2025/06/30〈[368]独り言編:「色々とありながらも猛暑が厳しく続きである役でも楽しんでの6月^^」〉
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六月になって、梅雨の雨もそんなに記憶にはなくての、1日だけ本降りがあったぐらいで、ドンドン暑さが厳しくなり、35度の猛暑日の日もあって、他も殆ど30度近くの真夏日が連日で、雨が少なかった梅雨も明ける感じでもあり、6月が終わろうとしております。
そんな6月は、6日にあるドラマでの衣装合わせがあり、何着か色々と着てキャラクターも決まっていく感じかなで、撮影の日が下旬までなくて、その日を待つばかりでもあり、やっとでその日が来た24日の日では、撮影が夜からで、押して押して、空模様も怪しくなったので、中止になってしまい、横浜の映画館で映画を三本観ただけで終わってしまった1日でもありました。その中止になったシーンは、来月になっての、又ちょい待っての29日にやっとそのドラマでの初日ではありました。喫茶店でのワンシーンだけでの、ちょい一人で喋ってもいての、ついつい早口になるのをキャラクターの流れとかを考えて、ゆっくりを気にしながらでなんとか喋って終えて、来月の次の撮影の日を楽しみにでもありました。
又7日の日には、「人事の人見」での最終話の一瞬の出番も有難くもあり、1時間20分自転車で新木場まで行き、あの撮影は15分で終わってしまったのでありました。私の後で動いていた内トラでの若いADの男性が、映るタイミングとか難しいんだろうなとも後での動きを少し感じながらで思ってもいたのでした。そのAD 君が、29日の撮影の現場に、女性ADがその日が最後で、その交代要因でやって来ていて、放送局も違うので、びっくりでもありました。
そしてここ最近では、あるイベントへの参加の日とかが、色々と諸事情により後手後手にもなって、いつまでもなんだか悔やまれる感じで、先に事情を知って対象していればと思うばかりで、ずっと後の祭りだと、ずっとモヤモヤ感は、イベントの開催日まで続く感じでもありました。
そしてそしてストロベリームーンの日の11日には、俳優の斉藤歩氏が60歳で逝ってしまったのでありました。「蒙古が襲来」の札幌公演では終演後に、皆さんで挨拶へと行き、共演の記憶は無かったのかなも、京都での時代劇でご一緒したと斉藤さんより教えて貰い、調べたら同じシーンだったかは覚えてはいないが、同じ作品だったとびっくりでもあり、そんな挨拶をしていた人が、逝ってしまったと知ると、あの時は、もしかしたら奇跡も起こり、持ち直すかなとも思っていたので、信じられなくても残念ではあり、人は逝ってしまうんだと又思い知らされた感じで、一見怖そうであの鋭い顔つきも優しい笑顔もある一人の俳優の事は、忘れないでいようとは思うのでした。
そんなこんなで6月が暑い暑いで終わって、7月もより暑い暑いでもあるかなで、撮影もありイベントもありで、色々と暑さに負けないで楽しみますかなでもあります。
七夕へ 願い短冊 書かぬけど 願い毎年 夏の夜空に
文月で 文を連ねて 物語 毎年思う 文月話し
七月は 本気の暑さ より増して 今年も違う 暑さの具合
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2025/05/31 〈[367]裏話編:「蒙古が襲来の沖縄公演で65回を振り返り,鉛筆削り社員で楽しんでの5月^^」〉
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5月になっての、いつぶりだろうかなの沖縄へと行き、「蒙古が襲来」での沖縄公演四回でありました。初日は、お決まりの場当たりからで、私の一節ソロもあっての、「もっこり節」も福岡での2回だけで、西田さんよりの話で「もっこり」が引いた言葉で消えるらしくて、「さっぱり」とか「あっさり」とかで楽しもうかなとも思いましたが、今までの「あっぱれ」で沖縄の四回は楽しんだのでありました。
そして初日は、タマオのセリフで、余興をする事への「順序が変わったんだ」が、今までにない感じでの激しく怒ってもいて、びっくりでキンバと笑ってしまうほどでもあり、次の日は、最後の昼夜2回ではあり、昼の公演では、最後の矢の飛び出しが、今までになく、衣装の襟に引っかかって、全く出なくて倒れてから出るという事になってしまい、悔しくもあった一回でもありました。夜の公演は、収録があり、残るんだとの久しぶりの思いの中で、なんとかどうにか細かくは、色々とありましたが、なんとかどうにかで終わって、どんな感じで収録されたのか気になりでもありました。次の日は、遂に65回目大千秋楽で、気にしない感じでもいましたが、一つ一つが最後なんだとも思ってもしまいながらで、丁寧にとは思い、最後の一回も暑い暑いでの中、最後の矢は、ピョーンと出てくれて、色々とあった感じでの65回の公演もなんとか怪我無く無事終わってしまったって感じでもありました。
65回、一回一回一つ一つと思いながらで、先ずは、幕開けの実々公のリアクションで、小窓から見える姿に、何人の方が気がついているのかなとは思い、伊藤がしそうな感じでの動きをしてみてと言われて、三谷氏曰く、伊藤君に見えるとの言葉を励みに、伊藤だと思っての奥に誰かがいると言う一瞬のリアクションを楽しんで終えて、次の登場では、罪人だが傀儡師になりしましているんだと、言い聞かせての「はいはいねえねえ、はいねえねえ」と陽気に登場していて、稽古時に三谷氏のリクエストで何か言いながらでと言われて、よくぞ自分で思いついた楽しげな「はいはいねえねえ」の言葉とノリでの登場でありました。そして陽気に去って行き、鼻筋メイクをして、又なりすましているんだと思い、陽気に「はいはいねえねえ」と登場して、先ずは「あっぱれ節」で楽しみ、傀儡師としてなのか、罪人としてなのか微妙な感じでリアクションをして楽しみ、「ジゴク踊り」で、あんな動きをしていたんだと動画を観てびっくりでもあり、逃げるぞと行ったり来たりで、なかなかの大変な動きでもあって、日に日に肩からかけている箱が重くも感じていて、回数を重ねるを感じてもいました。そして熱い白湯を飲んで引っ込み、又こっそり出て来て、「石が5個、貝が4個、元も子もない」と、住民も苛立ち、お客さんも苛立っているのかなを感じつつでもあり、そして新たなリズムにステップを踏んで楽しみ、3分の1オンゾへと、なんだか面白い事へと興味を持って、流れ着いたカブトから、長老三人の様子が可怪しいと、話に聞き入り思い当たって、オンゾが槍を持って出て来たので一大事だと、事実を伝え様と思い、マシラのメインイベントが始まるのでありました。罪人であると白状しドロンの兵助の話をして、そこからはマシラとして、土佐弁だと言ったりして、ラストのムーンウォークで、時々滑りが悪い回もありつつ、なんとか後へと去って行き、後へ行ってはダメだとの驚きの感じで、引っ込むのでありました。そしてゴングージの「見た事もない美しさ」のセリフで、袖へと移動して、「ムクリは来る」で鳥が飛んで、「凄い事になったぞ」と出て行き、次々に矢が刺さり倒れて、オババの「ムーンウォーク」のセリフで、笑ってくれるのか気にになりで、毎回有り難くホッとはしておりました。そして「どんちゃんの歌」「イエーイ」で起き上がり、歌って踊って終わり、カーテンコールで、お辞儀を流れる様にして、一回一回を終えて行き、65回が、終わったのでありました。
そして打ち上げでは、役者13人がそれぞれの思いを色々と話したりして、盛り上がって、翌日には帰り、通常の日々へと戻りつつも、徐々に終わったんだとの思いもやはり募りながらで、今年の1月の6日に始まりの稽古からの4ヶ月を思い返しもしつつ、役者13人の皆さん、三十年の時を経て、皆さんそれぞれでの経験、積み重ねを見せながらでもあったかなで、自分の三十年を考えて、それほど変わってないかなと、それなりに変わっているのかなとも思うのでもありました。まだまだWOWOWOの放送が、七月にあったり、イベントがあったりで、もう少し「蒙古が襲来」の余韻で楽しみますかなでもありました。
そしてそんな長丁場の公演が終わってドラマの衣装合わせ、撮影が有り難くもあり、「人事の人見」の9話での鉛筆削りが得意な社員役で楽しみ、久しぶりに鉛筆を削ったり、静かに早期退職希望しませんと言ったり、可愛い娘の為にと叫んだり、激しいリアクションで楽しんだりで、東陽町のスタジオへと自転車で1時間20分走り四日間通ったのでありました。そんなシーンの数々が、どんな感じになっていますか気になりいっぱいでもあり、放送が楽しみであります。で、5月が終わっての6月がどんな感じになりますかなも楽しみでもあり、雨の具合も気になりでもありました。
水無月に 梅雨全線 移動して 雨が降るかな どれぐらいかな
紫陽花よ 雨を待ってて 花咲かせ あちこち見せる 雨の季節を
水無月の 暑さの記憶 蒸す感じ 雨に濡れての 和らぐ暑さ
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2025/04/30 〈[366]独り言編:「蒙古が襲来の札幌,大阪,豊橋,福岡公演で楽しんでの4月^^」〉
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4月になってどんな感じの陽気だったのか、ドンドン暑くもなって行く日々だったかなの中で、桜も早めに咲いてあちこちで満開にもなったりしての、夏日、真夏日にもなったりした四月でもあり、そんな四月は「蒙古が襲来」での札幌公演から始まったのでありました。
まだまだ雪が残る札幌でも、舞台上は、暑くもあり、どこの劇場も全て暑い暑い感じではありました。
札幌での五回は、暑くて噛んだりもして、新たにジゴク踊りの、歌詞を変えたりして、「ジゴク巡り、ジゴクでも」、にしましたが、どうにも「岬めぐり」と言う歌に引っ張られてしまい、「ジゴク踊らば、ジゴクでは」に変えたりもしたのでした。
地方公演での初の15時終わりで、皆さんそれぞれではあり、ジムトレーニングへ行く人もいたり、読書をすると言う人もいたり、野球を観に行く人もいて、私は、100円ショップから、東京と同じで早めにホテルに帰ってのあれこれでもありました。一回、暑い中でジゴク踊りで頑張ったのか、なぜか次の「情けない」のセリフが出て来ない一回もあり、最終日では、矢の出が微妙な感じで悔しくかなで、相変わらずな感じで終わった札幌公演でもありました。
次は、大阪公演でもあり、その前の9日には、インプラントの手術もして、腫れとか、仮の前歯のくっつき具合が気になる感じでもありました。
12日の昼の公演では、暑い中でもあり、タマオ氏のリアクションからの流れが崩れてしまったのかなで、再会が「二十二、三年ぶり」のセリフを、「二、三年ぶり」と言ってしまって、思い返せば思い返す度に、そんな短いんだと思って笑えてしまうほどでもあり、抱腹絶倒的な、堪えるのに必死な感じでもありました。
夜の公演では、久しぶりの一節ソロもあり、高校の友人達が来ていての、芝居の感想は、声がでかいとの感想とかでもありました。13日は、昼公演のみで、劇場へと早めに入って、少ししたら楽屋にて頭上、天井から音がすると言う事で、制作等々に教えて原因わからず、少しして自分のタブレットのタイマー切り忘れで、それを切ったら止まって、なんでだろうとはなっての、その音が気になりでコンタクトを入れていたら、少ししてから、片方がズレている事に気が付き、目の中に入ったままかはっきりせずで、みんなに目の中を見て貰ったりで、とてもお騒がせお恥ずかしいにもなって、もう一個入れてみて、違和感はない感じでもあり、どこかに落としたんだとなっての、昼の公演へでありました。その昼公演も、細かくありながらも、なんとかだったかなで終わったのでありました。
そして翌日の大阪公演の最終日もあれこれと相変わらずもなんとか終わって、片付けをして15時30分に劇場を出て、なぜゆえに大阪万博2025に行きたいのかは、わからないのですが、17時からのチケットがお安いと言う事もあり、大きな荷物をコインロッカーに入れて、電車に乗って、乗り換えて、夢洲へと16時過ぎには着いて、時間まで、浜風が冷たい中を集合もしての待って、やっとで時間になり、持ち物検査からでの入場、どこを見ようとの計画も何も無くて、雰囲気味合うだねと、すぐに入れるパビリオンを探すも無くて、ヘルスなんとかにすんなり入れて、心筋細胞が動いているのは観て、次はと大屋根リングを一周歩いて見ようと歩き出したら、なかなかな感じでも、途中雨が降り出して、途中で直ぐには下りられずに、グルリと歩いて一周はしてから下へと降りて、雨もまだ降っていたので、後はショップへ行って記念になるミャクミャクを買って、1時間半程の2025大阪万博ではありました。もう少し待てばドローンショーがあったかもと知って、ちょい悔しくもありましたが、それなりの万博の雰囲気は楽しめたのかなでもありました。で新幹線に、最終近かった予定よりも早めに乗って帰って来たのでありました。
そんな大阪の次は、豊橋での公演で、とにかく空調システムが複雑で、今まで以上に暑くての舞台ではあり、慌てて寝転ぶ時に、勢いつきすぎて、頭が床にゴンと音をたててぶつかり、びっくりでもあった一回もあり、別の回では、ある場面で次のセリフが早くて、まだ去っていない人の後ろ姿が見えていて、それが昼の公演で、夜の公演は、そんな反省を踏まえてのなんとかどうにかでは終わって、次の日の最終日も暑い暑いで、皆さん汗ダラダラでの豊橋公演でもありました。
豊橋公演終えた次の日は、寝不足から、どっと疲れも感じて、自転車のタイヤ交換とかの修理もしたりしましたが、その夜には、風邪気味な感じで、吐き気の胃痛にもなって、熱も微妙でも発熱外来までは、いかないでも、内科へと行き、薬を処方して貰っての胃を労る日々でもありました。歯医者にも行って、仮の前歯も微妙ながらもくっついてるとはなり、次の福岡公演へと向かうのでもありました。
そして福岡公演から、毎回皆でやっているラジオ体操が、音源は今までは西村さんのスマホからでしたが、劇場へと大きく流れてのラジオ体操になり、残りラジオ体操も何回だねともなって、公演もカウントダウンに入ったかなでもありました。
福岡の初日はの一節ソロもあったりして、違うドキドキでもありました。翌日は昼夜の2回公演で、昼の公演は、夜もあるんだと、頑張らねばでもあり、一つ一つだと言い聞かせて、そしてなんとか昼の公演を終えて、直ぐに夜の公演で、これまたなんとかどうにかって感じで、2回の公演が終わったって感じでもありました。次の日には、久しぶりに三谷氏がやって来て、私のいる楽屋へとやって来て、そろそろ飽きたでしょう?と、「あっぱれ節」を変えない?と言って来て、「もっこり節」でとの思いつきでの提案で、変える事になり、もっこり的な振りも付きでねと、しかしもっこりそのままのイメージではない感じでねとなり、もっこりはもっこりの一つしかないと悩むも、共演者の意見で、もっこりお山があったかなと言う感じで、なんとかドキドキの「もっこり節」でもありました。そんな変更を知らない共演者もいて、びっくり大笑いでもあったみたいでありましたが、お客さんには微妙なのかでもありました。その後は、ジゴク踊りの場面で、私のセリフの後で、ある役者がセリフが出て来なくての一瞬の空白時間もあったりしての、久しぶりに三谷氏が観ているとの変な緊張感での一回の公演でもありました。福岡公演の最終日は、同じ感じでの公演をと思うも微妙な感じでもあり、反省ありつつも、福岡での五回の公演を終えたのでありました。
次は遂に最終地沖縄での四回のみになり、どんな沖縄公演になりますか、愉しむしかないのでもありました。
そんな四月には、ある身近なお方が亡くなった事もあったりして、その人への思いも色々とありつつも日々は過ぎて行き、初夏になったりの四月も終えるのでもありました。
5月は、ドンドン暑くもなるのかなでもあり、どんな今年の五月が待っているのかなでもありました。
皐月だと 風薫るのか 花々に 陽射し喜ぶ 生き物たちか
鯉のぼり 今年の風も 同じかな 鯉の泳ぎを 見上げ爽やか
五月なり 初夏が続くか すぐ夏か 雨の前での 晴れ楽しむか
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2025/03/31 〈[365]独り言編:「蒙古が襲来の岡山,京都,松本,仙台公演で楽しんでの3月^^」〉
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三月になって春の陽気が続く日々がありましたが、19日の朝には雪が降り、東京でも1センチは積もった感じで、びっくりでもありました。その後の日々は気温も上昇の感じで暑くもあって、初夏の日々にもなりましたが、月末には又寒さ厳しくもなりながらで三月も終わろうとしております。
そんな三月に入って、パルコ公演が2回だけあり、ラストでは、エヘン虫が、喉を蠢いたりしてチョイ悔しくもありながらで、東京での25公演を終えてたのでありました。
そして岡山公演からの、1週間の流れが始まり、水曜日か木曜日に移動して、木曜金曜土曜日曜日と四回から五回の公演を繰り返す感じでありました。
先ずは、岡山公演で、お客さんは、登場人物が最初に登場する度に拍手で迎えてくれていて、色々と楽しんでいた感じではありました。
次の京都公演では、劇場が暑い感じで、汗だくにもなっての3回で、最終日は袖に扇風機もあったりして、少しだけ涼しくもありましたが、汗はかいてもいたりして、暑い暑い京都公演でもありました。そんな京都の初日の18時の公演では、始めのセリフ「失礼します」が、おまたせと思ってしまって出て来なくて誤魔化して、「浜まで泳いだ」を、「沖まで」と言ってしまい、すぐに浜までと付けて喋り、細かく噛んだりもして、相手のセリフ待てなくて、「長いお付き合いになりますなあ」と言ってしまったり、今までなかった事もあり、ある登場人物の登場で、驚く私の足が場所が狭くて足が当たっていた事もあり、びっくりでもありました。二日目の夜も暑くて、ちょいと、アクシデントがあり、ある登場人物が出て来て逃げる傀儡師ではありましたが、その人物が出て来なくて、戸惑う二人でもありました。関西のお客さんは、笑いに対して厳しいのか、岡山とつい比較もしてしまいますが、カーテンコールでは楽しんで頂けたのかなと言う感じではありました。
次の松本公演では大きな綺麗な劇場で、初めてかなと思うも、次の日に近くの美術館の草間彌生のオブジェに覚えがあって、2020年の「真夏の夜の夢」で来ていたとびっくりでもありました。初日はドキドキながら相変わらずでもあり、二日目の昼の公演では、ある俳優さんがセリフが出て来なくて、沈黙が出来てしまったりで、なんとか続けられる人達で繋いだ感じでもあり、自分だったらと思うと怖い事でもありました。ある女優さんの草履が客席に落ちたりもして、私も、木頭が手につかずで鳴らせずの感じで「待て!」と叫ぶばかりでもあり、色々と今までにないハプニングのあった回でもあり、松本公演でのお客様さんも違う感じも、より楽しんでくれているみたいでもありました。
仙台公演では、25日の朝に折れた前歯の接着の具合が気になりでもあり、外れるなよと思うばかりで、しっかりくっついているゆえの違和感だと良いのだがと思いつつ、食事の時は、つい忘れてしまい、前歯を使ってドキッともしながらでもありました。初日は、一瞬出て来ない言葉もあったりして、相変わらずな感じで、二日目の昼夜では、仙台は、いきなりヒンヤリの朝でしたが、舞台上は、暑くての2回ではあり、なんとかどうにかって感じで終えて、三日目の最終日は、又エヘン虫が蠢いたり、微妙な、噛みもあったりで、細かく悔しく反省もありで、四回目公演で、遂にダブルのカーテンコールがあっての、皆さんからの温かい拍手の中、無事仙台公演も、又違った感じのお客さんでの中、終わったのでありました。
三月の地方公演はこの四都市で、四月は、札幌、大阪、豊橋、福岡で、5月になっての沖縄で遂に終ると言う、まだまだって感じも、一つ一つ楽しんでいきますかなでございました。
一ヶ月半壊れていた給湯器も26日に、やっとで工事は完了し、前歯のインプラントが9日でその後どうなるのか気になりながらで、三月を終えるのでありました。
四月では 桜と共に 春来たり 短き春か 冬と初夏でか
四月から 新たな年度 始まりか 気持ち変わるか 変わらぬ毎度
四月だと 春だと思い 春気分 寒も戻るが 春も深まり
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2025/02/28 〈[364]独り言編:「蒙古が襲来の渋谷パルコ公演で色々と楽しんでの2月^^」〉
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二月に入って、最強寒波も来たりして、東京平地でも雪かもとありましたが、夜にちょい降ったのか、今年はまだ雪は観てないのかなで、時折の寒気の厳しい寒さの中で、「蒙古が襲来」の稽古続き、2日にはシアタートップスでのリア玉のイベントで「どんちゃんの歌」をみんなで歌って、次の日には、稽古場最終日だと、みんなでラジオ体操をして団結力を高めようと、ピアノの演奏で、この日、2回目のラジオ体操だったが、みんなでなんだと思いながらで始まり、そして曲が流れて直ぐに、ハッピーバースデーの曲になって、吉田羊さんの誕生日サプライズであり、みんな引っかかると言う事などもあって、稽古場でのラストの通しをしての、稽古場終了でもありました。
2日間の劇場仕込みのお休みがあり、6日から劇場入りしての、場当たりで一つ一つ確認していき、変更もありながらで、続きは明日になってその日は終わり、次の日は残りの場当たりをしてからの、通し稽古で終わって、次の日はゲネプロで、相島氏の声の出が難しくて、急遽ソロパートの4小節を歌う事になって、ドキドキでもあり、最後のフレーズの歌詞が「やりなおす」なのに、「やるせない」に思ってしまい出て来なくて、誤魔化して悔し過ぎるで終わって、申し訳なくもありました。
そして次の日は初日で、その前にフォトセッションなるモノもあって、無いシーンでの一コマをみんなで演って、急に踊ってと演出三谷氏から声がかかり、踊りだした私でもありました。
そしてそして遂にの初日で、待ってました的な幕開けの拍手で、素晴らしいお客さんと共に始まった感じでもありました。
今回は、開演の1時間半には、軽くメイクを始めて、その15分後には、マイクと着付けに入って、開演の1時間前には、カツラの為のネットを装着してもらい、その後マイクもセットしてもらって、20分待っての、カツラを着けて、40分間のしばし休憩でありました。そして5分前になりますと、幕開け板付きにスタンバイして、始まりのコールを待つのでした。そして幕が開いて直ぐにリアクションをして、引っ込んで、着物を替えて、頭に乗せるモノを替えて、一回だけ、頭を替えずに着物を着替えたら、そのまま袖にスタンバイしていて、頭が引っかかって気がついて、慌てて床山さんの所へ行き替えて貰って、あのまま気がつかなかったらを思うと、とんでもない事になっていたとも怖くもなっておりました。そして袖にスタンバイしての、陽気に出て行き、先ずは、あっさり目で、終わっての、軽く鼻筋とかのメイクをして、又スタンバイして、出を待ち、陽気に登場して、あれやこれやとリアクションで楽しんで、長いは無用だと、逃げようとするも逃げられずに、一度引っ込んで、又登場して、面白い事に、気になって留まっての、より引っかかる事が出て来て、これは真実をと、私のメインの語りにドキドキでなって、そして去って行く、そして凄い事になったと再び出て行き、どんちゃんの歌を楽しんで終わると言う、今回の2時間弱の舞台でありました。
初日の日に、風呂の湯沸かし器が壊れてしまい、パルコ劇場のシャワーの日々でもあり、壊れた日にヌルい残り湯で洗い流したせいか、次の日から鼻声にもなって、咳と痰の日々にもなった2週間であり、ようやく少しマシになったかなでのパルコ最終週でありました。順番でのソロ歌唱を2回ほど歌って、毎回ドキドキでもあり、日々細かく色々とありながらで、胸からの矢の出の具合が毎回気になりでもあり、スパッと出たのは、何回かなでもあって、2月が、63歳の誕生日もあって、あれよあれよと終わり、三月の2日間のパルコ公演の後の、三月での岡山、京都、松本、仙台公演も色々と楽しみますかなでありました。
三月は 季節の変化 彩りか 春風に花 春の陽射しで
寒気去り 弥生春だが 花遅れ 陽気重ねて やがて満開
三月の 蒙古が襲来 新たなる 知る知らぬ街 楽しむ春か
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2025/01/31 〈[363]独り言編:「2025年が蒙古が襲来の稽古からで始まり楽しんでの1月^^」〉
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1月になると流石に寒さは本気になった感じで、朝晩の冷え込みは、厳しい感じでも、昼間の陽射しには、時々暖かさ、暑い感じでもあり、暖冬なのかなが続く感じなのかなでもありました。
大晦日にノートパソコンの画面が又消えて、バッテリー交換の修理店は正月三日間はお休みで、2025年になってパソコン使えないで始まり、4日の修理店がオープンしてすぐに行くと、アダプターが劣化で機能してないことが判明して、量販店で直ぐに安めのアダプターを買って、なんとか4日にはパソコンが復活でもあり、1月の6日からは「蒙古が襲来」の稽古が始まったのでありました。
稽古初日は、台本が三分の二はあって、少し驚きで有り難く、自分の役を確認して、なるほどと、ざっと自分の役回りだけを読み、その日は、顔合わせ挨拶と、登場人物の簡単な関係性とかの説明だけで終わり、私は早々に帰って、直ぐに台本を読んで楽しんだのでもありました。翌日は、本読みで、先ずは、ざっと一回読んでから、止め止め説明ありでの本読みをもう一回して終わり、次の日は、お休みで、9日は、先ずは、共同通信の取材があり、三谷さんの事を思い出とか色々話しての、稽古は、立ち稽古かなと思いきや、三谷さんは執筆専念でお休みで、2回本読みをして終わり、10日は、立ち稽古を最初から順番にで進んで行き、私の登場にもなって、キャラがまだ微妙な感じで、元気過ぎる感じかな終わり、11日は、稽古の前に、それぞれでストレッチとかしているのですが、西村さんが鳴らしてくれる音源のラジオ体操があり、決まった事をしないとダラダラとストレッチをするだけなので、私は敢えて参加する事を決めて、毎回参加する人は、私を含めて七人と、決まっても来ていて、背伸びとかでは、声をあげてのおじさんおばさん達ではありました(笑)。そしてその日の稽古では、続きの立ち稽古で、全ての役が登場しての、最初から流れをおさらいを演って終わり、12日は、立ち稽古のおさらいから始まって、三谷氏は執筆でお休みで、稽古の終わりで、残りの台本が届き完成をし、皆さんは帰らない感じで、その場で読み始めて、読んでいたのかなでもあり、私は、急いで帰って読んで自分の役をなるほどと確認したのでありました。13日は、後半からラストまでの台本の本読みを3回、一度目は読んで、二度目は色々とダメ出しを告げられながらで、3回目は、流す感じで読んで、立ち稽古をしたのかなでもありました。この日、終わって駐輪場でデジカメを落として、小原氏が暗い中拾ってくれて有り難くでもありました。14日は、お休みで、15日は、パンフレットのインタビューからで始まり、色々と又ペラペラ喋って、稽古では、後半の立ち稽古をあれこれとトライでもありました。この日は「日刊ゲンダイ」の発売日で、昼間にコンビニとか駅へ行くも、夕刊紙だと気がつき、稽古が終わってコンビニに行くと売っていて、本当に「愉快な病人たち」に出ているのか、こっそりと確認して、大きめの写真で載っていると有り難くで買って、折角なので、もう一部だと別のコンビニでも買ったのでありました。16日は、昨日の続きでの立ち稽古で、おさらいからのその続きを演っていき、遂に私のメインのセリフへとなって、あれこれと喋るも、まだまだって感じでもあり、この日は、パンフレットの稽古場写真とかもあり、ト書きに派手な衣装で登場とあったので、私は、赤いジャージの上下で稽古していましたが、皆さん黒系の稽古着なのに、なんとも目立っている感じで恐縮でもありました。17日は、立ち稽古の続きで遂にラストまで行って、18日は、又最初から戻っての立ち稽古で、一つづつって感じでの新たな感じでもあり終わり、19日は、衣装合わせだけで、綺麗な派手目の着物を着ての、メイキングのインタビューでペラペラと又喋って終わり、20日は、お休みで、21日は、返し稽古からで、細かく色々と追加しつつで、そうなんだと、どう言う思いなんだとも少し分かり始めたかなで終わったのでありました。22日は、パンフレットの座談会からで、とにかく喋らなくてはと、時折喋っての、どうなのかねとは思いつつ終わり、13時よりの稽古では、真ん中辺りの場面での、又トライ的に、良いのかまだまだか、微妙な感じで、追加のセリフで、色々と関わって行くと言う感じでもありました。23日の稽古は、変わらずな感じであれこれとで、24日は、お休みで、25日も細かく抜きと返し返しの稽古で、26日は、同じ感じの稽古で、少しづつ、前へ進んでいるのかどうかなで、27日は、初の通し稽古で、細かくダメ出しもあり、又少しだけ、見え隠れかなで終わり、28日は、三谷さんがお休みで、色々の確認作業をしてからの、通し稽古をしての、別の確認を色々として終わり、29日は、衣装付きの通し稽古で、勘違いもあり、衣装に暑く、あれこれと気がついた事もあり反省でもありました。30日は、お休みで、31日は、抜き稽古からの、通し稽古であり、新たな感じでの動きもあっての、又少しだけ気がついたかなでもありました。
これで一月の稽古は終わって、二月になったら稽古場での稽古も終わり、あっという間の劇場入りでもあり、劇場での舞台稽古では、又色々と発見もあるんだろうと思い、初日の2月9日を思いながらで、1月があっという間に終わるのでありました。
二月です 変わることなく 63に 少しは変化 気にせず元気
如月は 寒さ厳しく 微妙かな 暖冬なのか 寒気も陽気
二月なり 新たな舞台の ひと月か その後の事より 一つ一つで
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