2007/01/28
〈[147]独り言編:「人間ドックから始まった2007年も、多いに色々と^^」〉
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新しい年、2007年も始まり、お正月は、何処へ行く事もなく、のんびりウダウダと過ごした私でありました^^。冬も、暖冬と言われながらも、らしさを魅せながら日々寒さいっぱいであり、そして今年の1月も終わろうとしております。
今年は、年明け早々に人間ドックへと行き、体調チェックから今年は始まりました。私の人間ドックの初めは、2001年11/19であり、予想通りで大した異常もなく、二回目は、その約二年後の2003/10/17で、これまた大した異常もなく、毎年決まって行くには、やはり何かのきっかけ、体調を崩すとかが必要かなとも思いました。それから一年三ヶ月後の2005/2/1に、変な夢を見た私は、楽屋にも人間ドック体験記を初めて書きましたが、三回目はクリニックを変えての受診でした。そして今回で四回目、又違うクリニックでの受診でした。頭部CTも受け、去年から、体調の乱れが起こっていたので、何か重大な発見があるのかなと思いきや、視力が落ち、血圧が低く、肺活量がびっくりするぐらいなくなっていたぐらいで、嘘みたいに異常なしの結果で、ほとんどが正常値の"A"でした。絶対的数値主義かなの西洋医学には、やはり疑問符が残る私でありました^^。しかしオールAではありましたが、ひとつだけ、便潜血反応が陽性になったらしく、「陽性になったら、大腸の精密検査をして下さい」と言うのが、マニュアルみたいで、私的には、その血の原因は判っている感じだったのですが^^、たまには大腸の検査をしてみるのもいいかなと、その日の午後に近所のクリニックへと行き、その旨を伝えると、同じ様な人が多くて、内視鏡検査は、4月まで予約でいっぱいだと知り、そんな現実にびっくりもしました^^。そして精度、正確性は落ちる、注腸検査なら今週にでも出来ると言う事で、それを受ける事にしたのでした。これは、バリウムを飲んで検査する、胃レントゲンと同じ検査であり、問題は、検査当日まで、腸に何もない状態にしなくてはいけないと言うことでした。少しでも食べ物とかがあると、ポリープなのか、そうでないのかが判らないらしく、腸をすっきり綺麗になっているのが前提の検査でありました。初めてで興味深い体験でしたし、これから体験する人の為に^^、少しでも何かの参考になればと言う感じで、便関係のやや汚い話でもありますが、医学と言うことで^^、体験報告をしたいと思います^^。
先ずは、検査の予約をした日に、検査前日に食べる、あのお菓子メーカーのグリコが作った、保健が効かない注腸検査用流動食三食を買わされて持って帰って来たのでした。そして検査前日は、朝昼は白粥のみを食べ、とにかくひたすらに数時間おきに水分を摂り摂りの一日でした。昼と夜の間に、間食でグリコの「ビスコ」等々が入っていて、腹が減りまくっていたので「ビスコ」が楽しみで、早くおやつの15時にならないかと待ち遠しくて^^、久しぶりに食べ美味しかった「ビスコ」でありました^^。夜は米緬のヌードルのみで、後はひたすらにスポーツドリンクを飲み飲みで、腹は減り減りで、便よ何とか出ろ出ろで、便秘症だったのでやや気になる前日なのでありました。昼過ぎには大量の粉薬も飲み、寝る前には錠剤も飲み、明日の朝の便に期待しながら、腹を減らしながらの就寝でした。
そして当日は何とか便も出たかなって感じで、やや不安で始まった注腸検査でありました。筋肉注射をして腸の活動をゆっくりにして、大腸にバリウムを入れて、ゴロゴロ、ゴロゴロと検査台の上を転がりながらの検査でありました。結果は予想通りの問題なしでしたが、果たして本当にそうなのかと、又やや疑問を残しながらも、これで今回の人間ドックは無事終わったのでした。しかし今回の西洋医学的には、問題なしでも、我が肉体は、まだ落ち着きをやや見せなくて、ジョギングも又久しぶりに始め、筋肉トレーニングも久しぶりに始めて、我が肉体よ何処へ行く「今年一年も、頼むぞー」と始まった、今年の始まりでした^^。
そんな肉体と日々対しながら、去年の終わり、年末から、モノを買うことが多い私であり、それらの買い物にも色々と書きたくなることがありました^^。先ずは、ひげ剃りであります。ある家電量販店にて、勇気を振り絞って「ディスカウントプリーズ(安くなります?)」を要求すると、なんと1000円まけて貰って、喜んでいたら、別の量販店では、それより又1000円も安く売っていてショックであり、なんだか悔しくもありました^^。そして年末ギリギリには携帯を遂に買ったのでしたが、買った後で、電池パックプレゼントという文字をドコモの新製品パンフレットの最後に見つけ、これは嬉しいと早速、年明けにダメ元でドコモショップに行きますと、「機種変更されていますので、応じられません」との事でした。今回の携帯購入は、電池の寿命が限界で決めたのに、気がついたのが、遅かったと言う事で、これまた悔しい思いでいっぱいでありました。色々とお得なサービスゲットは、パンフレットとかを、隅々まで色々と見ないといけないなと反省でありました^^。そして先日買った、液晶テレビであります。20万円と言う、久し振りの高い買い物なので、ドキドキ度もいっぱいであり、ダメ元で「ディスカウントプリーズ(安くなりません?)」を言っても、即答でダメで、そこをなんとかと粘る事が出来ない私は、何かオマケをともドキドキで言ってみましたが、それもダメで、あの後、色々と粘ればなんとかなったのかなと、それならば悔しいなと思い^^、そんな家電量販店の裏情報を知りたいと言う思いの中帰って来たのでした。又今回選んだ液晶テレビは、果たしてどうなのか、本当にいいのか?とか、液晶テレビが我が家に来るまで、思い巡らしの日々でありました^^。そして我が家にやって来た37型液晶テレビは、やはり大きくて画も明るくて、いい感じで、テレビっ子な私を楽しませてくれております。
そして、さあ、次の買い物は、「iMac」であります。又高い買い物であり、情報収集の日々であり、楽しみの日々でもあります。マックと同時に「タブレット」をとも思いますし、スキャナーも変えなくてはいけないしと、色々と検討であります。他にもDVDレコーダーも必要だし、5.1chホームシアターも欲しい感じですし、欲しいモノを挙げますと、キリがない感じであり、財布と相談の日々であります^^。
そんな「買いたいモノなんだろう!」も楽しいのですが、そんな事より、役者である私は変身であります^^。今年も明け、気長に待ってますと、今年も始まりました。今年の変身初めは、テレビ朝日の「エラいところに嫁いでしまった!」での変身でありました。もらった台本では、初めは、八百屋さんでしたが、撮影当日、現場へ行って造り酒屋の主人に変更だと知り、びっくりするも、設定が変わっただけで、何も問題なしで始まりました。「ごくせん」大江戸一家のお嬢と久しぶりに会って、近藤芳正氏とも芝居をして、多いに楽しんだのでしたが、なんとも細かい芝居のあれこれの反省もありで、今年も反省反省で楽しんで活けたらいいかなという感じでございました。そんなドラマも四話だけの登場と思いきや、五話にもワンシーンだけホンのちょっこっと登場するという嬉しさもありました。そして別のドラマでは、2年ぶりに「相棒」での警視庁記者クラブキャップの登場もあり、ある人物、相島一之氏扮する男が関わった、昔の事件の説明台詞に、NG連発で何とも悔しい、スタッフキャストに申し訳ない思いでの再登場でした。「相棒」では二年前の苦い経験もありましたが、今回は監督も違っていて、主役の方々との芝居で多いに楽しんだひとときでした。
そんなこんなで始まった、今年の1月でしたが、来月2月はどんな変身があるのか、無いのか、また気長に楽しみに待ちたいと思っております。そして今年の2月の24日で45歳を迎える私は、45と言うキリ歳として新たな思いで、その誕生日を迎えたいと思います。それでは暖冬も、寒さだけはそれなりにあります冬真っ盛りの日々を、多いに楽しんで参りましょう。身体には気をつけながらで^^、お元気に^^
新年に 今年よろしく 言い続け 早くも過ぎて 行く時見つめ ひとつ歳 何も変らず 変わってく 変わらぬようで 変わり変わりで^^ 如月の 色は冬色 春の色 季の節の色 見つめて次季へ
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2007/02/27
〈[148]独り言編:「45歳になり、誕生日から誕生日へを書いてみました^^」〉
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東京に、130年の観測史上、初めて雪が降る事がなかったと言う、そんな今年の冬も終わろうとしてしている2月の24日に、私は45歳になりました。45歳になっても別段何も変わる事なく、いつもの感じで誕生日を迎え、過ぎては行きました^^。45歳と言う区切りを付けたくなる様な数字に、なんだか特別な思いにもなり、プロフィールのページに、今まで迎えた2月24日のあれこれをアップしたりして、より一層新たに過ごして行こうと、気持ちは変に高まるのでありました^^。そんな新たな高まりから、より何かをしたくもなり、思いつきで、秋にでも、区の展示ギャラリーが借りられたら(希望日は抽選ゆえ)、絵画館の絵を45枚に増やし、大きな別の絵も描いたりして『あなけんの気まま・気まぐれ図画工作個人的満足展(仮)』なるモノを、シャレで開こうかなとも考えたりもして、舞台をプロデュースするよりは、一番簡単に楽しめる場なのかなとも思っての思いつき人生であり、実現すると楽しそうであります^^。その節は、皆さん東京ではありますが、いらして下さいませ^^。
又、相変わらず、物語を考えている日々で、私は、作家でもなく、誰にも頼まれてもいないのに、文字をひたすら並べていて、そろそろホームページの内緒の部屋に、作品をアップしようかなとも考え始めたのでしたが、なかなか「了」までは行かず、舞台の台本、ショートフィルムの台本、作詞、何本かの小説、を同時に進行していて、「ポンッ!」と脳味噌が音を出しそうな感じではありますが、そんな音が出る前に、いつまでも脳の中で文字を蠢かせてなくて、そろそろ形あるものとして、世にも解き放さなくてはと、勢いをつけている日々でもあるのでした^^。
そんな物語作りの流れの中から、ある小説が生まれ、そのある小説のきっかけとなったのは、別のある小説であり、自分が、もうすぐ45歳になろうとしていたので、ふと書いてみようと思って、書き始めめたのでした。そして45歳になった今回の楽屋で、載せてみようかなと思い、まとめていましたら、文字はドンドン増えて並びまくるのですが、全くまとまりを欠いて来だして、当初とは内容が変わりながらも出来上がったのが、下記のショートショートの『誕生日から誕生日へ』なのでした^^。どうぞ読んで見て下さいませ。
『誕生日から誕生日へ』
その男は、その年の誕生日で45歳になった。
自分自身が45年も生きたと言う事に先ずは驚いていた。嘘の様であった。しかし嘘ではなかった。45年を確かに生きて来た。右往左往、一喜一憂、喜怒哀楽を撒き散らしながら生きて来た。いや、撒き散らしながらは大袈裟である。極々普通に大人しく、時折喜怒哀楽を出しながら静かに生きて来たのであった。そんな当たり前の様に、45年を生きては来たが、生きてこられた事は、奇跡に近い事だと思っていた。生き続ける事、長生きする事は、あらゆるモノの重なりから達成される結果であり、正に奇跡であると思った。その奇跡が、この先も続く事を思い願い、その結果、延び続けるであろう平均寿命の90歳まで生きるとして、半分の折り返しがこの45歳の誕生日であると強く思うのだった。これから同じ45年と言う年月を又生きるのか思うと、永く楽しみでもあると、又強く思うのであった。
しかしこの先、大往生の域に入る90歳まで生きるだろう根拠、保証は全くない。生きている事は、奇跡なのだから、明日人生が終わっても不思議ではない。でも生きているだろうとは思いたい。当然である。今、生きているのだからと、自問自答が始まってしまい、気持ちもやや弱々しくもなり始めていた。
その男は、そんな45歳になった事を機に、一年に一度の呟きをと思いついた。
誰かが、何かで、自分の葬式用として、一年に一度、挨拶ビデオを作っていると言っているのを見て聞いて、男の中に潜んでいる体調のズレが、これはなんだかいいのかもと、面白いのかもと思い始め、思いついた事が、今回の、年に一度の呟きだった。呟きと言うよりは、始まったばかりの見えない一年に向けての感想、予想、希望、思い入れであった。しかしこれは遺書なり、遺言なりにもなるとも思ったが、それらとは言いたくはないと拒否は見せた。そんな気持ちも多少は含んでしまうのだが、それらとは言いたくはないと、又強く思った。遺書、遺言なんだと言い切ると、終わりを見つめてしまいそうだったからであった。結果的にそうなる事に関しては、それは仕方ないことではあると、すぐに気持ちを弱く修正してしまった。
誕生日を迎え、新たに始まった一年が、どんな感じになるのかを考えていると、果たしてこの先、生きているのか、どうなのかと又思ってしまい、年に一度の呟きは、大切な言葉にも思え始めて来た。それは葬式用の言葉になってしまうとも思ったが、それも仕方ない事だとも思ってしまった。
先の事を考えて、次の誕生日までを思うと、一つの覚悟がつきまとってしまい、それが遺書、遺言になりそうではあったが、まだそれらを一年に一度呟くんだとは言いたくなくはなかった。そんな年に一度の呟きが、後45回以上も続くと言う事で、果たしてそれが何回続くのか、何回目で終わるのか、それは誰にも判らない。誰にも判らないから、不安にもなるし、自由で楽しい気持ちにもなれるんだと思う様にして、これから先の誕生日を数え始めたら、数える事が出来る程の短さだと実感し、数えるのを止めたくなる寂しさも出て来てしまって、男は一度深呼吸をするしかなかった。
その数と言うのは、数えなくても、標準時間で、終わりまで重ねられていくモノであり、無視は出来ないのではあったが、希望願望の中、より多くの数を重ねて下さいと言う思いにして、それは楽しみなんだと言う思考へと変えていく事に無理矢理していったのだった。
死と言う終わりの先延ばしを希望しながら、終わると言う事が、生きている今の自分にとっては、信じられない事だから、45年間も生きた事と同じぐらい信じられない事だから、その信じられない事は、見えない部分を作り、その見えない部分が、感情に余裕の隙間を作り、その隙間に楽しみは入り込んでくれるだろうと、変に自分を納得させていって、呟きを始めようとしていた。しかしその思いは、楽しみという言葉ではないようにも思っていたが、男は、そんな楽しみと言う言葉の響きにすがりつきながら、今回決めた呟きを始めようとしていた。
45歳から始まり、未来へ向けての呟きで、誕生日から誕生日へであった。男は、これを自分の回想録回顧録妄想録だとの呟きから始まろうとしていた。
一つ一つが90歳の未来の自分へのメッセージである。そう思うとその歳まで生きて、読み返したいと思い、それらがまさしく楽しみにも思え、楽しみの言葉が今までになく身近になり、そういう楽しみなんだと確信していった。
しかし今から90歳までの45年間となると、余りにも果てしない永さに感じる男は、折り返し地点は折り返し地点として、先ずは還暦とされている60歳までの15年間を目標の楽しみとし、誕生日毎の一つ一つの呟きを楽しみに変えて、これから生きていこうと自分に言い聞かせるのであった。
そして男は遂に、最初の年の呟きを始めようした。
呟きである。未来へ向けての言葉である。90歳の自分への、その前の60歳の自分への言葉である。次の誕生日への呟きである。しかしいざ、呟きをと考え始めたら、何も出ては来なかった。
何を呟くのだと考え始めた。まだ見えない自分の未来に、次の誕生日へ、新たな一年に対して、どんな言葉を残すんだと考えた。感想、予想、希望、思い入れ、自分の回想録回顧録妄想録のはずだったが、全く何も出ては来なかった。何も出て来なかったから、未来の自分に呟く前に、過去への誕生日から誕生日へを考えた。人生を遡ってみて、生まれて初めて見たのは、何だろうから始まり、生きてきた45年間を思い返してみたのだったが、それは思い出でしかなく、未来への言葉は、一行も出ては来なかった。
どうしても出て来そうもなかったので、拒否を続けていた、遺書、遺言でも考え始めたが、余計に何も出ては来なかった。
そしてなおも考え続けていたら、桃の花が咲き、やがて桜が満開になり、時が来て花は散り始め、ゴールデンウィークで、街が、人がざわめき、雨の季節になっても、傘をさすだけで、何も言葉は出て来なかった。
太陽が元気に暑さを作りだし、お盆で少し落ち着き、残暑に眩しく目を細めても、言葉は出て来る事はなかった。
月の丸さに微笑み、虫の声を聞いても、色づく木々の下、一人黄昏、鮮やかな落ち葉を拾い集めても、言葉は、浮かんで来なかった。
イエスの誕生日のイルミネーションに急かされながら、地球が無事一周廻ったと盛り上がり、初雪に足跡をつけて遊んでいても、何も言葉が見つからないまま、男は、46歳の誕生日を迎えてしまったのであった。
そんな男はそれでもなお、止めることなく楽しみの言葉を、一行でも多く、未来の自分に向けて、探し続けるのであった。しかしやはりまだまだ何も生まれることはなかった。
そして又桃の花が咲いた。ちょっと違う感じで・・・。^^。
まだまだ読み返せば読み返すほど変化しそうな、続きもありそうな今回の短編でありました^^。色々とご意見・ご感想も出て来そうですが、又お聞かせ下さいませ^^。そしてこれからも色々な物語を文字にして、こっそり、ホームページにアップしながら、又新たな展開で、色々と楽しんで活きたいと思う45歳になった私なのでありました^^。
物語作りも好きな私なのですが、変身が、なによりも一番好きな私は、次の変身を待つ日々でもありました。去年の2月は、変身がほとんどなかったのでしたが、今年は、2月の始めに、栃木県は足利市へ泊まりでの変身もあり、町役場の人を陽気過ぎる感じで楽しんだのでした。初めての町、足利市、太田市を楽しみ、別のドラマで水戸にある茨城県庁へも行き、次の変身は、何かと待っていましたら、今度は2時間ドラマで金沢市へと行く事になり、初めての金沢での撮影で、又変身を楽しんで来たいと思います。今年の暖冬も終わり、暖かき春になる、三月も皆さん多いに楽しんで参りましょう。それではお元気に^^
早き春 花々慌て 騒めいて 人も宴と 迷いざわめき しじゅうごに、なって始まる、活き方は 変わらぬ思い 変えてなおなお^^ 弥生来て 春だ春だと 歌う唄い 声を大きく 乗せて春風
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2006/03/29
〈[149]独り言編:「2時間ドラマでの金沢ロケは、金沢観光の日々だった^^」〉
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兼六園のことじ灯籠と唐崎松
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記録的な暖冬の中、東京の桜もいつもより早く咲き始め、間もなく満開にもなろうとしている、そんな三月も終わろとしています^^。
東京の初雪も今年は3/16に降ったみたいで、それを私は、見る事は出来ず、その時は、二時間ドラマ「ブランド刑事2」のロケで、金沢に行っていたのでした。
初めて訪れた街、金沢で、加賀友禅を扱う呉服屋の番頭役を多いに楽しみ、10日間の金沢での日々も多いに楽しんだのでした^^。
兼六園の唐崎松に陽射し
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いつぶりなのか忘れて仕舞う程、久しぶりの飛行機に乗り、羽田空港から石川県の小松空港へと、気流で激しく揺れながらもたどり着き、やはり東京よりはちょっと寒い感じの石川県でした^^。しかし次の日などは、天候がコロコロと変わる空模様で、快晴のすぐ後に一転、吹雪きになると言う、日本海側らしい感じの空模様でした。
金沢ロケ10日間の内、私は休みもあり、1日ワンシーンとかもありで、結構自由な観光客の日々でもあったのでした^^。毎日朝10時には、部屋の掃除のため外へと出て行き、図書館へ行ったり、ブラブラと金沢の街をよく歩いたのでした^^。
金沢城とあなけん
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金沢はまさに観光地であり、兼六園がメイン中心で、私が10日間で行ったのは、21世紀美術館、兼六園、金沢城、県立美術館などでありました。
21世紀美術館は、のんびりするにはとてもGOOD!な感じで、秋に催す予定の、自分の個人展の参考になるモノを探しながらブラブラとし、何度も行きました^^。金沢城は、広々として、何もないと言えば何もないのですが、緑の中を散歩するにはいい感じでありました。兼六園へは、訪れた季節が中途半端であり、雪景色でもなく、桜も咲いてなく、梅林の梅もまばらになっていて、なんとも中途半端な感じの季節の中、散歩には、これまたいい感じではありましたが、永い時間を生きてきた、曲がりくねった老木たちが、冷たい風にじっと春を待っている姿が、ちょっと切なくなったりもしたのでした。
21世紀美術館のある空間にあなけん
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金沢県立美術館では、人も少なく、自分の靴音も聞こえる程凄く静かな中、始めは、「なんでも鑑定団」の気持ちで、九谷焼とか、屏風絵とかを見て回り、やがて「美の巨人」で知って気になっていた、鴨井令と言う画家の絵「私」が、ここにあったのかと、感動の出会いにびっくりし、じっくりとそれらと対面し続けたのでした。鴨井令氏のあの絵がある事を知らなかったので、絵を見て本当にびっくりしたひとときでした。そんな観光地を毎日の様に歩いていて、観光客と観光地って何だろう?と考えたりもしました^^。果たして合致しているのだろうかと、本当に楽しめる観光地って何処なんだろうかなと、人それぞれ違うモノだとは思いますが、そんな事を日々ブラブラしながら考えていたひとときでもありました^^。
金沢城五十間長屋と太陽
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一日丸々お休みの日は、犀川なる川を走って懐かしく、小学中学高校と遊び走った、兵庫県は西宮市と尼崎市の間に流れる川、武庫川を思い出し、高校ロードレース以来の土手を走った懐かしさでありました。川沿いにある犀川神社から日本海まで8キロ走って、帰りも走って足はガクガクでくたびれた45歳の私でありました^^。川をひたすら下りたどり着いた日本海は相変わらず荒れていて、寒く誰もいなくて、泣きそうなぐらい淋しい感じでもありました^^。
しかし金沢には、観光に行ったわけではなく^^、目的メインは変身で^^、その変身では、1000万円はするらしい高価な加賀友禅の取り扱いにやや気を遣いながら、微妙な金沢の方言も気にしながら、あれやこれやと多いに楽しんだのでした。
日本海に陽が射して
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今回知っている共演者は、マザー&ラバーの時の金子君であり、映画ムルデカ以来の再会であった六平さんでありました。六平さんは、相変わらず変わらぬ元気さであり、又色々話をし楽しんだのでした。あともうひと方は、一日だけ東京でのロケがあった日、その時に「舞台よろしくお願いします」と挨拶だけした、山崎一さんでありました。そんなドラマの放送日はまだ未定で、テレビ東京系で放送エリアも、少ないかも知れませんが、放送が楽しみなドラマの一つにはなりました。皆さん、放送の時は又見て下さいませ。
また、金沢から戻って一週間も経たないうちに、石川県で大きな地震もあったりして、余震も永く続いていて、あの街並みの記憶が新しいだけに、より気になってしまい、どうぞ、その地域の方々、頑張ってくださいませ。
そして、やっと動き出した、春の舞台「魔法の万年筆」であります。先ずは、台本を手にして、舞台は1920年代のニューヨークであり、首なし・でっちり(出尻)・胴長・短足の日本人的日本人である^^、縄文人系のこの私が^^、どこまでそんな舞台設定の中で楽しむか^^、ニューヨークで暮らしていた日々がある事を何とか力にしながら^^、多いに今は、台詞覚えの日々であり、来月10日から始まる稽古を楽しみにしている日々であります。来月の楽屋では、稽古の様子などを書くことが出来るのかなと思います。今回の舞台もチケットゲットは、何だか大変そうですが、4/22よりの前売り販売開始、皆さんお誘い合わせの上、頑張って下さいませ。それでは皆さん、お元気に、春を一杯お楽しみ下さいませ。
春たちが 始まる時を 賑やかに 伝え楽しむ ことを教えて^^ 季の節が 曖昧の中 咲く桜 戸惑う桜 慌てる桜^^ 暖かく ゆっくり開く 春陽射し 全てを起こせ 笑顔と共に^^
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2007/04/30
〈[150]独り言編:「魔法の万年筆の稽古で楽しみ、さあどうなのでしょうか^^」〉
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今年の四月は、時折寒の戻りで冬の寒さになったりしながらも、春が冬になる事は決してなく、春は春なりの温かさを重ねて、初夏へと向かって行っていて、五月になろうとしております^^。
そんな4月は10日から始まった、今回の舞台「魔法の万年筆」の稽古は、先日一幕、二幕を一通りなぞった感じで、一様最後まで立ち稽古をして、いよいよ後半戦であり、残り10日程余りの稽古で、より深めて行こうかなという感じであります^^。
しかし今回の舞台は、稽古が始まる前から、台本を受け取り、台詞を覚えつつも、去年の第32進海丸とはまた違った心持ちで待っていたのでした。しばらく芝居らしい芝居をしていなかったからなのか、とにかく芝居がしたくなっていたからなのかは解らないのですが、早く台詞を声にして確かめたい、相手役と掛け合ってみたいと思っていた感じでありました。これは、去年のカツオ漁師とは違って、今回はニューヨーカーへの変身だからなのか^^、どうなのか、全く別の感じで稽古の日々を待っていたのでした。
そして遂に稽古の初日がやってきて、顔合わせから始まり、稲垣君には、お久しぶりと挨拶して、他の方にも初めましてとか、お久しぶりと挨拶して始まったのでした。そして苦手な本読みはその日一日だけで終わり、次の日からは、ゆっくりと立ち稽古を始めて行ったのでした。そして今回の舞台は、内容は見てのお楽しみなので言いませんが、1920年代のニューヨークを舞台にしていて、さあどうなのでしょうか?どう皆さんが思うのでしょうか?と気になりながらの稽古の日々ではありましたが、ニューヨーカーを意識したのは、ほんの最初だけで、日本人の中の日本人である感じの私は、すぐにニューヨーカーへの変身の事よりも自分の役の人間を探る日々なのでありました。今も、そんな感じであります^^。
皆の役名がパーカー(稲垣氏)、パイロット(河原氏)、セーラー(久世氏)、モンブラン(山崎氏)、デルタ(西牟田氏)、エルバン(小林氏)、ペリカーノ(三鴨氏)、と万年筆の名前、インクの名前で、カタカナではありますが、余り違和感はなく、日々稽古で呼び合ってはいます^^。そんな呼び合いをしている舞台をお客さんが見て、さあどうなのでしょうか?どう思われるのかが、やはり気になるところではあります。ちなみに私の名前は、ウォーターマンであり、万年筆を最初に作った人の名前でもありますが、その人がモデルではなく、キャラクターは関係なく、別人であり、キャラクター決めに、楽しくも探り探り深く深くの日々でもあります^^。
そんなウォーターマンは、小説家のエージェントであり、縁の下の力持ち的、ちょっと引いた存在かなと思いきや、作家演出家の求めるモノは、ちょっと違っていて、またいつもの騒がしい感じの人間になりそうでもあり、残りの稽古の時間で、なんとか自分のモノにしながら、どう皆さんにお見せ出来るのかなと思い描く日々なのであります^^。そんな私にとっては、どたばた的な魔法の万年筆の世界を、まだまだ探り探りではありますが、さあどうなのでしょうか^^?どんな感じにお客さんには見えますか?やはりやはり気になるところではあります^^。
パーカー役の稲垣君は、相変わらずの忙しさで休みもなく大変そうですが、台詞もようやく入ったみたいで、徐々にエンジンがかかって来た感じであります。パイロット役の河原さんは、作家と演出家の目を持ちながらダメな長男役を楽しんでいる感じであり、その妹のセーラー役の久世さんは、どこかお姉様と呼びたくなる感じで落ち着いていて上品に楽しんでいる感じであり、その父のモンブラン役の山崎さんは、一番の年長の方とは思えなくて、のんびりと楽しんでいる感じであります。デルタ役の西牟田さんは、接近する私の顔にようやく慣れた感じで恋する乙女を楽しんでいる感じであり、その父のエルバン役の小林さんは、私との絡みはないのですが、伝説の万年筆職人を楽しんでいる感じであります。ペリカーノ役の三鴨さんは、メモを執りながら高い声で編集者を楽しんでいる感じであり、そして私は、大きな声なのに、舌の回りが悪く、舌の体操をしながら、日々楽しんでおります。このような8人の役者たちで今回の舞台を多いに盛り上げて行きたいと思っていますが、さあどうなのでしょうか^^?皆さんに、お見せ出来るモノに作り上げて、いかなくてはいけなくて、今回も、お客さんに観せてから、また新たに始まる感じでもあります。特に今回はそんな感じかなと思っております^^。来月のこの楽屋では、中日を過ぎたぐらいで、どんな感じになっておりますか、楽しみでございます。前回の謎の下宿人では、日本家屋ゆえのハプニングも多々ありましたが、今回はどんな舞台になりますか、パルコ劇場も、それ以来の四年ぶりのお久しぶりであり、モノモノいっぱい色々ドキドキワクワクの現在でございます^^。
又こうやって舞台をやっていると、テレビ・映画での芝居もまたしたくなると言う、欲張りな私でもあり、先日は一日だけ深夜の関東ローカルのテレビドラマ「死ぬかと思った、出ない女の話」での変身があり、心療内科のお医者さんの役でワンシーンだけの登場でしたが、病気の説明する台詞では、キャラクター決め、集中どころがはっきりせず何度もNGを出してしまい、悔しい思いのまま、そのワンシーンは進んで行き、あっという間に終了してしまったのでした。もっと遊べたと反省反省の午前中でありました^^。そんな悔しさもあってなのか、よりドラマにも出たくもなっている私なのでありました。また今、舞台の台詞を多く色々と発していて、過去の自分の芝居の数々が思い出されて、どうする事も出来ない、後悔ばかりの日々でもあるのでした。こんなバカな役者の右往左往の独り言を呟きながら^^、しかし今は過去の事に思いを反復している場合ではなく、先ずは今回の役、ウォーターマンを活き活きとさせる事なのであります^^。そんな独り言を言い出せばキリがない感じなので、今回はこのへんして^^、それでは、また来月の終わり頃、この場での報告を楽しみに、舞台を楽しみたいと思います。
皆さんもお元気に、五月の日々もお楽しみ下さいませ^^。
桜散り 菜の花咲いて 繰り返し 風薫る中 初夏へと移る 魔法だと 舞台で遊び 幕を開け ニューヨーカーに 見える見えない?^^ 五月晴れ パッと広がれ どこまでも 地球いっぱい 世界の空へ
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2007/05/30
〈[151]裏話編:「舞台:魔法の万年筆も中日を迎えて、そしてまだまだ^^」〉
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今年の夏が、いきなり幕を開けた感じで、一気に暑さを広げている感じでもありますが、まだ肌寒さを名残惜しいと漂わせてもいる、そんな季節の変わり目の5月から6月へでございます^^。
そんな季節の中私は、自転車での劇場通いで汗汗で、舞台でも汗汗で、汗汗も益々と言った感じの日々でもあります^^。そんなパルコ劇場での「魔法の万年筆」の舞台も、中日を迎え後半戦へ突入でございます。
4/10から5/8まで稽古場で稽古を繰り返し、5/10に劇場入りをして、衣装を着けて、照明を浴びたら又ガラッと違う感覚になり、そしてゲネプロを経て最終チェックをし、遂にお客さんの前で幕を開けたのでした。
幕を開けましたが、今回の舞台は、なかなか特殊といいましょうか、詳しくは、全て終わったらまた感想として書きたいと思いますが、なんとも役者としては、色々とある舞台であります。しかしお客さんは、皆さん楽しんで頂いているみたいでいい感じであります。
又、今回の舞台も色々とあり、まだ見ていない方には何だか判らないとは思いますが、映画の予告の感じで読んで頂ければと思います^^。初日からいきなり、モンブランのステッキが折れたり、私のパジャマが出番前に破れていた事に気が付き、慌て縫って貰って事なきを得たりしたそんな初日から始まり、2日目は、いきなりびっくり真っ白になった初めての経験をし、ある台詞を勢いのままで、今までとは違うテンションでアタックしてしまうと、全く違うことになり、それ以上先に進めなくなり、空白がやや少々広がったのでした^^。もうびっくりで、フォローも出て来ない悔しさもあり、余裕も何もなかったと言うか、芝居は生き物であると、役も生きているんだと実感もした^^初めての空白経験でした。その後の芝居は、気合いも入った一回でもありました^^。他では、モンブランの帽子が客席に落ちて急いで私が拾ったり、早替えで、ズボンのチャックが壊れて、ズボンを履き変えるまで気が回らなくて舞台に出たのでしたが、しかし客席からの視線がすぐに刺さり、締め忘れたのではなく「壊れたんです」と言いたくて、機会を待ち言い放ったのでしたが、チャックはそのままで正面を向いた芝居が出来ないままで、なんとかその場面を終えたと言う、これまた初めての経験でありました^^。又、健康サンダルで出てしまいびっくり!したり、足が滑ってこけたり、照明がピンスポットだけ残して消えてしまってすぐに点いたり、ベルトのバックルが外れてびっくりであったり!、公演も半分を終えて色々と予想もしない事が起こったりもしましたが、残り半分は、どんな舞台になりますか、ドキドキ楽しみであります。残りの半分も、無で楽しむ事で、先の事、あと何公演、今日は昼夜だぞとか、色々と考えないように、ひとつひとつであります。舞台中は、終演後の帰っている時ぐらいが解放されている感じで、すぐに又次の日に始まる舞台へのテンションを思い返してしまい、いつでも幕が開いてもいいと言う感じに気持ちを持って行こうとして、落ち着くことはないのですが、特に今回はそんな感じであり^^、そんなこんなの日々でありますが、多いに残りも楽しんでいこうかなと思っております^^。
又先日は、「恐れを知らない音二郎一座」の本チラシ等々のスチール撮影があり、三谷氏から私の役の説明もありましたが、何だか今ひとつ撮影の段取り、内容が訳の判らないまま、終わってしまった感じで、やや悔しさも残りましたが、どんなチラシになりますか楽しみであります。浅野さん、今井さん、堀内さん、新納さんの四人の方は仕事で来られなかったのですが、その他メイン所を始め、九人の皆さんはいらしていて、わいわいと撮影していて、黒子の格好の私は、気持ちも黒子になったりして、引いた感じでそんな様子をみていて、どんな舞台になるのか楽しみになって来たのでした。そして自分の役を考え始めたりしたのでしたが、まだまだ稽古も10月と言う、先の先の話であるので、台本を手にするだろう、9月までは、チラシを楽しみに、気長に気長に楽しみに待ち、暑いだろう夏を楽しみたいと思います。その前には雨の季節もやって来て、その前には、今楽しんでいる「魔法の万年筆」の舞台を、まだまだ変化しながら無事盛り上がり終える事なのであります^^。何度も見たことのあるリピーターの方々も多くなって来ていますが、まだご覧になっていない方々もまだまだいらっしゃるみたいなので、6月は18日の大阪公演大千秋楽まで多いに楽しみたいと思います。そして皆さん、後半戦も書き込み、観劇、色々と宜しくお願いします。雨の季節に入りますが、六月も多いに楽しんで下さいませ。それでは又です、お元気に^^
水無月に まとまる雨の 居所を 見上げて見つけ 天よりまっすぐ^^
紐夢育男(ニューヨーカー) 夢見を影に 思い出に ひとつの舞台 盛り上げ幕に^^
夏の前 迷いの季節 雨降らし 暑いと寒い どちらも自由^^
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2007/06/29
〈[152]独り言裏話編:「魔法の万年筆を終えて振り返り、そして次は何かな^^」〉
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雨の季節に、雨が少ない感じであり、蒸し蒸し暑い6月も下旬、皆さん如何お過ごしでしょうか?
先日「楽しんで、楽しんで、楽しんで」と日々呟き、書き続けて楽しんだ、稽古初日が春の4/10から千秋楽が夏の6/18にかけて、作り続けた舞台「魔法の万年筆」が、10日程前に、幕を降ろしたのでした。
今回の舞台は、観ている皆さんには、「判りやすくて楽しい舞台だった」との感想ばかりで有り難く、よかったよかっただったのでしたが、演じている私、役者にとっては、なんとも今までと違う感じで、最後の最後まで、ドキドキ感はいつまでもと言った感じでありました。滑舌カミカミは^^、私はいつもの事ではありますが、二日目に空白の時間を体験してしまったからでしょうか、台詞への不安がいつまでもと言う感じでありました。それは、この舞台の特殊性なのでしょうか、魔法の万年筆と言う,なんでもありのファンタジーの世界ではあり、そんな世界で、いかにより多く、より深く人物を存在させる事が、役者の作業なのではありますが、今回の舞台は、演れば演るほど、役者としてのノリがつかめなく、テンション、集中どころが定まらず、台詞に微妙な冷静さが必要で、盛り上がりきれない感じでもあったのでした^^。今回の舞台は、何だか軟らかい舞台なのだと、自分なりに分析納得させて、とにかく前を向いて楽しんでいたのでした。そうは言いましても、皆さんに喜んで頂けたのであれば、それで十分なのではありますが、そんな今回の舞台での、私、ウォーターマンのあれこれを、幕開き前からカーテンコールまでをちょっとだけ振り返ってみたいと思います。
見ていない方には、よく解らないかも知れませんが、いち役者の思い考え、反省も込めての、ウォーターマンの独り言を、ここに記しておきたいと思ったのでした。
あのミュージカルを思わせるオープニングの曲が流れて、幕が開く前、まだ皆さんが劇場に来ていないだろう開演の二時間前に、私は劇場に入り、30分間食事をしたり汗を抑えたりして、一時間半前よりウダウダと30分間ストレッチをし、30分ぼんやりとして、やがて開演30分前の開場になるのでした。そして衣装を着てメイクをして、すぐにウォーターマンへのスタンバイ完了でありました^^。開演の10分前になったら、楽屋より舞台の袖へと行き、よりスタンバイ態勢になり、開演を待つのでした。この待つ時間がなんとも落ち着かない感じであり、緊張のドキドキではないのですが、早くその日来ているお客さんの前で喋りたいと、テンションとのせめぎ合いだったのでしょうか、いつも落ち着かないのでありました^^。そんな中、ウォーターマンは、始めから登場であり、「冴えない男の話から」と歌われての登場なので、冴えない男へと先ずは変身し、力を抜く事から始めるのですが、「いい加減にしろ」の台詞から、怒りモード突入で、長々とパーカーとの出会いからの愚痴をまくしたてるので、そのテンションも身体に入れてのスタンバイでもあるのでした。
そして一幕一場の始まりです。冴えない男の愚痴と怒りのまま一人突っ走って終了し、袖に引っ込み、最初の小さなホッがあるのでした。ネクタイを替えて(殆んどの人が気が付いてないでしょうね^^)、置き時計を持って、二場のスタンバイでありました。その二場は、空白の一瞬があって以来、気になる台詞を反復したりして、一場から半年後の、ちょっと上向き出した人生のテンションと、大切な見合いを成功させるんだと言うテンションへと気持ちを、一人盛り上げての登場でした。
そして一幕二場であります。私のこの場のメインイベント的なモンブランは凄いぞで盛り上がり、汗だくのままモンブラン一家の登場を迎えて、ちょっとホッとした感じにもなりましたが、見合いの仕切り役のウォーターマンは、休む事なく、モンブラン一家に目を光らせていたのでした。そして暗転になりますと、急いで引っ込み、三場のタキシードに着替えるのでしたが、早替え大慌てで、いつもギリギリになり、なんとか間に合い、殆んど蝶ネクタイとかベストとかは乱れていたかなと言う感じでありました^^。
そして一幕三場の始まりです。ここからが気持ちの動き、葛藤がちょっとだけあり、相手役との会話掛け合いもあり、(それまでは、一人でひたすら喋っている感じでありましたが)やっと芝居かなと言う感じでもありました。始めは、スピーチの練習からで、舞台前でお祈りをしているデルタの声の隙間から、なんとか自分の声がお客さんに聞こえる様にと思いながら一人で喋り、後は、パーカーにデルタの事を伝え、ラスト居たたまれなく走って去っていくのでしたが、この場でもやはり相手役はいるのですが、まだまだ一人で走っていた感じでもありました^^。そしてチャックを壊した、ラストの早替えで又大慌てになり、四場の登場でありました。三場から三年後なんだと、エージェントとして有名人になったと、気持ちを切り替えての登場でした。
そんな一幕四場は、少し落ち着いて芝居をする感じで、ようやく普通の日常的な芝居かなと言う思いで進んで行き、汗も出る事もなく(二場、三場の汗の出は、毎回半端なモノではなかったのでした^^)、パーカーのワガママに呆れて、四場は人の話を聞く感じで進んで行き、やがてパーカーと二人キリになり、友人へ思いをぶつけたりして終わるのでした。一幕四場終了で、今回の舞台での大変とされる場面の数々は、終わったと少し感じ、一息つくのでありました^^。
一幕五場の登場はなく、楽屋に戻って、ひたすらのんびりと水分補給であり、15分の休憩に入り、二幕開演の10分前には、舞台の袖にスタンバイし、より上りつめた人生を思いながら登場を待つのでした。時々、袖にスタンバイしている共演者と、一幕を振り返ったりもしていたのでした^^。
そして二幕一場が始まり、仕事の順調さがピークであり、もっと落ち着いた感じで、パーカーとの仕事の関係を探り楽しんで去るのでしたが、やや観ているお客さんには、別人に見えた感もありましたが、私の中では成立していたのでした^^。
そして二幕の二場、三場の登場はなく、パジャマに着替えのんびりとエルバン邸での芝居をモニターで聴きながら、エルバンの台詞「それを書け」を時々口にしながら終了を待っていたのでした。
そして二幕四場であります。又テンションを高く言う台詞がいきなりあるので、それを気にしながら、枕を抱えて登場するのでした。
そんな二幕四場は、万年筆の取り合いのドタバタに、万年筆の行方等々、あれこれ冷静さも持ちながら、勢いで動き回り、「夢から覚めた気分だよ」と言う台詞から、遂にやっと、今回の舞台でのウォーターマンのシリアスな感情の動きを実感し、素直に生き始めた感じが始まったのでした。ここからようやく、人物の感情を楽しめるのかなでありました^^。しかしそれもウォーターマンなりの盛り上がりで、無理矢理的ではあり、もっとデルタの現状を聞かせて欲しく、ひどい事をしたともっと突き刺しては、欲しかったのでしたが、ウォーターマンなりに感じ、どん底へ落ち込んでいったのでした^^。
そんな思いを引きずったまま、二幕五場へと登場し、パーカーとの友情を、別れををメインに、去り際まで、別人と言われようとも、ウォーターマンなりの締めの気持ちで去り、今回の舞台でのウォーターマンは完結したのでした^^。
あとは、カーテンコールへのスタンバイであり、吾郎君の歌の前にスタンバイして、あの歌を口づさみながら、またひとつ終わったと、反省しつつ、次だ次だと、ひとつひとつだと思い、苦手なカーテンコールでは「有り難うございました」と呟きながら頭を下げ、解放感の中、幕はいつも降りるのでした^^。
そんな今回の舞台の幕開きからカーテンコールまでであり、役者としては、色々とあった舞台ではありましたが、皆さんが楽しんで頂けたのであれば、それで十分であり、多いに満足な二ヶ月間でもあったのでした^^。
前回の楽屋で、前半のあれこれを書きましたが、前半程、ハプニングはなかった後半だったかなではありました^^。軽い地震があったり、視線が吾郎ちゃんオンリーの人を発見して、改めてびっくりしたり、パルコでの楽日に、又ステッキが折れて、初日より、より大笑いになったり、目に汗が入りコンタクトが汚れたのか、相手役の回りにソフトフォーカスがかかり見えにくかったり、常に一幕を終えると目が赤かったり、笑いは相変わらず難しいと思ったり、パーカー万年筆が最後に貰えるのかなと思ったが貰えずがっかりだったり^^、又多くの方々に私を知って頂き、有り難い思いの中、少しづつ、終わったポッカリ感も、元に戻りつつあり、とにもかくにも色々あった舞台「魔法の万年筆」の2ヶ月間は無事終わったのでした^^。今回も観劇していただいた方々には感謝感謝で、本当に色々と有り難うございました。
次回の舞台は11月、12月の「恐れを知らない川上音二郎一座」であり、三谷幸喜氏による大衆娯楽喜劇になるだろうと予想していて、私はどんな役なのだろうと今から楽しみであります。しかしその前には、初めての絵の展覧会が9/21〜24にあり、ひたすら作品作りに楽しむ日々であります。その前には、変身があるのかないのか、次の変身は何だろうかなと、いつもの様に、気長に待つしかなく、楽しみであります。それでは皆さん、暑くなる夏に負けない様に、水分補給は忘れないで、今年の夏を楽しんで参りましょう。お元気に^^。
暑いぞと 冬を忘れる 夏が来て 夏に叫びて 夏と勝ち負け^^
雨の中 ゆっくり進む カタツムリ 急ぐばかりで 真似出来ぬ我^^
見つけたく 夏の夜空に 天の川 夢よ叶えと 天に流して^^
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2007/07/29
〈[153]独り言編:「初めての沖縄ロケを楽しんで、変身を色々楽しんで^^」〉
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蒸し蒸しさは、いつもの夏と同じ感じで、もやもやっと暑くなって来ている中、最強の台風が来たり、新潟長野では大きな地震もあったりした、今年の七月も終わろうとしております^^。そんな七月に入って、ようやく舞台を終えてからの新たな変身が、私にも巡り来て有り難く、先ずは、テレビドラマの衣装合わせから始まったのでした。変身では、「新報道プレミアA」内のコーナー、運命の裏側X.沖縄美ら海水族館のドキュメントドラマであり、初めての沖縄でのロケを楽しんだのでした。
遠くに伊江島と私
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初日は、朝一番の飛行機に乗り沖縄へと行き、初めは余り「沖縄だー」を感じなかったのでしたが、二時間車に揺られ、オレンジ色の屋根等々、独特の街並みを目にしますと、異国南国へ来たと少しづつ実感し始め、楽しくなって来たのでした^^。どこかインドネシアを思い出す街並みでもありました。そしてやがてメイン舞台の「沖縄美ら海水族館」へたどり着き、遠い昔海洋博の行われた場所で、何だかやっと来れたと言う感じでもありました。水族館は、世界一の水槽だと、よく耳にしていて来たかった場所で嬉しく、今や、首里城を抜いて、観光客トップになった場所みたいで、それはわかる感じでありました。そして着いてすぐに変身かなと思いきや、予定が変わり、その日の変身はなくなり、ひたすらブラブラと観光客へと変身をしたのでした。三匹のジンベエザメとかマンタのいるドでかいメインの水槽の前には、椅子もあって、横には、混んでいてなかなか入れない感じのカフェもあって、ずっといても飽きない感じでありました。魚のゆったりさを一通り見て回り楽しみ、夕方には泊まるホテルがある名護の町へ行き、街のメイン商店街を歩き、有名?なガジュマルの木をみて、リサイクルショップで時間を過ごし、中古の三線(さんしん)が欲しくなったりもしました。そんなこんなでアッと言う間に初日は終ってしまったのでした^^。
くえ?と言う魚と私
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二日目は、午前中、雷雨が凄くて、東シナ海に落ちる派手な雷を見ながら、台詞なくリアクションの芝居を数々して楽しんだのでした。やがて昼前には雨も上がり、予定通り、屋外ロケが可能になり、久しぶりに車の運転もして、蒸し暑く陽射し爆発の中、あれこれ楽しんだのでした。そしてトラックを運転していた普通の地元の方に急遽相手役になって貰って芝居をしたのでしたが、「トラック貸して下さい」と私がお願いして、「わかった、わかった」と手だけで芝居すると言うシーンでしたが、その気もなく、芝居など演った事のない人には、難しいのだろうなと思いながら、その気になって貰らおうと、ストレートにお願いして、何とか無事終了したのでした^^。色々と主として、芝居どころもいっぱいあって、楽しくてしょうがない二日目でありました。夕景待ちまでの待ち時間には、又水族館をブラブラして、魚の大きさ、ゆったりさ、不思議さを見て満喫したりもしたのでした。そして夕暮れバックのシーンでは、伊江島の横に沈む夕陽が見事でしたが、期待していた、イルカのジャンプはなく、残念ながら画創りの神は降りては来ませんでした^^。しかしあの伊江島は見た目は、まさにディズニーランドを思わせる様な島でありました。
ナポレオンフィッシュと私
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そして三日目の変身は、ウェットスーツを着込んで、午前中は、海上生け簀へと行き、作業の指示とか出して楽しんでおりました。実際に水族館の人たちはジンベエザメとかに餌をやっていて、芝居している私たちを見て、どう思っているのか、お恥ずかしい感じであり、気になりいっぱいではありました。そしてお昼ご飯には、「きしもと食堂」なる本部町では有名な感じの店で、ジューシーなる炊き込みご飯と、ソーキそばを美味しく腹一杯食べて、サインまで書いたのでした^^。午後からは、又船に乗り沖へ出て、エアボンベを背負って、「魚をいっぱい獲るぞー」と言うシーンの撮影でしたが、揺れる船上でのシーンに反省もありながら、慌ただしく終了したのでした。私は、海に入る事はなかったのでしたが、一回ぐらい「ドボン」と入ればよかったかなと思い、スキューバダイビングのライセンスを取得してみたくもなりました。そして夕方前には終了した三日目の沖縄のロケで、より真っ黒になって又楽しく終わったのでした。
ダイビングの格好だけの私
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そして四日目の変身は、三日目の続きでウェットスーツを着込んで、ジンベエザメを港から水族館へ輸送するあれこれであり、今回は、ドキュメンタリードラマゆえ、事実(ドラマティックな事は何もないらしい^^)のテンションとドラマのテンションが微妙に違う感じで、伝わりの気になりは、終始でありました^^。実際の方たちが見て、どう思われるのかと思いながら、この日も作業の指示とかを出して楽しんだのではありました。又昨日に続き暑さは爆発で、陽射しも激しくて、熱中症になる前に、先手先手で水分補給をして、後頭部を冷やして、変身を楽しんだのでした。昨日の船上では、軽い熱中症になった感じで、夜には、いつまでも、寝る事が出来なかった感じでした^^。そしてこの日で水族館でのロケは、全て終わったのでした。最後の最後で、モデルのベテラン飼育員の方と偶然会う事が出来て、私と全然違う感じでありましたが、挨拶をしますと、「どうぞ阿南さんで演って下さい」と言って頂き、私は私なりに演って楽しんでいるので^^、放送を観て、どう思われるのか、気になりはより一層になってしまいました^^。
そして最終日の沖縄ロケは、何だかより凄く暑くて、屋内撮影でよかったという一日でありました。先ずは、浦添市にある事務所を借りて、館長と飼育員との、あれこれを撮影し、昼ごはんは、またもや、近くのソーキそば屋で、身体にいいヨモギも入れて、それぞれの店で味が違うんだなと感じながらソーキそばとジューシーを食べて、午後もリアクションを楽しみました。そして那覇市へと移動して、又同じ感じで、館長の話を聞いて、本日の芝居も、ほとんどがリアクションって感じでしたが、さあ後は編集されてどんな感じになりますか、相変わらず、気になりいっぱいの中、四日間の変身は名残惜しくも、すべて終わってしまったのでした^^。
後は放送直前辺りに、モノローグの録音があり、これまた楽しみでありますが、報道番組ゆえ、大きな事件、事故が起これば、放送がどうなるか判らないのが、この種のドラマであり、お蔵入りにならない事を祈るばかりであります。とにかく初めての沖縄は、私にとって、楽しくて又ちょくちょく行きたくなった場所のひとつにもなったのでありました^^。
そして沖縄より戻って来た次の日には、朝早くから「受験の神様」での変身があり、エコロジーガイド役で、エコロジーな農場の説明をひたすら喋って、一人楽しんでいたのでした。撮影場所も埼玉県小川町の先駆けのエコロジー農場へ行ったり、神奈川県の相模原市のキャンプ場へ行ったりして楽しんで、私の登場は、トータルして、ちょこちょこっとなんですが、何だか楽しんだ感じの変身でした。
舞台中も、舞台が終わっても、スケジュールが重なったりして、いくつかの面白そうな役もなくなったりして、悔しい思いもありましたが、これも私の人生で、運の有り無しなのでしょうかと、前向きに汗を拭いながら、思いがけなく、沖縄へ行って楽しむ事が出来た運もありで、そんな相変わらずの人生色々の七月でもありました。さあ、次は、なんでしょうかなと八月を見つめつつ、暑き日々は益々と言った感じですが、皆さん今年の夏の後半も楽しんで下さいませ。次は残暑お見舞いの頃に又でございます。ではでは皆さんお元気に^^。
八月の 思い出遠き 夏休み 楽しきよりも なぜか切なき 南国の 風が創りし 夕焼けに ニライカナイと 時を理想に^^ 朝早く 蝉は元気に 晴れ伝え 暑さ伝えて 名残り伝えて
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2007/08/30 〈[154]独り言編:「酷暑猛暑の八月終えて、色々変身楽しんで^^」〉
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八月に入って、ようやく関東も梅雨が明け、連日30度を超える猛暑酷暑の毎日で、この信じられなく、半端じゃない暑さ、熱帯夜の日々が続き、今年の8月も終わろうとしてますが、暑さは、もう少し残暑厳しい折りかなであり、吹き出す我が汗との闘いの日々でもありますかなです^^。今年は、本当の残暑お見舞い申し上げますの言葉がぴったりの夏でございました。
そんな八月は、二時間ドラマ「眉山」で、初めての柴又帝釈天へ行き、大きな声で、地元の不良な大人(場所柄やくざやさんの設定では出来なかったのでした)を楽しみ、制作協力が映像京都だったので、懐かしい京都のスタッフの方々にも会い、ワンシーンの登場でしたが、暑く眩しい日射しの中、楽しんだのでありました。
そして三谷幸喜監督作品の映画「ザ・マジックアワー」への撮影もあり、私の役は、ベテランスモークマシーン係であり、今回は、四回東宝撮影所に通う内の二回撮影所へ既に行き、楽しんではいるのですが、キャラクターが、何だかはっきりしてない感じで、早く作品を見てみたい気持ちであります。来月の9月にも、残りの二回の撮影はあり、又多いに楽しんで来たいと思います。
そしてTBSのドラマの顔合わせに初めて参加して、レギュラーではないのですが、「ふくまる旅館2」の第一話に登場するので、本読みから参加して、イラついているサラリーマンを楽しんだのでした。苦手な本読みでは、もめるシーンで、もっとテンション上げてと、悔しいかなダメ出しをされて、反省もし、早く来いと願った本場の日を迎え、いざ変身でありました。なんとか汗まみれになりながら怒っているだけの嫌な奴を楽しんだのでしたが、はてさてどんな感じなのか、放送が楽しみであります。
しかし最近は、普通の人、いい人かなの役が来なくなった感じで、悪役的役割も楽しいのですが、悪役には、誰も共感しないので、見て感想をと思ってもなかなか感想も難しい感じであり、今後は頃合いよく、切ないおじさんの役とかを願うばかりでもあります^^。まあ、贅沢な話であり^^、今後とも、なんなりと色んな役への変身を楽しみたいと思いますです^^。
又「相棒6」の第一話スペシャルにも、有り難く又登場する事が出来、ややこちらはテンション高めでテストをやりますと、少し抑え目でとの監督の指示も出たりして、時たまの登場のキャップ役ゆえ、キャラクターもやや定まってない感じでありましたが、楽しんだワンシーンでした。この「相棒6」でも、もう一回ぐらいの登場を、期待はせずに待ちたいとも思います^^。
図画工作展のオブジェの椅子
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そしてそして、そんな変身を楽しんでいる中、9/19〜9/24のあなんけんじのZUGA-KOUSAKU展開催まで一ヶ月を切り、なかなか、45枚以外の絵が描けなくて、徐々に、ピッチを上げ始めて、一人盛り上がって行こうとはしておりますが、どんな会になるのか、全く判らなくも、楽しみにもなっても来ております。そんな中、オブジェで飾る、高さ2m60cmの細長い椅子を作って、それをひたすらに持って歩いている男は、面白いかもと思い、ビデオ作品を作ろうと考え始めてたのでした。それはドラマではなく、ただ椅子を持って歩いている男なので、ストーリは大してなく、色んな場所を歩きたいと言うだけで、流れ構想を考えて、カット割りをして、ロケハンまでしたのでした。どの街のどの道も、それぞれにいい感じで、ロケハンで通り過ぎる度に「ここもいいなあ、ここもいいなあ」と思いながら帰って来たのでした。又頭の中で描いていた場所などは、イメージとは違っていて、現場を見て構想も変化していき、レインボーブリッジを歩き下から撮影なんてのも考えていたのでしたが、思っている感じよりも大き過ぎ、遠く過ぎて直ぐに無理だと判断し却下をしたのでした。現場を見て、どう撮影するかなと考えると、ドンドン変わって行くものであり、それも楽しかったのでした。
そして先日、井の頭公園にて自主ビデオ作品作りを敢行して、道行く人の視線が気になりながら、カメラマンなんてやった事のない後輩の山崎画大氏にカメラを託し、専門学校以来久しぶりの映像作りが始動したのでしたが、どうも、ドラマがなく、ただ椅子を持って歩く男では、面白いかなと思っていただけで、何だかしっくりも来なくて、イメージも漠然としたモノであったので、ダメだなあと思いつつも、あれこれと電池がなくなるまで撮影して、楽しんだのでした。今は折角撮影した素材があるのでと、編集をしてみて、その素材を切り刻んでどうなるのかなと楽しんでおります。完成して日の目を見るのかどうかは判りませんが、今回は、まさに練習と言った感じで遊びであり、次のステップ自主映画のためなのかなと思っております。近いうちに何か又是非作りたいと思うばかりであり、モノ作りは楽しいかなであります^^。
そんなこんなの8月を終え、九月も又違う変身もあり楽しみであり、下旬には初めての図画工作展が待っていて、ドキドキでありますが、「ザ・マジックアワー」の撮影の為、私がフルで参加出来る日が、今は9/20,23,24だけであり、全六日間がどんな感じになりますか、楽しみであります。多くの皆さんが来て楽しんで帰って頂ければ嬉しい限りです。来月のこの楽屋では、どんな結果になったのかが、報告されると思いますので、私も楽しみであります。
それでは今年の残暑も、一雨で一気に秋の気配を見せたりしながら、季節も変わって行く感じであります。そんな季節の変わり目かなの,九月も多いに楽しんで参りましょう。皆さん、お元気に^^。
決まりなき 猛暑残暑は いつまでか いづれは夏も 秋を見つけて 見えぬまま 新たな事へ 踏み出して 挑みの心 より目指す新 我に我 我を見つめて 我を知り 我に自由と 我は我なり^^
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2007/09/30
〈[155]独り言編:「楽しき図画工作展も終わり、変身も楽しんで九月を終えて^^」〉
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残暑残暑がいつまでもの感じの9月も、10月が間近に近づきますと、流石に秋の気配も確かなモノになりつつあるのかなと言う、そんな今年の九月は、何と言っても、初めての試み『図画工作展』の開催であり、その準備の一ヶ月と開催の日々でありました^^。
そんな図工展のあれこれの全貌を書いた、回顧のページなるモノが、この楽屋より先にアップ出来るのかなと思っておりましたが、とんでもなく、六日間もありますと、なかなかまとめるのも、なかなかなモノでございまして^^、先ずは、詳細な作品作りの文章から、写真のレイアウト、ご来場者の皆さんの塗り絵等々のページの作りで、もう少し時間が掛かるのかなと思われます^^。今しばらく気長に、お待ちください、って誰も待ってはいないかも知れませんが^^、お待ち下さいませ。今は、まとめながら二度美味しい感じで、思い出し思い出し、私は楽しんでおります。
今回の試みは、楽しく、意味は何なのかなど役者である私は、考えたりもしながら、準備を進めて行き、何かをせねば、見えては来ないモノでと考えたり、意味などはいらなく、自分が思いついた事だけを信じてでと思い、しかし六日間は、そんな事一度も考えずに、自分の遊び場で、最後の最後まで遊んだのでした^^。ふらりと来てくれた、私の事など、何も知らない人も含めて、150人も近い方々に来場して貰い、有り難く、今回は、出逢いが全てでしょうか^^、回顧ページでは又違った考えも、感想も出て来るかも知れませんが、続きは、その回顧のページにて、書きたいと思います。ご来場の皆さん、来られなかった皆さん、アップした際は、又覗いてくださいませ、よろしくお願いします^^。
さてさて、そんな図画工作展の前、最中、などなどであった私の9月での変身の話ではあります^^。
先ず始めは「相棒6」での変身であり、私の登場は、何だかドキドキの長めのワンシーンワンカットばかりだったので、気合いを入れて臨み、役を考えたりで、テンションがちょっとだけ上がってしまったりして、他の皆さんとのバランスが違うみたいで、監督に抑えてと言われたりして、反省しながらも、何とか楽しみ、今回は社会部キャップがちょっと優しくなったかもでもありました^^。
そして「おいどんは、丸腰・平和使節で韓国に行く」なる鹿児島テレビ放送の単発一時間ドラマでの変身で、岩倉具視に変身した私は、公家の格好に身を包み、閣議に参加して楽しんだのでしたが、難しい昔の口語で喋りながら、気持ちの乗せ具合の微妙さにどこまで伝わるのか、伝わり難いだろうかなあと思いながら、ホンのちょっとの出番でしたが、多いに「おじゃるおじゃる(ドラマ内では言ってはおりませんが^^)」で楽しんだのでした^^。鹿児島テレビ(九州地区)でしか放送がないみたいですが、もしかしたら、時期を変えて、他でもあるかもとの事ですので、多いに楽しみです。
そして「しゃばけ」なる二時間ドラマでは、久しぶりの京都松竹撮影所へと行き、10:30過ぎに撮影所にたどり着き、カツラと衣装を合わせてをして、お昼ご飯を食べて、ひたすらに楽屋にて待って、18時にやっと私の出番が来たのでした^^。懐かしい、スタッフの皆さんに挨拶をして始まり、私の登場は、ワンシーンでしたが、最初の部分の撮影をしたら、すぐに夜の食事になり、全てが終了したのが22時前で、新幹線の終電も終わっていて、日帰りのはずが、のんびりお泊まりになったのでした。今回の役は、大工の棟梁役であり、黒い動き易い、よく知る大工さんの格好かなと思いきや、大工の棟梁は、衣装も分厚い上着を着て、初めての格好で、何だか親分の様でもあり、ややびっくりではありましたが、なんとか棟梁らしく見える様にと思い、背筋を伸ばしながらで、多いに楽しんだのでした。どんな感じに登場しているのか気になり、又そんな棟梁に変身したいと思いながら、次の日のんびりと帰って来たのでした。これ又、ドラマ自体、妖たちとかが出てくるドラマで、放送が楽しみであります。
そして8/28で終わったかなと思っていた「ふくまる旅館2」での、私のリアクションだけの追加の撮影もあり、三週間前にお疲れ様を言って去ったのに再びやって来た私に、スタッフさんの「お疲れ様ですね」の微笑みの中、三週間前に撮ったビデオを見て、音を聴きながら、怒って興奮状態なので、息も荒くして、酸欠状態になりながら、正に一人芝居で、楽しんだのでしたが、以前の芝居の流れに合わせなくてはいけないと思うも、合わす事は難しく、しかしそれが悔しかったりして、又そんな事関係なく、もっとその場の一人芝居でやればよかったと思い、本当のお疲れ様で終了したのでした^^。朝一番が私で、9:30には終了したのでしたが、他の役者さんたちは、スタジオ前にもう集まっていて、皆さんが、私の一人芝居をモニターで見ていたみたいで、ちょっとお恥ずかしい感じでもありました。どんな感じに編集されて登場するのか、10/8の放送が楽しみであります。私は怒っているだけではありますが^^。
そして図工展の三日目に朝から昼過ぎまで「ザ・マジックアワー」での変身があり、ラストのシーンのアクションで、スモークマシーン係は、どんな感じで登場するのかなと思って行きましたが、一瞬って感じの登場で、スモーク出しながら出て、スモーク散らしながら去ると言う感じなんですが、去り方が、三谷監督の要求になんとか応えたいと思いながらも、もう何度やっても無茶苦茶で、監督始め、皆さんは楽しんでくれたみたいで、私も楽しんだのでしたが^^、あれはどうなんでしょうか、カットになりそうな気もしますが、それも仕方なく、DVDの付録にでも入れば、ラッキーな感じでございます^^。台本では、登場がもうワンシーンあった気がして、明日も撮影かなと思いきや、撮影が終わりますと「これで、阿南さんは、撮り切りオールアップで〜す」とコールされて、あっけなく全てが終了したのでした^^。カットにならなかったら、そのへんてこな去りが、私の最後の登場になり、どんな感じの私の出番になり、どんな映画が完成しますか、「有頂天ホテル」より2シーン程多く私の登場がある、来年の春の公開の「ザ・マッジクアワー」が楽しみであります^^。
そして二年ぶりの「吉敷刑事3」での刑事への変身もあって、制作が、我が事務所ケイファクトリーで、二年ぶりとは言え、3回目ですし、他の現場にはない、居心地の良い、気軽さがありましたが、自分のキャラクターを思い出しながらとか、いつもの刑事役には付き物の事件の説明台詞にドキドキしながらで、やはり今回も色々と舌の回りの悪さで、何度もNGを出してしまい反省反省で、自分に悔しく、今回のスタッフだから、なんとか許して貰った感じでありました^^。他だと嫌みのひとつも言われて、悔しさ倍増だったと思いますが、より完璧さを,自分の舌に,脳にいい聞かせたいと思いました。しかしそんなNGばかり出しましたが、今回も色々と楽しんで終わったのでした。放送がいつかは判りませが、これ又楽しみであります^^。
そんなこんなの、何だか賑やかな感じだった九月も終わり、来月からは、いよいよ稽古も始まり、怒涛の「恐れを知らぬ川上音二郎一座」の三ヶ月に突入でございます。どんな稽古になり,どんな舞台になりますか楽しみであり、来月の今頃は、通し稽古も始まっている頃だと思いますので、又この場で,書ける範囲で書きたいと思います。
それでは、今年の秋も始まり出しました。色々とこの秋も楽しんで下さいませ。皆さんお元気に^^。
風、変わり 秋のはじめの 神無月 神も探すか 秋の景色を
出逢いから 人は嬉しく また出逢い 出逢いに出逢い より又活きて
様々に 名残惜しくと 思いみて ひと雨ごとに 夏は消えゆく
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2007/10/31
〈[156]独り言編:「簡単な音二郎一座の稽古状況報告で、いよいよもうすぐ劇場へ^^」〉
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10月に入って、時折、朝晩にぐっと冷え込んだりはしているモノの、時折、夏日にもなったりして、まだ秋だなと黄昏る日々も少ない様な感じではありますが、今年の10月は、そんな感傷を楽しむ間もなく、ひたすらに、舞台「恐れを知らぬ川上音二郎一座」の稽古の日々でありました。今も稽古の日々ではございますが^^。昼前に家を出て、自転車に乗って、賑やかな銀座を通り過ぎながら、稽古場へ向かう日々でありました。まだもう少し稽古の日々で、初日までは、もうカウントダウンでございます^^。
10月4日に、顔寄せなる、東宝スタイルと言いましょうか、独特と言う感じの、初体験的な顔合わせから始まり、その日は本読みもなく、採寸をしたぐらいで、すぐにお疲れ様になりました。次の稽古までは、二日の休みが三日になり、朝に本日もと言う事で四日の休みになり、その次の日は、少し前から休みが決まっていたので、計5日の休みを経て、稽古は、10月10日から始まったのありました。
そんな稽古が始まるまでには、一幕一場の台本はありましたが、どんな舞台になるのか、楽しみであり、三谷氏とも、会うのは映画で会っていたので、あれでしたが、舞台では久しぶりであり、その舞台「彦馬がゆく」は、私は三回目の公演で、台本もあり、知り尽くした感じの好きな世界であったので、落ち着いて待つ身ではありました^^。しかし今回は新作であり、どんな展開で、自分の役割がどんな感じなのか、三谷氏だし、ワクワクドキドキで、台本を、稽古開始を、待っていたのでした。そんな台本が、丸々変わる事は、サンシャインの頃からよくある事で、稽古初日のこの日も、稽古場へ行きますと、新たな台本が配られて、前の台本は、私のメモ用紙へと変身したのでした^^。最終的には、なかなかの量のメモ用紙が私の物になりました^^。
そしてその10月10日の稽古初日は、一幕一場の本読みを二回だけやり、あっさりと終了したのでした。次の日の10月11日には、すぐに立ち稽古へと入り、本を手に持ちながら、稽古が出来ない私は、なんとか流れだけでもと台詞を粗く覚えて、探りながらの稽古であり、一幕一場の真ん中まで演って、この日は終了し、舞台初日までの稽古の日々の始まり始まりでありました^^。
舞台の内容は、観てのお楽しみで書けないので、今ひとつ稽古の様子が伝え辛いのですが、時は1899年、場所はボストンで、ある劇場での、川上音二郎を中心にあれやこれやの物語であります^^。今回は、「ヴェニスの商人」なるシェークスピアの戯曲を読んでいたら、より面白いのかどうなのか、別に読んでなくても全然大丈夫でもありますが、そんな舞台でもあります^^。主演のユースケ氏は、忙しい中、ストレートに元気いっぱいで稽古に望み、常盤さんは、三回目の舞台と言う事で、初々しく楽しんでいる感じで、戸田さんは、相変わらず声が響いて、「こんにちは」の台詞に、アンパンマンだ、トーマスの声だと一人思ったりしてしまい、堺さんも日々お忙しい中、稽古でもあちこち動き回って面白く、堺君は、文芸部の青年を、ひたすら真面目に笑いこらえながら楽しんでいて、浅野さんは、細かく色々と動き楽しく演っていて、今井さんは、看板役者として役者らしく楽しんで、堀内さんは、喋る方言が歌の様に頭に残り楽しくて、こばさんは、のんびりゆったりとマイペースな駐米大使閣下を楽しんでいる感じで、カトちゃんは、ボストン在住の人間を陽気に楽しんでいて、新納君は、舞台に初めて触れる通訳役を楽しんでいて、小原は、台詞を覚えるのに大変そうでも楽しんでいて、英仏ハーフのヒュー君は、戸惑いながらも楽しんでいるかな思われ、そんな14人の個性的な役者たちと作演出の三谷幸喜氏によるの、楽しき楽しき物語でございます^^。私は、もちろんあれこれと道具方を軽快にと多いに楽しんでいて、今は、通し稽古を、劇場入りを待っております^^。
次の日の10月12日は、お休みになり、10月13日は、一幕二場の途中までの台本が出来て来ていて、一幕一場を粗くも最後まで、立ち稽古をしたのでした。この日は、「有閑倶楽部」なるドラマでの変身があり、急いで生田スタジオへ行き、少々押していたので、なんとか間に合い、ダブルのスーツを着て、ある任侠一家の子分を、山崎画大氏と楽しんだのでありました。そして10月14日は、一幕二場の台本が全て上がり、稽古は、一幕一場のおさらいをしたのでした。10月15日は、先ずは、一幕は二場までのはずが一幕三場の台本が途中まで上がって来て、びっくりし、稽古は、昨日上がった、一幕二場の本読みから、立ち稽古に入りました。そして一場のラストを作って、一場を始めからやってこの日は終了したのでした。10月16日は、いつもより一時間遅れて15時に入り、一幕二場を又あれこれと楽しみ、10月17日は、お休みで、10月18日も、三谷氏が風邪で急遽お休みになったと、家の外に出た時、ギリギリセーフで連絡を受けてお休みになったのでした^^。そして二日休んで、10月19日は、14時から、一幕一場の初めからやって、二場の真ん中まで演って終了したのでした。10月20日からは、13時よりの始まりで、この日、一幕三場の台本が全て上がり、一幕全てが上がったのでした。そしてこの日は、一幕二場を固めたのでした。10月21日と22日は、お休みになり、二日連休にこれまたびっくりでもありました^^。のんびり映画へと行ったりして過ごした二日間のお休みは、あっという間に過ぎて行き、10月23日は、一幕二場をやってから、増えた一幕三場が、二幕一場に移動するという事で、その二幕一場を本読みなしで立って、稽古へと入って行ったのでした。10月24日は、先ずは、オープニングの段取りを慌ただしくやってから、二幕一場を途中までやって終了し、10月25日は、二幕一場の昨日の続きをやって、一回その場を通して終了したのでした。10月26日は、先日上がって来た、二幕二場の台本が変更になり、それを本読みしてから、稽古し、10月27日は、衣装合わせから始まり、ほとんど衣装合わせに費やされて、二幕二場を一回だけ演って終了したのでした。10月28日は、違う場面の衣装合わせから始まり、二幕二場をやり、10月29日は、二幕三場の台本が出来上がり、遂に「恐れを知らぬ川上音二郎一座」の台本が完成して、二幕一場を久しぶりにやって、この日届いた、最終の場を、本読みしてから、立って稽古をし終了したのでした。10月30日は、久しぶりの一幕一場に戻って、いよいよ固めに入り、10月31日は、先ずはオープニングを楽しんで、その他の場を、明日からの通しのために、益々深めて行くばかりでありました。と言った感じで、10月の月日を書いて、幕と場を書き連ねているだけで、よく解らない無意味な感じの稽古状況の報告でしたが、少しずつ台本が増えていき、一日一日稽古を重ねている事だけでも伝わればと言う感じでありました^^。
稽古場での稽古も、後二日になり、明日11月1日からは、いよいよ通し稽古になり、いよいよいよいよでございます^^。そして11月の3日からは、新しい劇場シアタークリエへ入り、舞台稽古であります。舞台に入らなければ出来ない事も多々ある今回の舞台は、その四日間で、なんとか完成させて、初日を迎える感じでございます。どんな舞台になりますか、やはりいつもの事ながら、舞台はお客さんと共に育って行く感じで、来月のこの楽屋では、又色々と何かご報告が出来ればいいかなと思っております。
それでは簡単でしたが、稽古途中の、ちょっとした寄り道的一言独り言で、解りにくり稽古経過報告でございました^^。
ではでは皆さんお元気に、深まり行く秋の日々をお楽しみ下さいませ。
一座出来 劇場出来て 幕を開け 紳士淑女と 笑いに笑い^^
霜月は まだまだ秋の 楽しみか いやいや冬が そろそろ変わり
秋風の 道を見つけた 空の中 秋の足跡 そっと探して
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2007/11/30
〈[157]裏話編:「川上音二郎一座が始まり、11月を終えて12月へ^^」〉
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11月に入り、今年の秋は、いつまでも暖かい感じだなと思っていましたら、11月も15日を過ぎたら一気にぐっと冷え込んだりして、自転車では、いきなりの手袋使用になったり、耳も痛くなったりと、忘れていた寒さが一気に慌てて来た感じの日々であります。確実に冬へと一歩一歩のそんな11月も、連日の舞台三昧であっという間に終わろうとしております。
そんな舞台「恐れを知らぬ川上音二郎一座」も、11月30日で25回の公演を終えて、12月に入り後半戦へいざ突入でございます^^。
11月1日に、初めての通し稽古を稽古場でして、ちらりと自分の役が見えた次の日に、二回目の通し稽古をし、その次の日は、いよいよだと、真新しい劇場へと入って行ったのでありました。11月3日の劇場入りから、シアタークリエのこけら落としだと、大盛り上がりではありますが、私は別段盛り上がりもなく、いつもの劇場入りと同じ感じで、シアタークリエは、こじんまりとした綺麗な劇場だなと言うぐらいの感想でありました^^。
そして劇場入りの日から、一幕、二幕、の場当たりを二日間して、本来なら、場当たりは、音響、照明のきっかけだけと言う感じで、お芝居部分は省略する感じなのですが、稽古が少なかったからでしょうか、有難い事に一場づつちゃんと演って行き、確認をして行ったのでした。そしてゲネプロを二回経て、遂に11月7日のプレビュー初日を迎えたのでした。私にとっては、プレビュー公演も本公演も、ちゃんとお客さんがいるので、違いは全くなく、遂に始まったお客さんとの楽しみでありました。芝居の内容は、まだまだ後半がいっぱいあるので、詳しくは、相変わらず言えませんが、二回のゲネプロで、流れを体が微かに覚え、それを土台、基本にしていき、その上で、これからの62公演を楽しんでいこう、深めて行こうと言う感じで、遂に始まったのでありました。
初日の11/7は、音二郎役のユースケ氏がある場面で、真っ白になり、違う場面の台詞を発し、その台詞が私の役、熊吉に話かけていたので、その直前に去っていて舞台にいなかった私は、自分の名前が呼ばれているとびっくりし、慌て飛び出して行ったと言うハプニングなどもありました。その後は、何事もなく、なんとか芝居は続けられていったのでしたが、そんな楽しき幕開けでありました^^。プレビュー二日目は、私が、着るはずの半纏を着忘れたりして、他の役者さんにも関係してくる事で、一人慌てたりして、まだまだ柔らかく作られて行っている感じでありました。一回一回、違うお客さんだと、早くも実感もしながら、そんな三日間のプレビューで、あれやこれやと台本がカットになり、修正されて行き、時間も短縮されて、ほぼ完成した状態に、新たに組み立てられていき、三日間のプレビュー公演を終えたのでした。
三谷氏の台本のカットの仕方、思い切りの良さが、東京サンシャインボーイズの頃から、泣く泣くではあるとは思いますが、なかなか見事であり、ほとんどの作家さんは、自分が紡いで来た台詞たちをカットしたがらない、出来ないのに対して、三谷氏は、いかにお客さんが見易いモノにするのかをを目指している感じで、今回も思い切りの良さは健在で、いい感じでございました。しかし役者としては、自分の貴重な台詞がカットされるのは、ショックは、大きいのですが、見やすくなるのであれば、それが一番であり、それぞれの役者さんの、それぞれの台詞、場面が色々と、割愛されて、本当の土台、基本が作られていったのでした。
私は、その上で日々、いかに深めていくかと言う毎日であり、ひとつひとつの台詞に、色々な言い方があることにも気がつきながら、三谷氏に、プレビューの三日目を終えた後帰り際に、私の役に別のアプローチもあると言って貰えて、今ひとつ、自分の中で成立が微妙だった私は、すっきりしていなかった事への回答が出た感じで、有り難いアドバイスであり、次の日から、割りと、キャラクターをガラリと変えて、自分の役を、より成立させ、楽しめるモノにしていく日々になったのでありました。
毎回、小さなハプニングがありながら、楽しんでいる日々ではありますが、18日のミキプルーン様の貸し切りでは、私がクッキーを持って出て来る場面に、クッキーではなくミキプルーンの五個入りの箱を持って出て来る事に、急遽当日の朝、三谷氏が、箱を持って楽屋に現れて、変更になり、その場の相手役の新納君と合わせて、いざ本場にドキドキで臨んだのでしたが、私が手にしている箱にミキプルーンのお客さんが、気が付くと、大ウケでありました^^。こんなアドリブ的な遊びは、滅多になく、楽しきひととき、場面でありました。
私の役が裏方の役だからなのか、又違った心持ちでの、役のテンションを思い巡らしながら、毎回幕が開き、そして幕が降りるのでした。
開演の二時間前ぐらいに劇場に入り、軽く食事をして、着替える衣装等々、雪駄とか手拭いとか12品ある品々を数えながらまとめて、舞台袖に持って行き、セッティングをしてから、地下二階のホワイエなる劇場ロビーで、ウダウダながら、ケガしない様にとストレッチをし、開演一時間前に楽屋に戻り、貴重な30分間をなんとか寛いで、開演30分前に、メイクさんが来て、昔風の髪型にまとめて貰い、地塗り程度で軽くメイクをし、開演10分前に、地下三階の楽屋から地下二階の舞台へと行き、袖で待機しながら、開演を待つのでした。そしてユースケ氏による音頭で、舞台袖で円陣を組み、ユースケ氏の毎回違う意気込みの面白一言から一回一回の舞台は始まるのでした。そして一幕を終え、20分の休憩時間でありましたが、いつもなら、のんびりも出来るのですが、今回は、着物を着たりしてあれこれしているので、あっという間の休憩時間なのでありました。そして二幕を終え、カーテンコールで挨拶をし、今回のカーテンコールでは、一本締めがたまにあったりして、よりお客さんと楽しむ空間になったりもしているのでありました。多くて三回のカーテンコールで幕が降りますと、毎回幕の内で、堺正章さんのハイタッチで締めくくりながら一回一回を終えて行っているのでした。そして次の日の劇場入りまで、ホッとしながら過ごし、いや、朝起きたらその日の舞台へと気持ちが持って行かれるので、カーテンコールから、汗だくになり帰り、風呂に入って寝るまでの時間だけがホッとする時間かなであり、次の日また自転車で汗だくになり劇場に来ると言う繰り返しで、残りの舞台を年末の12月の30日まで、まだまだ楽しむ日々なのであります。
今回初日に、メインの五人の皆さんから初日祝いという形で、手拭い、Tシャツ等々頂き、瀬戸さんからはペンを頂き、そう言う思考がない私は、いつの日にか,そう言う立場にもなるのかなと思い巡らしたりもしたのでした^^。初日祝いではないのですが、今回の頂き物で、全ての人間が笑い微笑み、嬉しく思ったのが、今井さんからの、殿の写真入り消臭プラグでした^^。
それでは、11月の観劇有り難うございました。12月はどんな舞台になりますか、次回の楽屋では、そんな12月一ヶ月の舞台を終えて、今回の舞台「川上音二郎一座」のまとめと、2007年の振り返りの楽屋になると思いますので、又どうぞ宜しくお願いします。そして師走慌ただしい中、寒さもいっぱいですが、どうぞ皆さんお元気でお過ごし下さいませ。
飛び跳ねて 着地の点が 様々も それも遊んで また飛び跳ねて
ゆっくりと 色づく様を 見せながら 通う道のり 木々の生きざま
木枯らしに 負けなく走る 自転車も 夜は切なく 心で走る^^
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2007/12/31
〈[158]裏話独り言編:「音二郎一座を終えて、今年も終えて、新年へ^^」〉
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2007年の12月は、「音二郎一座」の公演回数の数ばかり数えていたからか、永かった様でもあり、師走の如くあっという間に走り抜けて行った様でもありました。そんな「恐れを知らぬ川上音二郎一座」も、笑いは、やはり難しくも楽しいと、やればやるほど、もっと笑いをと、永遠に喜劇をと、喜劇万歳!と、思い呟き楽しみながら、遂に62回の公演を終えて、今年も終えようとしております。
「音二郎一座」の話は最後としまして、ちょっとだけ今年2007年を振り返りたいと思います。今年は、何だかお泊まりの仕事が多かった感じで、色々な所へも行った感じでもありました。
今年始めの変身は、「エライとこへ嫁いでしまった」であり、泊まりではありませんでしたが、千葉県の佐原市の造り酒屋のへ行き、あのごくせんお嬢と久しぶりに会い、近藤芳正氏とも共演し、楽しんだのでした。そして「相棒5」では、カットはいっぱいされましたが、久しぶりのキャップを、これ又相島一之氏との共演がワンシーンだけあり楽しみ、「秘密の花園」では、足利市へお泊まりで行き、有名漫画家のサイン会を仕切る、役所の人間を楽しみ、二時間ドラマ「ブランド刑事2」では、初めての金沢へ行き、一週間のお泊まりで、呉服屋の番頭を犯人に見えない様にと楽しんだのでした。そして舞台「魔法の万年筆」での変身では、42公演をニューヨーカーで小説家のエージェントをあれこれと楽しみ、大阪公演へも行き、合間には、「死ぬかと思った」での心療内科医をワンシーンだけ静かに楽しんだのでした。そして初めての沖縄へと行き、「美ら海水族館」のベテラン飼育員を反省も多々ありましたが、メインキャストで無茶苦茶楽しみ、「受験の神様」では、ロケが押して神奈川県と山梨県の県境の道志川沿いの奥道志の民宿へ泊まったりして、エコロジーガイドを何日かに分けて、子供たちとの芝居で楽しんだのでした。又、二時間ドラマ「眉山」では、初の柴又帝釈天へも行き、地元の不良な大人をワンシーンだけ楽しんで、三谷氏の映画「マジックアワー」では、スモーク係をへんてこになりながらも楽しみ、「相棒6」では、栃木ロケへ行き、相変わらずな感じでキャップを楽しんだのでした。又久しぶりのTBSのドラマで、顔合わせまで参加した「ふくまる旅館2」では、機嫌の悪い出張サラリーマンを楽しみ、後日私だけのリアクションのワンショットの追加撮影もあり、それはそれで一人芝居で楽しんだのでした。又、九州地方限定放送の「おいどん、丸腰・平和使節で韓国へ行く」では、烏帽子を被り、御殿場へ二日程通い、おじゃるおじゃると楽しみ、久しぶりの松竹京都へも行って二時間ドラマ「しゃばけ」での大工の棟梁を楽しんだのでした。久しぶりの「吉敷刑事3」では、相変わらずの刑事で、事件の説明に舌の回りがついていかず苦労しながらも多いに楽しみ、「有閑倶楽部」にも任侠一家の子分役でワンシーンだけ出て楽しみ、今年は、舞台も二作品演り、ドラマのレギュラーはありませんでしたが、細かく色々と変身を楽しんだ一年でありました。
そしてそして10月に入って、遂に始まった「音二郎一座」であり、徐々に台本が完成していった10月の稽古を経て、11月、12月の公演を何とか無事大怪我もなく終えたのでした。
今まで、ネタバレ等々で詳しく書けませんでしたが、観てない方も多いので、WOWOWでの放送予定もあり、DVDも出るみたいですが、熊吉の動き中心ですが、舞台の流れを簡単に書き、今回の舞台を振り返りたいと思います。
先ずはオープニングからで、音二郎一座を演じるカンパニーがまずあってと言う二重構造で始まり、そのカンパニーの面々が、皆でオレンジ色の衣装を来て、音二郎と貞奴の誕生からの波乱の人生を展開するのでありました。私は黒子から、警官になったり、初期劇団員になったりしながら、前半だけで終わり、急いで一幕一場の着替えに入るのでした。そして一幕一場が開くと、熊吉は舞台上で寝ていて、通訳役の野口君の登場で飛び起き、音二郎と貞奴の事を簡単に教え、隠してある他人のクッキーを野口君に見せるために一度引っ込み、又直ぐに登場して、タエさん、伊達君、与野さんに、野口君をお客さんと教え、野口君に小道具を見せてやるよと引っ込むのでした。ここで少しの待ちがあり、親方に呼ばれて出て行き、熊吉は、北海道のセットを作ってくれと頼まれて、簡単に引き受けて、ひたすらに、使えそうな物を探す事で終始し、一幕一場は終わるのでした。そして二場が始まり、役者たちが怒って誰も来ない中、いる人間だけで、「ヴェニスの商人」の稽古を始め、熊吉は、棺桶で釣り船を作りながら、ランスロットの役をやる事になったりするのでした。このランスロットと言う役は、去年オーディションで落ちた役で、その悔しさを稽古場で何気なく三谷氏に、稽古の前に世間話的に話したら、三谷氏は、台本もそこまで行ってなくて、俺の口からランスロットの話が出たので、びっくりして、「前に言ったっけ?」と、「実は熊吉は、後にランスロットを演らそうと考えていたんだ」と、びっくりしていて、その言葉に自分もびっくりして、何だか嬉しく、どんな感じで熊吉が、ランスロットになるのかを楽しみに台本を待っていたのでした。そして二場の真ん中辺りで、小村閣下が登場し、ちょっと熊吉は落ち着かなくなったりするのでした。やがてホイットモア夫人の正体が判って、ありぁまあと同情したりして、小村閣下の役問題では、部外者的立場でバルコニーから様子を伺い楽しんでいた熊吉でありました。そして一幕は、幕を下ろし、着替えるだけで20分の休憩は終わり、この幕間に一度バルコニージャンプをトライしていて、二幕を待つ熊吉でありました。そして二幕が始まり、二幕一場の熊吉は、下っぴきの格好をして町周りをして来て楽しみ、その楽しさのまま、野毛山節に自己流の踊りでより楽しみ、ついでに編み出したすり足の技も教えたりしたのでした。稽古では、この技を教える時に、三谷氏のエッセイで有名になった特技の放屁を一発披露していましたが、通し稽古の前にカットになり、ちょっとホッとしたり、がっかりしたりと複雑な思いにもなったりしたのでした。千秋楽には、遂に幕が開いてから「GO!」サインが一度出ましたが、すぐにやはり止めようとなったりして、これまたホッとしながらも、微妙な思いでございました。又以前、朝の挨拶でも書きましたが、このすり足の技を教える場面で、真っ白になったのでした。しかし私は、無言が続いていたと思っていましたが、翌日ユースケさんから聞かされて、無言ではなく、「ずーっとまっすぐ」とか言っていたと知り、何も覚えていなかった私は、何か言わなければと、もがいていたのだなと思いました。そして舞台は、お金を持ち逃げした綿引が現われたので、捕まえるべくバルコニーへのジャンプをし、私の今回の芝居のメインイベントを終えホッとするのでした。そしてちょっとだけ舞台から去り、親方に呼ばれてやって来たら、私の正体がバレていて、「あちゃー」となり、稽古場からプレビューの三日目まで、親方には「幕が降りるまで、ここにいさせて下さい」と懇願していましたが、先月の楽屋にも書きましたが、三谷氏の助言により、能天気な男で、他人事の様に、お願いする熊吉でありました。そして舞台中に逃げる事になってしまい、蔵人さんが倒れて、貞さんが舞台に出る事になり、二幕一場は終了するのでした。二幕二場は劇中劇で、ボストンのお客さんの前で、ヴェニスの商人を演じ、私はランスロット役で登場し、去って行くのでしたが、なかなか去りがたくて、あれこれと何度か飛び出して来るのでありました。その際、「お呼びでございますか」の台詞を何度か言いながら飛び出して来るのですが、稽古場での最終通し稽古の時、なぜか、「お待ちどうさまでした」と登場してしまい、「お」しかあってなく、微妙に間違ってはいないのですが、何で、この言葉を発したのかは、謎であり、本番でもつい言ってしまうのではないかなと気になっていたのでした。しかし本番では、そんな事が、別の台詞で起こってしまい、一番最後の台詞の「喜んで!」を、「ごめんなすって」と言ってしまい、気持ちは、喜んでなのに、出た言葉が、ごめんなすってで、自分でもなぜ言ったのか謎でありました。そしてその二幕二場の三度の登場去りで、熊吉は全て終了だと、その先の台本がない時に、三谷氏から聞かされて、愕然とし、ちょっとオーバーだが、「えっ本当に!」と呟いたのでした。その場の稽古も進み、もう登場しないと覚悟して、最後の芝居の事を最後らしくでと三谷氏に相談に行くと、あの時の淋しそうな顔つきを察知してくれたのか、二幕三場の最終場も出る事にしたからと言う事を聞き、有り難いねと嬉しく、その本当に最後の登場去りを待ったのでした。一幕二場で一度飛び跳ねて、二幕二場の劇中劇で三回飛び、ラストにも一回で、計五回飛び跳ねるのですが、稽古では気が付かず、平気に正座状態で着地していましたが、ゲネプロを終え、62公演が始まり出し、計算すると合計310回も飛び跳ねなければならないと判り、「こりゃアカン、これは無理だ」と、もっと負担のない感じでを心がけなければ最後まで足が持たないと飛び方、着地等々を変えたのでした^^。しかし開幕してから何日目かの早々に、舞台から客席に下りる階段で、足を軽くグニャリとやり、軽かったので、歩ける走れると言った感じでしたが、My両足は、日に日に、色々と疲労物質も溜まり始めて、足に騙し騙しの日々になって行き、どうなる事かなMy両足と心配でケアしながら最後まで行き、何とか無事62公演を終える事が出来て、先ずはホッとしているのでありました。
今回の役熊吉は、凄腕の泥棒でも、弱きを助けで、ねずみ小僧的かなと思いながら、自分なりにあれこれ楽しんだのでしたが、いつも正解など見つからないのですが、今回も最後まで、あれやこれやと正解が定まらず、正解かなと思っても、次の一回では、違うかなと言う感じで、千秋楽の最後の最後まで、探り続けた舞台でもありました。いつも舞台では、正解など見つからないのですが、しかし、今回の舞台は、全てが正解かなとも思える、自由さもあり、楽しき舞台であったかなと、その土台の上で楽しんでいた二ヶ月間の62公演でもありました。舞台でのハプニング、思い出も細かく色々と書く事も多々ありますが、今回も共演者を始め、多くの方々との出逢いもあり、次へ繋がるだろう、三ヶ月でございました。次、三谷氏の世界で楽しめるのは、いつの日になるのかは判りませんが、又の機会を楽しみに、新年を心地よく迎えたいと思います^^。
今年は色々な変身も楽しみながら、45歳の区切りでの、初めての「図工展」も楽しみ、新たに盛り上がれるモノを見つけた年でもありました。
今年みたいに、お泊まりロケ等々が多くて、その年の流れみたいなものがあるのかないのかは判りませんが、新年の2008年は、どんな流れが待ってますか、去年2006年の暮れからの体調も一年なんとか過ごしてこれたかなで、新年も身体には気を遣いながらで、又楽しんで活きたいと思います。今年も皆さん、色々と有り難うございました。明日からの新年も、どうぞ宜しくお願いします。それではお元気に、またです。
ゆく年を 見つめ忘れて くる年に 時の流れは 自由気ままで^^
一年が 始まる合図 それぞれで 色々あって 様々なりて^^
いつも事 冬も始めの 睦月かな 変わらぬ気持ち 新たなる思い^^
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