの日本人捕虜を使って降伏を呼び掛ける放送が流れてきて(事実だったらしく)、それに対して「クソ、日本の捕虜に読ませやがって」と中村が悔しく呟く場面がカットになり、市丸閣下登場からそのシーンは始まりました。そして皆で外へと出て、台本になく追加されたシーンで、郵便腕章を外すシーンがどうなるのか、これもドキドキものでしたが、中村郵便兵最後のシーンが有り難くも放送されて良かったのでありました。後は市丸閣下の後ろで長い竹槍を手に持ち、突撃する中村郵便兵もいましたが、市丸閣下突撃のストップモーションで全ては終わったのでした。これだけ書くと言うのは、放送で見たかったと言うのもありますが、色々と思いも深いと言うのか、撮影等が最近だったからと言う事なのかなであります。まあ、カットなんてものは、すべての作品において当然いつもあるモノで、春にやった「ヒットパレード」でも、映画の「黒帯」でも多々ありで、その度一喜一憂の役者稼業でございます^^。
そして坊主頭になった私には、どんな変身が来るのかなと気長に待っておりますと有り難い事にすぐに変身の話が来ました。
11月には、ある母のギャンブル好きな彼氏役をワンシーンながら頂いて楽しみ。
12月は、ツチノコを見たお百姓さん役で初めてのNHK大阪へ行き、朝のテレビ小説を関西弁で楽しみ、又二時間ドラマでは、格闘家のコーチ役を2シーンの登場でしたが多いに楽しんだのでした。このコーチ役が今年の変身納めになり、又来年へと楽しみを勝手に膨らませている私なのでありました。来年は5月6月と11月12月に舞台の予定もあり、それらに思いを膨らませながら、どんな変身が待っているのか、いないのか、毎年の事ながら、気楽に気長に陽気に新年を又迎えたいと思います。
一年365日、思い返しますと色々と日々ありましたが、元気に楽しくが何よりであり、今現在が一番であり、10月の末に背骨、頸椎のズレが判明し、それらによって自律神経の乱れが生じ、それらを未だ落ち着かせながら、自己治癒力を応援しながら、弱気になりそうな自分に喝を入れながら、新たな年を迎えたいと思います。
来年は、イノシシ年であり、そんなイノシシとちょっと前に道でばったり出会った私なのでありました。確か硫黄島のオールアップの日の夜、マネージャーの車で富士の裾野から帰る時でした。道を横切るイノシシと出会い、マネージャーと驚きながら、来年の干支に出会ったと、縁起がいいかなと思い、来年に向けて、多いに楽しみにしたいと思います。
そして最後に皆さん今年も色々と有難うございました。来年もどうぞ宜しくお願いします。皆さんにとってもよい年でありますように、元気によい年を迎え、お正月をお楽しみ下さいませ。それでは皆さん又です。お元気に^^


冬に咲く 花の気持ちで 我も咲け 新たな花で 活き活き活きろ
変わる年 新たに問うて 又活きる 身も心をも、真っすぐにして^^
暖冬と 呟く冬も 始まりで 新たな年も らしさで活きる

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